第四節
「アミー、タオル貸してー」
宮殿の客間に入るなり、アニエミエリの部屋にエルルティスがやってきた。日々の鍛錬を欠かしたことのない彼女だが、忘れ物の数と頻度は尋常じゃない。従卒が必要なのはアニエミエリではなくエルルティスの方だろう。だが、その従卒がオリビノエイタではあまり役に立たないかも知れない。
ともあれ、その後、エルルティスはしばらくアニエミエリの部屋に居座り続けた。おかげで、夜が更けても軍服を脱ぐ機会を逸してしまった。
「ねー、どー思う?」
「何が?」
部屋にはふたりだけなので、口調や態度をとやかく言う必要もないだろう。アニエミエリもその方が楽だった。
「オリタ君はさ、あの、なんだっけ?」
なんだっけと言われても困る。
「敗残騎士だっけ? 昨日のあの人たちを悪くないってゆってたじゃん?」
今朝の謁見の間でのこと。確かに、アニエミエリも気にはなっていた。
「でも、魔術師の女の子もこの国の人みーんなも、あの人たちが皇帝を殺そうとしてたー、ってゆーじゃん。アミーは気にならない?」
普段はふざけているかとぼけているかのどちらかだが、さすがはアルテプラーノ、否、旧大陸最後にして最強の剣客である。鋭い。
「どうかな? 気にはなるよ?」
この旅に幼馴染みふたりと臨んだのは正解だった。四六時中、神聖古語か将校言葉では息が詰まってしまう。エルルティスとふたりきりなら素のままの自分でいい。
「でも、私の立場からすれば、どっちでもいいかな? それが本音」
「ま、ひとんちのことだもんね」
勝手にベッドに転がりながら話すエルルティス。
「そういうこと」
椅子の背もたれに身を任せ、天井を仰ぐ。これまた豪華な装飾が施された天井だ。
「極端な話、皇帝が暗殺されても私たちには関係ない。むしろ、時と場合と人によっては喜ぶかもね? 政情不安定なヴェリアリープ帝国へ出兵する理由が出来た、って」
アニエミエリは念のため声を潜めた。
「正直、ソニエナディー公使が黒幕かもって疑ったくらいだもの」
「なくはないけど、嘘の得意な人には見えなかったなー」
エルルティスの人物評は意外と正鵠を射る。太刀筋同様に鋭く、今回ばかりは苦笑するしかない。外交官でありながら、公使は口が滑らか過ぎるとアニエミエリも思っていたのだ。
「まあね……あ、そうだ。嘘っていえば、アイツは? 碧空騎士団のアイツが何か隠し事してるってエルティー言ってたでしょ?」
昨日、敗残騎士のアジトでエルルティスと斬り合った騎士――ピアニエ・イェンスト・エリーティングスのことだ。相手を負かしたエルルティスは「隠し事は腕を鈍らせるよ」と助言だか挑発だかを口にしていたはずだ。
「あー、あれかー」
「奴らが黒幕の自作自演ってことはないのかな? あの騎士団、外国人だけじゃなくて門閥貴族も嫌ってる様子だったし」
「犯人を仕立て上げて自分たちで斬った、みたいな?」
陰謀の歴史を考えればよくあることではある。だが、エルルティスは少しだけ考えるもすぐに否定した。
「あの隠し事はそーゆーんじゃないからー」
「じゃあ何を?」
「個人的なこと」
ヒトサマの秘事を軽々に話すつもりはないらしい。私の胸の内はからかうくせに!
「それにしてもさー。皇帝だからってあんな女の子が命狙われるとかアレだよね、ひとんちのことだけど、さ」
いつもと同じ調子でエルルティスは大切なことを言う。
「そもそも貴族とはいえ……そうね、アレよね」
ソニエナディー公使曰く、女性でありながら家督を継いだ唯一の貴族だから皇帝に選出されたという。世界最大の封建国家の頂点として、政治のあれやこれやに振り回され、命を狙われるにはまだ若く、同情を禁じ得ない。
「気分のいいものじゃないよね」
「うん」
こんこん。
突然のノック。夜もだいぶ更けてきたのに誰が何の用だろうか?
「はい、何でしょう?」
扉を開くと、金髪碧眼の侍女がひとり。使用人にしてはしっかりとこちらを見つめている。
「夜更けに失礼します、フローナースト中尉」
その青い瞳、その鈴の音のような声に覚えがあった。しかし、丁寧な物言いと身なりが記憶を妨げる。思い出せない。
「あ、噂をすれば」
気配もなく背後に近寄ったエルルティスにはすぐに誰だかわかったらしい。
「どしたのー? 皇帝がこんなとこにー」
「えっ」
それは侍女の格好をした皇帝――クラリーク一世だった。




