第二節
斜陽が白亜の都を橙色に染め上げている。陰は背を伸ばし、ひんやりとした風が夜の気配を匂わせた。
誰もが家路につく時分らしい。大通りは人であふれている。ガス灯の輝きを知らない中世の街は、彼女たちの国よりも早く夜を迎える――もちろん、時差という意味ではない――のだ。
夕日が綺麗。
街中を駆けるアニエミエリはちらりとそう思った。どれほど人々の暮らしや文化が違えども、沈みゆく太陽の美しさは洋の東西を問わない。
だが、夜の足音が彼女を焦らせる。遠い異国の街で囚われ人を助け出すだけでも困難であるのに、夜戦ともなれば犠牲を覚悟せねばならない。
そして、なにより、攫われたのは想いを寄せる幼馴染だ。優秀な将校たる彼女でも冷静でいられるわけがない。そんな揺れる情緒が夕日の美しさへと、感情と思考を逃避させたのだろうか。
「見えてきました! あちらです!」
道案内はアルテプラーノ公使館に雇われたヴェリアル人の小姓に任せていた。彼女らの介入を望まないモデルトレデト大佐の協力を得られなかった一方で、積極的な介入を望む駐在公使の使いに案内させたのだ。
その彼が示した先に篝火を灯した門が見える。大きくはないが堅牢な作りだ。そこが彼女たちの最初の目的地、テファンベル館である。
「ここが碧空騎士団の屯所です」
「ご苦労」
息の上がった小姓に促されるまま、下馬したアニエミエリは門を抜けようとした。エルルティスもそれに続く。
「そこな異人! 我らトリスロス侯隷下碧空騎士団に何用かッ!?」
番兵が立ちふさがった。騎士の従者らしき番兵は斧槍で以って、行く手を居丈高に遮る。小姓の男などはそれだけで腰を抜かしかけたが、アニエミエリは恐れずに怒鳴り返した。
「何用も何もあるか!」
焦りのあまり怒気を含んだ母国語になってしまった。あわてて神聖語に切り替えるも、怒りは収まらない。彼女たちが何者か知って邪魔しているからだ。
「我々はアルテプラーノ陸軍の者だ。指揮官に会いたい」
「ならん! 軟弱腑抜けな宮廷貴族ならいざ知らず、我ら碧空騎士団は異人の女の指図など受けんッ!」
騎士どころか一兵卒にいたるまでがこの反応である。この騎士団の士気の高さと、思想の偏りは容易に察することができた。
おいそれと取り次いでもくれないだろう。
「どーする? むりやり通る?」
長身を屈め、エルルティスが耳元で囁いた。一見、平静を保っている彼女もまたオリビノエイタを心配しているのだ。
帝都に駐屯する諸侯お抱えの騎士団は近代国家でいうところの警察に相当する。だから、さすがに事を構えるわけにはいかないが、その誘惑がアニエミエリを揺さぶった。
「と、とんでもねぇ!」
エルルティスの言葉に、小姓は声をひっくり返した。先祖代々平民の彼は斧槍が恐ろしいらしい。
「碧空騎士団はできたばっかりで位もそんなに高くないですし、カネのかかる騎馬も大仰な紋章も持っちゃおりませんが、帝都最強の剣客集団なんですよ!」
男は一気に言った。
「ふーん、最強ねー」
エルルティスの呟きを聞きながら、アニエミエリは自身の危惧するところが現実になりうるのだと思った。つまり、このままでは最強の剣とやらでオリビノエイタも斬り捨てられてしまうのではないかと。
「そういうことだ! わかったらそこを退けい!」
よっぽど、六連発とエルルティスを使って門を突破しようかと思った。しかし、その必要はなくなった。
「いいじゃないですか。グレクスさんは嫌がるでしょうけど、僕は会いますよ?」
少し高い声。
「エリーティングス殿!?」
番兵が驚いて振り向くと、そこには甲冑姿の若い騎士が立っていた。アニエミエリもそちらを見ると、鋭い視線がこちらを向いていた。
歳は若く二十歳前後。騎士ではなく従騎士かも知れないが、アニエミエリには見分けがつかない。背丈はアニエミエリより高く、エルルティスよりは低い。質素だが重厚な甲冑に紺碧のマント。そして、女性と見間違えるほどの美しい細面。
男性優位の身分制封建社会はもう千年も続いている。当然ながら女性の騎士などいないのだから男に違いない。今度戴冠する皇帝だけが、旧大陸列強を意識した例外だ。
「ピ、ピアニエ・イェンスト・エリーティングスだ……!!」
小姓は番兵の斧槍よりも金髪碧眼の青年騎士を恐れ、その名を口にした。アニエミエリは目を逸らさず問うた。
「誰?」
「帝都最強の碧空騎士団の中でも、魔神より強いって評判の剣士ですよ……!」
騎士ピアニエはそれを聞いてくすくすと笑った。
「帝都の人たちってそういう講談話みたいなの好きですよね」
大げさな噂を否定しないところを見ると腕によほどの自信があるのだろう。
魂まで近代化してしまったモデルトレデト大佐と比べるまでもない。ドレスの似合いそうな顔をしていながら、武人たる騎士にふさわしい心の持ち主のようだ。オリビノエイタが見たら喜ぶことだろう。
「あ、異人の兵隊さん。今から出陣しますから、ついて来たかったら勝手にどうぞ?」
ピアニエの後ろには十数人の騎士たち。誰も彼もが自信に満ち、自ら一騎当千の力があると態度で主張している。
交差する視線に敵意が篭る。
「その代わり、敵と間違えて斬ってしまうかも知れませんけどね」




