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第二節

 こうして、リアンチェス河の渡河点を巡るエルデルドー砦の攻防戦はヴェリアリープ帝国征討軍の勝利に終わった。

 ミューネの口からなにやら空気のようなものが漏れる。

「ふへぇ……」

 半年に渡る戦役に終止符を打った少女は魔力を使い果たし、立ち上がることさえできなかった。眼前では騎士や兵士が勝ち鬨を挙げ、従軍司祭は戦死者のために祈り、鬼人族の遺骸は次々と焼かれている。自らの力が引き起こした結果を、魔術師の少女はただただ見つめていた。

 ミューネ・ルナッド・リューゼは齢十五。従軍魔術師としてはいささか若すぎ、エルデルドー砦に到着したときなどは騎士たちを不安にさせたものだった。さらに悪いことに、同年代の少女と比べても背丈が低い。王立魔術院の制服を着ていても帰霊節の仮装にしか見えないほどである。

 しかし、彼女の瞳の色は高い魔力を示していた。魔術師特有の鮮やかな赤。

「これはこれは魔術師殿、どうされました?」

「あ、男爵……」

 ミューネの赤い瞳が見上げた先に、数人の従者を引き連れた騎士がひとり――総大将のホフレーンデルン男爵である。

「ふむ、戦場とは恐ろしい所ですからな。さすがの魔術師殿とはいえ、やはりうら若きお嬢さんだ」

 男爵はヴェリアル貴族らしい豊かな金髪を掻き上げた。苦労なく育った支配階級特有の、他者を見下した表情。

「腰を抜かしてしまいましたかな?」

 その言葉と態度にミューネはかちんときた。魔力の損耗という感覚は魔術師にしかわからないが、だからといって腰砕けと一緒にされたくはない。

 本来なら立てるはずもないのだが、ミューネは気力を振り絞って腰を上げた。赤いローブについた白土をぽんぽんと払う。

「まさか? ちょっと疲れただけですよ……ちょっとだけです」

 気丈に振る舞うが眩暈は止まらない。それを悟られるのも癪だと思い、ミューネは言い返してやることにした。

 貴族と僧侶と魔術師は互いを尊敬しあうことになっている。だが、そんなものは千年前から建前だ。

「なんせ、鬼人の軍勢をやっつけたんですからね。騎士の皆さんにできなかったことをやってのけるのも大変なんですよ?」

 そもそも、鬼人族による十年ぶりの大攻勢に手を焼き、魔術師を頼ったのは男爵のはずだ。彼が半年かけて鎮定できなかった戦役を、ミューネはたったの三日で勝利に導いた。感謝こそされ、嫌味を言われる筋合いはない。

 もちろん、征討軍が彼女と砦を守らなければ魔術は成功しなかった。だが、砦は失陥寸前まで追い詰められたし、なにより男爵の豪奢な甲冑はあまりに綺麗なままだった。

「ふん! しかし、こんな緑の炎が結界とはな……信じられん」

 魔術を疑うのは何も異人ばかりではない。魔力の有無は先天的なものであり、その知識はあまりに閉鎖的に扱われている。特に地方貴族や庶民にとって魔術は未だに神秘の極みなのだ。

 疑いの眼差しで男爵が燈籠に近寄る。

「あ、ちょっとちょっと! そんなに近づかないでください!」

 ミューネが注意すると男爵はむっとした。

「なんだね? 結界とやらはそれほど脆いものなのか?」

 彼は一国一城の主として他者から叱責を受けるのに慣れていないのだろう。だが、ミューネは畏れも配慮もなく答えた。

「あたりまえじゃないですか!」

 眩暈でふらふらなのだが、それが彼女を余計に興奮させていた。語気も強くなり、次々と言葉が沸いてくる。

「いいですか? この魔術は〝マアハピオロンの燈明〟っていって、その名のとおり、獣神マアハピオロンの力を借りたものなんですよ? マアハピオロンは千の獣の王ですから、高貴で気位が高いうえに獣だから本来なら言葉が通じないんです。それを古代龍言語でむりやりこっちのお願い聞いてもらってるんだから、一回吹き消しでもしたら次も成功するとは限らないし、また魔術陣描くところからやり直しでなんですよ?」

 当然のように疑問符で訊かれても門外漢の男爵やその従者にはさっぱりわからない。だが、ミューネは彼らのきょとんとした表情に気づくことなく専門的な解説を続けた。

「それで、そもそもマアハピオロンっていうのは、えっと、ウェミクパナン神族の一番強い王様で、獣神なんですけど、コイツが二千年くらい前にヴェリアル人と協力して鬼神バッソグザルクを倒したんですよ。あ、バッソグザルクの末裔が鬼人族ですよ? ほら、アイツら短い角あるじゃないですか。あれもホントはもっと長かったですけど……あ、それはいいとして。それで、マアハピオロンの吐く息がね、こう、緑色の炎なわけですよ。それでがががががーっとバッソグザルクの眷属を焼き払ってヴェリアル大平原から追い出したんですね。だから、鬼人族って今でも灰の砂漠に住んで、平原攻めようとしてるんですよ。なので、今回、私は、そのマアハピオロンの緑の火炎をちょみっとだけ借りてみたんです。これ、もう見ての通り鬼人族に効果覿面で、この緑の炎が消えずに結界の術式が生きてれば鬼人族は入ってこれない、と。もちろん、鬼人族が傭兵雇ったり魔獣けしかけたりしたら――」

 両の掌をひらひらと空に向けひたすら語っていた魔術師の少女は、ここでやっと口を閉じた。ぽかんとする男爵と目があったのだ。

 貴族に対し礼を失していた。いや、それよりなにより、一方的にしゃべりまくるなど非常識だ。

「あ、えっと、その……」

 一方、男爵の口は半開きのままだ。ミューネのあまりの勢いに無礼を叱ることも忘れている。

 夢中になると何もかもが見えなくなる――彼女の悪癖だった。集中力があるといえば美点に思えるが、ただ単に配慮を欠き、空気が読めていないだけである。

「うんと、つまり……」

「ふむ……?」

「その、なんていうか……」

「う、うむ……」

「火、消さないでくださいね、ってことです……」

「はぁ…」

「はい……」

「……」

「……」

 気まずい沈黙。ミューネも男爵も二の句が続かない。兵士たちの喧騒もどこか遠く感じられる。ただでさえひどい眩暈が悪化する。烏か何かが鳴いた気さえした。

「リューゼ修士! リューゼ修士は何処におわす!」

 突然、思わぬ助け船がやってきた。彼女を呼ぶ声がする。

「あ、はい! ここです! 私です!」

 手を挙げて周囲を見回すと、馬上の偉丈夫が応えた。銀糸で刺繍された深緑のローブを着た、赤い瞳の男――モークロッド学園に属する見知らぬ魔術師だ。今しがた砦に到着した様子である。

「おや、男爵閣下もご一緒でしたか」

 従者が携える楯の紋章を見たのだろう。大将に気づいた男は馬を下りると、魔術師らしくゆっくりと腰を折った。

「本職、モークロッド学園にて助教を勤めます、魔術博士パウマス・サット・ジェランと申します」

「神聖なる皇帝陛下に仕えるエナスフール王が家臣ホフレーンデルン男爵、余はオライツ家が当主ヘルトナ・レブスキールトである」

「あ、えっと、王立魔術院のミューネ・ルナッド・リューゼです」

 突然始まった本格的な自己紹介にミューネはうまく対応できなかった。若さのせいか、呆れられたのか、男爵にも博士にも無作法を咎めらずに済んだ。

「して、リューゼ修士」

「は、はい?」

 なんとなく声が裏返るミューネ。パウマス・サット・ジェランと名乗った魔術師は懐から羊皮紙の巻物を取り出した。封蝋には宮廷魔術師の印。嫌な予感がする。

「デュー博士からです」

「あ、ありがとうございます」

 受け取りつつも、ミューネの口から溜息が漏れた。師匠からの手紙にいい思い出はない。今回の従軍も文書で一方的に知らされた。これは不吉の前兆に違いない。

 公文書特有の上質な羊皮紙。大きさに似合わず、文面はごく僅かだった。


 皇帝陛下の宮廷魔術師エルト・カール・デュー魔術博士より、レーナリーク王立魔術院助手ミューネ・ルナッド・リューゼ魔術修士に対し下記の如く下命する。


 すぐに俺のところに来い。


 貴職は上記の命令に従って直ちに行動されたし。


 以上


「ひぇっ」

 小さな咽からおかしな音がした。師匠の鋭い眼光を思い出し、羊皮紙を取り落としそうになる。

 何事かと思い不思議そうに顔を見合わせるホフレーンデルン男爵とジェラン博士に、ミューネは詰め寄った。

「あ、あのあの! ここから帝都までってどれくらいかかりますか!?」

 顔を真っ青にして訊くミューネ。おろおろする彼女を訝しみながらも、魔術師パウマスは首を傾げた。帝都からやってきたばかりの彼は自らの道程を思い起こしているのだろう。太陽はだいぶ西に傾いている。

「ふむ。明日の朝一番にここを出るとして――」

「すぐに! 今すぐ出発したいんです! 大至急!」

 冷や汗を大量に湛えたミューネは博士の言葉を遮った。いわゆる必死の形相である。

「……では、この馬を使いなさい。急げば今夜には宿場に着くでしょう。駅馬ですし、ちょうどいい」

 ただならぬ彼女の様子に同情したのか、パウマス・サット・ジェランが申し出た。確かにそうすれば明日の昼には南方鉄道に飛び乗り、明後日には帝都にたどり着ける。

「え? でも、いいんですか? ジェラン博士が困るんじゃ?」

「私はあなたの後任ですから。しばらくここに駐屯しますし」

 彼女より高位の魔術師がただの伝令であるはずはない。以降、エルデルドー砦の守備が彼の任務であり、伝令はそのついでなのだろう。〝マアハピオロンの燈明〟が灯っている以上、鬼人族が攻めてくることはない。だが、彼らが傭兵や魔獣を駆使することもあり得る。そうなってはミューネが得意とする大掛かりな魔術では太刀打ちできない。おそらく、パウマスは戦闘を得意とする魔術師なのだろう。ミューネと違い、彼は筋骨隆々だった。

「あ、じゃあ……ありがとうございます! お言葉に甘えます!」

 何度も頭を下げると、ミューネは馬に乗ろうとした。残念なことに背が足りず、騎乗するにはパウマスの手助けが必要だった。彼女自身情けないとは思ったが、今はそれを気にする余裕すらない。

「まったく落ち着きのない。いったい何をそんなに急いでおるのかね?」

 ホフレーンデルン男爵が当然の疑問を口にした。合戦の直後であるし、日没も迫っている。

 ミューネは鞍に跨り手綱を取ると、真顔で答えた。

「師匠が〝すぐに〟っていったら、ホントにすぐ行かないと殺されちゃいますから!」

「は?」

 それ以上、男爵の疑問に答えることなく、ミューネは馬の腹を蹴った。

 つい先刻まで戦いの渦中にいた少女は馬を駆り、エルデルドー砦を後にした。戦場よりも恐ろしい〝師匠〟に怯えながら。

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