第三節
「ひどいよ、アミー」
城門を抜けた途端、オリビノエイタは悲しげに呟いた。いつもなんだかんだと大変な役目を与えられてしまう。これも仕事の一環だとわかっているのに、練兵場からつい逃げ出してしまった。彼女を責める言葉を口にしてはみたものの、続くのはため息だけだった。
帝都の城門は一種の関所になっていて、本来なら容易に通行することなどできない。普段は税関であり、夜間や戦時においては閉め切られて帝都は巨大な城塞となる。しかし、外国人であるオリビノエイタは治外法権で守られている。この国の法が適用されないのだ。
だからこそ、彼はすんなりと都内に入ることができた。
「やっぱりすごいなぁ、千年の都は」
今朝は堪能する間もなく馬車で過ぎ去ってしまったが、帝都クロスフェールの美しさは筆舌に尽くしがたい。エドゥアニカ山脈で切り出された白影岩をふんだんに使った白亜の尖塔に白亜の敷石。現在の形になるまで数百年を要した典雅な街並み。もちろん、旧大陸諸都市やマリーワールと違い、ガス灯や電信柱など一本もない。
街を散策するうちに、オリビノエイタの憂鬱は徐々に晴れていった。涙目もいつしか別の輝きに変わっていた。
「よってらっしゃい、見てらっしゃい! 明後日はいよいよ皇帝様の戴冠式ィ! そんなおめでたい日和にゃあ、こちとら銭儲けなんのと言ってらんねぇ! さぁさ、安いよ安いよぉ!」
威勢のいい客引きは市場の露天商だ。買い物客でごった返す市場にあって、その声はしっかりとオリビノエイタに届いていた。訛からして帝都在住の商人だろう。
「おっ! どうだい、そこ行く異人さん! 今朝、届いたばかり! ヴェリアル名物の赤林檎だよ!」
おろおろとしていた城門の番兵とは違い、どうやら商人は外国人を恐れないらしい。言葉が通じようと通じなかろうと関係ないのだろう。
幸い、オリビノエイタは訛を解するほど神聖語が得意だった。
「あ、これが赤い林檎ですね! ひとつください!」
オリビノエイタは身を乗り出して買い求めた。旧大陸に赤い林檎はなく、西新大陸から輸入されたものは高級品なのだ。
「あいよ! ひとつ銀貨二枚! まいどありッ!」
値札には銀貨一枚と書かれているが、彼らにしてみれば羽振りのいい外国人相手の商売だ。それに、旧大陸ではその二十倍にも値が跳ね上がる。オリビノエイタは気前よく払うことにした。
「異人さんも戴冠式がお目当てかい?」
露天商は満面の笑みで赤い林檎を差し出しながら訊いた。
「あ、いえ、それもあるにはあるんですけど……」
お目当てと言われて急に思い立った。知識でしかない固有名詞を口に出すには、少しばかり勇気が必要だった。
「あ……! あの、〝赤龍館〟って、どちらですか?」
そこは宮廷魔術師たちが勤める役所と聞いている。
「ああ、魔術目当てかぁ。魔術師様は貴族様みてぇなもんだからなぁ、おいそれとは会えねぇのよ?」
「そうですか……」
落胆するオリビノエイタに構わず、帝都の商人は笑顔で続けた。
「でも、まぁ、赤龍館の前まで行きゃあ、チラッとくらいは見えんだろ! 楽土大聖堂の向こうっかわで、ちぃとばっかし遠いから辻馬車でも拾うんだね!」
彼はそう言うと馬車も行き交う大通りを教えてくれた。本当は歩いて向かいたかったのだが、なにしろクロスフェールは広大である。迷わぬためにも、オリビノエイタは辻馬車に乗った。
途中、有名な楽土大聖堂の前を通った。帝都最大の大伽藍で、今は戴冠式を待つ帝冠が収められているという。僧兵たちによる物々しい警備が印象的だった。
お目当ての赤龍館は官庁街の最奥にあった。魔術というおどろおどろしい言葉とは関係なく、荘厳な白亜の邸館である。帝冠赤龍旗が誇らしげに翻っている。
広場でただ突っ立って景色を見ることしかオリビノエイタにはできなかったが、さまざまな色のローブを纏った人々を見ているだけで少年のように心躍らせた。
従者を従わせて馬車に乗り込む白いローブの老人は宮廷魔術師だろう。自分と変わらぬ年頃らしき緑のローブの男はモークロッド学園からやってきたに違いない。
そして、帯剣した男の背中を追う、赤いローブの少女がひとり。
「あ……」
クロスフェール駅でぶつかった赤い瞳の女の子。
「今朝の……あの子だ」
このとき、抑えきれない衝動がオリビノエイタを支配した。今朝方、初めて見た、魔力の宿る赤い瞳。握る林檎よりも深い深い赤。
オリビノエイタはなんとはなしに魔術師の少女を追いかけてみることにした。たったそれだけのことが彼の運命を変えるとは、女神プラニラムとて気づかなかったことだろう。




