第五節
その夜――旧大陸の時計では新たな日を迎えた頃。
帝都クロスフェールから遙か南西、ヴェリアル大平原と灰の砂漠を分け隔てるリアンチェス河。その渡河点のひとつを鎮守するエルデルドー砦。古来より、人と鬼との境界として争いの絶えない地である。
「こんな夜更けに何用ですかな、魔術師殿」
今や砦の主たるホフレーンデルン男爵ヘルトナ・レブスキールト・オライツが不機嫌を隠さずに問う。寝入ったところを突然に起こされたのだ。鬼人の攻勢があったわけでもあるまいに。
「例の結界に何か問題でも?」
「いえ、リューゼ修士の結界は今もしっかり働いておりますよ、男爵閣下」
男爵と従者の先を行く魔術師パウマス・サット・ジェランはしれっと答えた。
では、なんだと言うのだ?
そう訊く前に魔術師パウマスは続けた。
「ですが、これから本職のすることを見て頂こうと思いましてね」
導かれたのは砦の中庭。そこには魔術陣が描かれ、破邪銀の燈籠には緑色の炎が灯っている。魔術師ミューネ・ルナッド・リューゼの魔術〝マアハピオロンの燈明〟である。男爵はその名を覚えていないし、理屈もよくわからないが、この緑の炎によって鬼人族の侵攻を防いでいるのは確かなようだ。
パウマスは燈籠の前に立った。要領を得ず、男爵はさらに問う。
「何をするというのかね?」
「台無しにするんですよ、閣下」
意味がわからない。ただ、パウマスは緑の炎をふっと吹き消した。
「な、どういうつもりだ!?」
よくはわからないが、それを吹き消してはならないとミューネが言っていたことくらいは男爵も従者も覚えている。だからこそ、番兵を常駐させている。その番兵も仰天している。なにより、その炎を守ることが魔術師パウマスの任務であるはずだった。
その男が炎を消した。魔術が、結界が、消えた。
「さあ、騎士諸君」
鬼人族の角笛が夜風に乗って聞こえてくる。
「女神プラニラムに祈るがいい」




