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汝の零した青き涙に  作者: 嘉野 令
第七章 訪問者
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第二節

 月明かりに照らされるゲリークフェン宮殿正面の閲兵場。英雄像の陰でミューネは改めて決意した。奇しくも、その英雄像は九百年前に活躍した救国の魔術師スタヴ・カミリ・マルヘレエス――二十七英雄で唯一の魔術師。

「院長先生曰く、真理の探究こそ我ら魔術師の使命」

 その言葉がこの場合に適切かどうかはよくわからないが、ミューネは修士の首飾りをぎゅっと掴んだ。

「さてと……」

 以前、師匠から贈られたブーツに手を触れる。

「風の精霊との契約文を縫い込んでおいた。簡単な文法だから早く使いこなせ」

 プレゼントに喜んだ途端にこうであった。このブーツそのものが課題だったのだ。確かに精霊言語は苦手だが、今ならこれくらい使いこなせるはずだ。

 使いこなしてみせる!

「空を舞う一条の風よ、その輪廻なる舞を休み、今こそ契約を果たされたい」

 不可視の力が足元に集まってくる。ここまでは教科書通り。難しいのはここからだ。客間があるという三階まで、この地上から飛んで行かねばならない。

「お願い。私を宮殿の三階まで連れてって」

 苦手な精霊言語ではそんな未熟な表現しかできなかった。だが、夜風の涼しい心地良い気候だったからだろうか、風の精霊は応えてくれた。ただし、契約を結んだブーツに対してのみ。

「うわひゃあ!?」

 ミューネのブーツがふわりと風に攫われ、地上を離れた。もちろん、それを履いているミューネも飛んだのだが、ブーツばかりが先行して、なんだかとんでもない姿勢で夜空を飛んでいる。人間の頭は重いのだ。

 足先だけが空を進み、胴も頭も引き摺られるように飛んでいる。もっと大きな悲鳴をあげたいところだが、地上には衛兵がいる。引っ捕らえられるわけにはいかないし、なにより、今はスカートがめくれて酷い格好になっている。見つかってはならない。

 そろそろ頭に血が上って苦しくなってきた頃、宮殿三階のバルコニーに到着した。結局最後までブーツが先行するものだから、手摺りに後頭部をぶっつけてしまった。この一連の醜態は師匠に秘密にしておかねば。

 閲兵場を右に左に警戒する衛兵に気づかれた様子はない。古来より、魔術師はこうして暗躍してきた。だから、騎士や僧侶に嫌われるのだが、不可能を可能にできる以上、やらないのももったいない。

「ありがと。でも、次は体ごとお願い」

 風の精霊に礼を言うと、ミューネは口を閉じて、窓からそっと宮殿へ入った。

 計画はこうだ。自分も客人のフリをして、侍女あたりに彼の部屋を尋ねる。完璧だ。

 暗い廊下を進むと平原ヴェリアル人のやけに美しい侍女が向こうからやってきた。どこかで見た顔のような気もするが、宮廷の侍従に知り合いはいない。

「コンバンワ」

 あっちゃあ!

 明らかにぎこちない挨拶が口から出てしまった。偽りは苦手なのだ。しかし、ここは突き通すべしと決めた。

「あ、いや、その、異国の、アルテプラーノからの客人のお部屋はどっちですか?」

 ミューネ自身取り繕えたとは思えないが、とりあえず訊いてみた。

「フローナースト様とルクスティー様とエパスタ様ですね?」

 金髪碧眼の美しい侍女はくすりと笑うとすらすらと答えてくれた。もしかしたら、自分の演技が通用しているのかも知れない。

「えっと、オリなんちゃらなんちゃらっていう男の人……」

 名もそうだが、姓も覚えていない。あの国の言葉は古代龍言語より難しいのだ。

「オリビノエイタ・エパスタ様ですね? それでしたらこちらです」

 文官たる式部官たちですらごまかすことの多い異国の名前をすらすら発音する侍女。ただ者ではないと思いつつも、今はそれどころではない。

「わたくしは隣室のフローナースト様に用がございまして」

 侍女はにっこりと笑う。

「どうぞ、ご案内致しましょう」

「あ、ありがとうございます」

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