第一節
「ねぇ! 今のがアレだよね!? 涙神プラニラムへの祈りだよね!?」
祈りを終え、剣を抜いた騎士たちが階下へ――彼女たちは民家の二階に監禁されている――向かうと異国の青年はミューネに訊いた。自分より十くらい年長であろう男がまるで子供のようにわくわくしている。
ミューネと共に囚われた青年は自分の境遇がわかっているのかいないのか、虜囚の悲壮感がまったくない。今の表情も声の調子も、祭りに出かける少年のそれである。
「へ、あ、はい。そうですけど……」
聞くところによれば、列強の異人は神を信じないらしい。信じるも信じないも神々の末裔と共に暮らすヴェリアル人、ましてや神々の力を借り受けるミューネら魔術師にとっては理解できない。だが、旧大陸――異人は大陸を新旧などと呼ぶが、彼女たちからしてみれば彼らの大陸こそ新大陸なのだが――には魔術がないらしい。開国早々旧大陸へ渡った魔術師によれば、あちらでは魔術が使えなかったという。
だからこそ、神への祈りもまた珍しいものなのだろうか?
「そっかぁ、あれがヴェリアル創世神話に出てくる涙の女神プラニラムに感謝を捧げる祈りなのかぁ」
ミューネにとっては当たり前のことを青年はいちいち感心する。
「そうですよ。すべての命と海の母、涙の神プラニラムに感謝する祈りです」
そこで、ミューネの悪い癖が出た。
「えーっと……あ、そっか。最初っから説明しないとダメですよね。そもそも、なんでプラニラムに感謝するかっていうと、天と地と海と命があるのは全部プラニラムのおかげなんですよ。その、神々が混沌から天地を作り出した回数は一〇六回って言われてます。だから、今の世界は一〇六番目のものってことになります。神々は天空と大地があれば命も生まれると思っていた。それなのにいくら混沌から天と地を作り出しても人間どころか草木一本生まれない。そこで生の神スタニタンは一〇六番目の天地も混沌に戻して、新たな一〇七番目の天地を生み出そうとしたんです。でも、死の神コタバルルは天も地もまだ生まれたばかりだから、今度こそその生が尽きる――つまり、死ぬまで待とうと反対しました。この生と死の二柱の神は千日間も相争った。無限に生まれるスタニタンと無限に死ぬコタバルル。決着のつくはずもない戦いで一〇六番目の天地だけがひたすら傷ついた。そして、千と一日目、スタニタンとコタバルルの戦いで傷ついた世界のために青き涙を流したのがプラニラムなんです。それによって初めて海が生まれ、雨が降り、いつしか生命が誕生した。だから、涙神プラニラムは生きとし生けるものすべての母として常に感謝しなくちゃいけないんです。それと同時にもっとも初歩的な魔術の呪文でもあって……あ」
あっちゃあ……またやっちゃった!
夢中になると何もかもが見えなくなる――彼女の悪癖は時と場所を選ばない。これをやらかすと相手はぽかんとしてしまい、気まずい空気に押し潰されてしまう。先日もエルデルドー砦でやらかしてしまったばかりである。
しかし、目の前の青年の反応は違った。
「へ? 魔術? ブラントン王立神教会の祈祷文なんじゃないの?」
瞳を輝かせ、縛られたままなのに前のめり。しかも、異人とは思えない鋭い質問だ。
「え、あ、もちろん空飛んだり火の玉飛ばしたりはしませんよ」
当然のように質問されては学者たる魔術師として答えない訳にはいかない。
「でも、古代語で神に対して唱えるものだから定義としては魔術には違いないんです。教会がプラニラムを、私たち魔術師がそれ以外の神を信仰してるって思ってる人はこっちにも多いけど、それは誤解です。私たちはこの大陸に住まう全ての神々を信仰してるんです。あなたち異人にはわからないかも知れないけど……って、そもそも!」
ここにきてようやっと、ミューネは訊くべきことを訊くに至った。
「あなた、何なんですかっ!? 誰なんですかっ!?」
突然敗残騎士に襲われ今でも混乱しているのに、そこへなんだかノリのおかしい見知らぬ闖入者である。あのとき、または今ここで助けてくれれば彼はまちがいなくミューネにとっての英雄だが、彼はまったくもって未だに役立たずだ。そのうえ、彼女の悪癖にきょとんとするでもなく沈黙するでもなく、的確な質問をしてくる。
一体全体、お前は何者なんだ、と。ミューネはまずそこが知りたい。
「あ、ごめん」
青年は手足を縛られたまま不器用そうに頭を下げた。
「僕はオリビノエイタ・エパスタ。よろしくね」
拍子抜けするほど素直に名乗られてしまった。聞きなれない異国の名前はちっとも覚えられなかったが。
「えっと、その、私はミューネ・ルナッド・リューゼです」
なんだかよくわからないまま囚われ、なんだかよくわからない相手とのなんだかよくわからない自己紹介。奇妙にもほどがある。
だが、そんな茶番をよそに、階下からは凛とした大音声。
「我らトリスロス侯隷下碧空騎士団である! 叛徒共め、神妙に縛につけ!」




