第四節
「おはよう、昨日は大変だったね」
喧噪に紛れて部屋の隅へと向かったオリビノエイタはミューネに声をかけた。
「あ、おはようございます」
生まれながらにして魔力を宿す者しか魔術師になることができない。それは妖人族との血の交わりによるものとも言われ、かつてはブラントン王国と神教会によって赤い瞳を持つ者すべてが迫害された歴史もある。聖帝がヴェリアル大平原を統一すると、騎士と僧侶と魔術師は互いを尊重すべしとされ安寧を得るも、宮中ではその瞳を隠すようにフードをかぶるのが習慣となっている。
とはいえ、である。
事前の研究でその作法を知っていたオリビノエイタも、魔術師の少女の格好を見て吹き出してしまった。他の魔術師はなんら問題ないが、ミューネのそれはあまりに珍妙だったからだ。
「ぷっ」
「へ?」
そも、小柄なミューネにその赤いローブは大きすぎた。昨日、クロスフェール駅でぶつかったときも、ポテルクワ城伯ら敗残騎士に拐かされたときも思っていたのだが、改めて見るとやはりだぼだぼすぎる。そのため、フードも大きく、顔の大半が隠れてしまっている。瞳を隠す行為が起源とはいえ、これではまっすぐ歩くことも出来ないだろう。
そのうえ、山岳ヴェリアル人特有の黒い髪は手入れもせずぼさぼさの伸ばし放題。フードをかぶったせいで髪を後ろに流すこともできず、それもまた顔を覆っている。いうなれば、レーナリーク王立魔術院のローブを着させられた小熊か何かの様であった。
「な、何ですか?」
「え、だって、いくらなんでもぷっ」
「何なんですか?」
突然笑われた理由がわからないらしい。確かに、着飾った貴族たちは彼女を見ないようにしている。
「あ、いや、ごめんごめん」
と謝りつつも、オリビノエイタは笑顔のままだ。オリビノエイタにとって、夢にまで見た憧れの魔術師がこのような少女であることもまたおかしいのだ。
「ほら、さすが貴族の国の宮廷。みんな豪華な服着てるから気後れしてたんだよね」
この国の貴族たちだけならまだしも、ソニエナディー公使は燕尾服、アニエミエリとエルルティスは勲章や肩章もまばゆい陸軍の礼装だ。それに対し、オリビノエイタは昨日と同じ背広である。これしか持って来ていないのだから仕方ないのだが、気恥ずかしさはぬぐい去れない。
「君がいてくれてよかったよ」
「……なんで、ですか?」
どうやら、ミューネは自身の滑稽さにまったく気づいていないらしい。
「もう、女の子なんだから身だしなみにも気を遣わないと……よいしょっと」
屈んでようやく赤い瞳を覗くことができた。
「ちょっとごめんね」
フードを捲り、ぼさぼさの黒髪に手を伸ばす。
「へっ!? ちょ!? 何っ!?」
突然のことにミューネは慌てているが、さすがに小熊のまま皇帝の御前に立たせるのは忍びない。手早く済ませてしまおうとオリビノエイタは思った。
「いいからいいから」
髪を編むなどしばらくやっていないことだったが、指が覚えているものである。明日の戴冠式の段取りについての奏上を遠くに聞きながら、オリビノエイタはミューネの髪を編んだ。
「ふたつお下げの三つ編みでいいかな?」
「へ? あ……はい」
こうしていると幼き日を思い出す。
「昔はね、アミーとエルティーの髪も僕が編んでたんだよ」
ミューネが首を傾げた。髪を掴まれているので不器用な感じになってしまっているが、その意味するところはわかりやすかった。
「昨日助けてくれたふたりの軍人さんだよ」
「あ、あー。あの人たち……」
「そうそう。ふたりとも僕の幼馴染みなんだ」
ミューネの視線を追って振り返るとアニエミエリとエルルティスもこちらを見ていた。心なしか、アニエミエリは何やら怒っているように見える。持ち場である彼女の側を勝手に離れたからだろうか?
「今はあんなに立派だけど、子供の頃は不器用でね。あ、エルティーは今でも不器用かな。剣はあんなに強いのにね」
「何か、いいですね……そういうの」
「うん? まあね、今でも大切な友達だよ」
そんな話をしながらも朝見の儀をよそに少女の三つ編みは出来上がった。気づくと、皇帝への奏上の役はまた別の貴族に代わっていた。
「はい、完成」
仕上げにフードをかぶせて立ち上がる。服の大きさはどうにもならないが、ふたつのお下げがちょこんと前に出ていて、小熊に見えずに済んでいる。我ながらいい仕事をした気がする。
「あ……」
「うん?」
「ありがとう、ございます」
大きなフードで少女の表情は見えない。
「どういたしまして」
そのとき、式部官が声を張り上げた。先程から何度も繰り返された光景だが、今回は馴染みの地名が含まれている。
「友邦アルテプラーノからの客人及びレーナリーク王立魔術院ミューネ・ルナッド!」
おそらく、アニエミエリやオリビノエイタの名前を避けたのは発音に自信がないからだろう。あれほど長い称号や氏名を噛まずに言える彼らだが、外国語となるとあまりに苦手なのだ。
「御前へ参られよ!」
オリビノエイタはミューネと共に玉座の前へと進み出た。




