第六節
豪華すぎる。
オリビノエイタは案内された部屋にたじろいだ。初めて足を踏み入れた中世の宮殿の客間は謁見の間同様、やはり華やかさの極みであった。
天蓋付きのベッドは横になれば沈んでしまいそうなほどふかふかしている。白影岩の暖炉の上には、聖帝が白い翼で天へと昇る姿を描いた巨大な宗教画。学者オリビノエイタにとって、博物館の展示室で寝起きするようなものである。
彼らは本当に自分の身分をわかっているのだろうか。アニエミエリやエルルティスはともかく、自分は単なる従卒――使用人なのだが。
「今夜は眠れるかなぁ?」
アニエミエリの荷物をまとめ、今日の仕事を終えたオリビノエイタは絵の中の聖帝に語りかけた。伝説によると、ヴェリアル統一を成し遂げた聖帝は人々の哀願に応えず、天へ帰ってしまったという。今もオリビノエイタの問いに応えてくれそうにない。
こんこん。
突然のノック。夜もだいぶ更けてきたのに誰が何の用だろうか?
「はいはーい!」
扉を開くと、予想外の人物がひとり。魔術師特有の赤い瞳がこちらを見つめている。
「あ……ミューネ、ちゃん?」
魔術師に対する正しい敬称は何だろうかと考えたが、相手はまだ十代の少女。リューゼさんやミューネさんではしっくり来ない。ミューネ・ルナッド・リューゼさんなんて論外だ。なので、とりあえずはちゃん付けで呼んでみた。
「あ、あのあのっ! ちょっといいですか!?」
何のことやらさっぱりだが、何やら勢い込んでいる。廊下でわいわい話すような時間ではないので、とりあえず部屋へ招き入れた。こちらも彼女と話したいことは山ほどあるのだ。
「今朝はごめんね?」
彼女を椅子へ促しながら、オリビノエイタは早速謝った。
「僕のせいで偉い人たちに怒られちゃったでしょ?」
朝見の儀では彼女に悪いことをしてしまった。学者として百家争鳴は大いに結構だが、さすがに時と場所はわきまえねばならない。オリビノエイタもソニエナディー公使に注意され、アニエミエリにものすごく怒られてしまった。
「へ、あ、はい。師匠に、すっごく怒られました……」
ミューネは泣きそうな目で俯いてしまったが、すぐに顔を上げ、身を乗り出した。
「でもでも、そのことなんですけど! もしかしたら、あなたの言うとおりなんじゃないかなって思ったんです! だって、あ、これは私が悪いんですけど、ポテルクワ城伯たちって一回も自分がとか自分たちが皇帝陛下を殺すって言ってないんですよ! 言ってないのにみんなあの状況から、ポテルクワ城伯たちが暗殺企てたみたいに思い込んじゃってるな、って。私も今朝まで、っていうか、ついさっきまでそう思ってたんですけど、今朝の話を考えれば考えるほど証拠とかないことに気づいちゃったんですよね。確かに、私は皇帝陛下弑逆を企む反逆者の調査って命じられたばっかりで、その私を狙って誘拐したんだから最初は間違いないと思ってたんです。あ、この人たちが反逆者なんだ、って。あ、いや、反逆者なのはあってるんですけど、暗殺しようとしてるんだと思い込んでじゃって。だけど、その証拠はないし、本人たちは、その、もう死んじゃってますし……」
確かにその通りだ。オリビノエイタはただ単に、彼ら騎士が皇帝に弓引くとは思えなかっただけだが、ミューネの言うように彼らが皇帝暗殺を計画していた証拠は一切ない。
「って、あ……ごめんなさい」
「うん?」
今まで滔々と話していたミューネが突然謝った。
「その、なんか、いっぱいしゃべっちゃって」
「え、ダメなの?」
「へ?」
オリビノエイタには彼女が何を謝っているのかいまいち理解出来ない。
「だって、ほら、失礼、じゃないです、か……」
「なんで?」
夜風が窓を振るわせた。
「あ、いや、それならいいんですけど……」
ミューネは釈然としない様子だが、謝られるようなことはないはずだ。そんなことよりオリビノエイタが気になるのは別のこと。
「ところで、君は僕にその話をするために来たの?」
「はい」
「こんな夜更けに?」
「夜じゃないと宮殿に忍び込むなんて無理ですよ」
「え……忍び込んだの!?」
それは聞き捨てならない!
「だって、私の身分じゃ宮殿に入れませんから」
「いやいやいやいや! そうじゃなくって!」
先程から価値観やら倫理観やらの差に翻弄されている気がする。
「ダメでしょ! 忍び込んだりしちゃ!」
「もちろんダメですよ? 見つかったら縛り首です」
何をあっけらかんと物騒なことを。
「でもでも! 魔術師たる者、真理の探究に手段を選んではいけないんです! 私たち魔術師はもう何千年もこうして来たんですから!」
そこまできっぱりはっきり言い切るからには、彼女ひとりが猪突猛進というわけでもないのだろう。魔術師に対するイメージを改めなければ。
「すごい、ね……」
「えへへ」
褒めてはいないのに素直な照れ笑いである。こうなると魔術師のものの考え方に興味を覚えるが、ひとつ気がかりなことがある。それどころではないのだ。
「えーっと、うん、じゃあ、ちょっと話を戻すけど……」
魔術師の伝統や文化や思想については後でじっくり質問しよう。
「あの騎士たち、ポテルクワ城伯たちが暗殺なんてしようとしてなかったとしたら、皇帝暗殺計画ってどうなのかな?」
「どうっていうと?」
「ないと思っていいのかな?」
「へ?」
ヴェリアリープ皇帝は先帝の没後一年は即位すれども喪に服している。昨年の即位式も簡素なもので、一年後――すなわち、明日の盛大な戴冠式で神聖なる帝冠を戴き、名実共に帝国を統べることとなる。歴史上、戴冠前の皇帝が死亡した例はごく僅かで何れも病没。敵や叛徒に殺害されるなどという究極の凶事は例がないし、神々に祝福された皇帝にあってはならぬ不幸である。
だからこそ、彼らが暗殺を企んでいたと誰もが信じたのだ。戴冠前の皇帝が暗殺されることを誰も彼もが恐れていたからだ。しかし、彼らが皇帝を暗殺しようとしていなかったとしたら、暗殺は誰の企みだろうか?
「もう誰も暗殺なんて企んでない?」
「そんなこと、ないと思います」
「僕なんかは安心しちゃってたけど、危なくはないのかな?」
暴力で以てこの国を変えたい、または変えたくないと思う者はいくらでもいると聞く。
「でも、近衛の人たちだって暗殺とかしっかり警戒してるはずですし。あ、これ、私の考えじゃなくて師匠の受け売りですけどね?」
確かに、皇帝暗殺など容易ではない。だが、こんなに幼い少女すら、歩哨の目をかいくぐってここまで忍び込んだじゃないか。この大陸には不可能を可能にする力があるのだ。
「ねぇ、ミューネちゃん」
「はい?」
オリビノエイタにはアニエミエリほどの軍略の才も政治に関する知識もない。ただただ心配になっただけだ。
「皇帝陛下って、今夜はどこにいるの?」
「身を清めるために至聖殿で沐浴してるはずですよ?」
「あれ? 至聖殿ってどこにあるんだっけ?」
皇帝が神事を執り行う施設であることは書物で知っている。帝都にあることまでは覚えているが、どうにも地図を覚えるのは苦手だった。
「えっと、宮殿の隣の……あ、その窓から見えると思いますよ」




