第二節
絢爛豪華。その言葉を今日までむやみに使わずにいたことは正しかった。帝都クロスフェールの中心――ゲリークフェン宮殿を訪れたオリビノエイタの感想である。
青銅の穹窿を戴き、黄銅の彫像に彩られた白亜の大宮殿。正面には二十七の英雄像に見守られた閲兵場が広がり、裏手には十四代皇帝が庭師さながらに整備した広大な庭園〝無謬園〟があるという。革命によって搾取的貴族文化を否定した旧大陸ではもう見られなくなった、権威と歴史に根ざした〝実態を持つ象徴〟である。
昨夜、虜囚の身から解放されたオリビノエイタはアニエミエリらと共に都内の公使館に宿泊した。そして今朝、登城を要請する式部官の出迎えによって叩き起こされた。華美な衣服に身を包み、百に迫る修飾子を並べ立てた式部官。聞けば、招待の対象はアニエミエリとその副官エルルティスだけでなく、オリビノエイタも含まれているという。
またぞろ伝統的な称号と長い氏名を名乗る近衛騎士ふたりが先導し、馬車に揺られてゲリークフェン宮殿の車寄せまで送り届けられた。同道した公使曰く、この車寄せを利用できるのは高位貴族や宮中の高官だけであり、外国の軍人が利用するのは初めてとのこと。
室内もまた、荘厳華麗。金の装飾がシャンデリアの光を反射して部屋全体が輝いて見え、それに見とれていたオリビノエイタは上質な赤絨毯に足を取られそうになった。壁には、すでに引き払った本国の下宿部屋よりも広い気さえする巨大な肖像画が並ぶ。
「すごい! これがゲリークフェン宮殿!」
「そだねー」
思わず漏れた一言。エルルティスの気のない返事が聞こえないほど、オリビノエイタは宮廷という異世界に夢中だった。
すでにそこが皇帝の居室ではないかと思うほど広く豪華な廊下をいくつも通り抜けた先には、更に広く豪華な広間があった。
「こちらが謁見の間に御座います」
最奥には玉座。その主はまだ不在だが、百官はすでに揃っている。皇帝が入室する前だからか、一様に何かを話し合い、ちょっとした喧噪になっていた。彼らは何れも高位貴族であり、出迎えた式部官たちよりも衣装が豪華だった。上には上がいるものだ。
ケーネルキーやフルスファー、ユミーの公使もいる。彼らは彼らを出し抜き教官団を派遣したアルテプラーノ――つまり、アニエミエリらを睨み付けている。
また、壁際に並んだ彫像と見紛う立派な甲冑姿の近衛騎士たちも厳しい視線を向けている。礼装とはいえ近代的な軍服に、拳銃は我慢し、これまた儀礼用なるも軍刀を吊っている。ヨッセル上流戦争から十五年、同下流戦争からは三年。異人、特に異人の兵隊憎しといったところだろうか。
しかしながら、オリビノエイタはそういった政治的な機微に気づいていない。三百六十度見渡す限り、旧大陸では失われた中世の華麗なる世界が広がっているのだ。瞳はきらきら、足取りはふわふわしている。
「ご参内なされた諸侯に申し上げます! 朝見の儀に先立ち、選帝侯にして帝国式部官長、エナスフール王たるシュター・グドラハネル・ベンピオラット=ガイゲンデンナー閣下のお目見えに御座います!」
式部官が高らかに告げると、帝国最大の領地と権力を持つ貴族が奥の間より現れ、玉座に並んだ。白髪の老人であるが背も高く、手にした黒檀の杖は足腰を支える物ではないらしい。
「あれ? この国って王様いるの?」
「エルティー、アンタ、新聞くらい読みなさいよ」
相変わらず間の抜けたエルルティスの疑問に、アニエミエリが呆れ気味に答える。
「ヴェリアリープ帝国を構成する最大の領邦エナスフール王国の領主でしょうに。国に帰ればあの人も〝陛下〟って呼ばれるんでしょうね」
「ちなみに、千年前まで大陸には王国が三つあって、さらに昔は古代ヴェリアル王国があったんだけど、今ではエナスフール一国になっちゃったんだよ」
アニエミエリの解説を補足するオリビノエイタ。誰もそこまで訊いていないのだが、つい口を挟んでしまう。別段、悪癖という自覚もない。
「ふーん」
エルルティスもエルルティスで、訊いておきながらたいして興味もないらしい。
また、オリビノエイタも豪奢な謁見の間や煌びやかな宮廷貴族に夢中だったが、彼は更に心躍る存在を見つけた。
「あ!」
部屋の隅に赤いローブを纏った魔術師がひとり。魔術師の宮廷作法としてフードを深くかぶっていて顔は見えないが間違いない。昨日の囚われ仲間にして魔術師の少女、ミューネ・ルナッド・リューゼだ。なぜなら、ひときわ背丈が低いからだ。
貴人たちの人混みをかき分けてそちらへ向かおうとするも、先程現れたエナスフール王の杖が激しく床を叩いた。
「紳士諸賢、静粛に! 畏まられよ!」
どうやらあの杖は裁判官の小槌みたいなもののようだ。先程までざわついていた室内が一斉に静まりかえった。ぽつりと「私、紳士じゃないよ?」などと言ったエルルティスはすぐさまアニエミエリに窘められた。
「聖帝の正統かつ神聖なる後継者にして白き土の大地の主」
最初、オリビノエイタでさえも、その古く典雅な称号が誰を意味するのかわからなかった。
「ヴェリアル王にしてブラントン王にしてレーナリーク王」
失われた王位の列挙でそれが王を越える王の称号だと理解できた。
「信仰の守護者にして学術の支援者」
教会も魔術学会も統べる唯一の人物。
「メルンエルツ伯爵にしてヴェリアリープ皇帝クラリーク一世陛下の御成ァりィ!」
矍鑠とした大音声が響き渡ると、室内に集まった者一同が膝をついて頭を垂れた。宮廷作法に馴染みのないアニエミエリやオリビノエイタは慌ててそれに従った。さすがの外国人もここでばかりは勝手が通用しない。
だが、オリビノエイタは無礼を承知で上目に玉座の主を見た。朝見の儀が始まれば尊顔を拝することができると聞いていたが、それまで我慢できなかったのだ。
その顔はまだ幼いと言えるほどに若い。平原ヴェリアル人らしい海の色のような青い瞳は大きく、見つめると吸い込まれてしまいそうだ。神聖なる帝冠は楽土大聖堂で明日の戴冠式を待っているため、波打つ長い金色の髪は白金のティアラを戴いている。
ヴェリアリープ帝国千年の歴史上初の女帝、第五十四代皇帝クラリーク一世、御年十九歳。
大陸七百諸侯の頂点たる皇帝というより、その姿はまるで――
「童話のお姫様みたいだ……」




