第二節
「くっそぅ、師匠め!」
赤龍館を出た途端、ミューネは憎々しげに呟いた。いつもなんだかんだと嵌められて面倒な仕事を押し付けられてしまう。これも修行の一環だとわかっているが、体よく使われているだけな気もする。悪態をついてはみたものの、続くのはため息だけだった。
庁内ではどこに師匠の〝目〟や〝耳〟があるかわからないから、ここまで文句を我慢していた。師への文句など本人に聞かれようものなら、どんな酷い目にあうかわかったものではない。
だからこそ、見知らぬ騎士に話しかけられて、ミューネは必要以上に驚いた。
「貴公が王立魔術院のミューネ・ルナッド・リューゼ殿であるか?」
「ひぅ!? あ……はい! そうです、ミューネ・ルナッド・リューゼです」
おかしな声を出しながらも、ミューネはおとなしく頭を下げた。相手は身なりのいい帯剣した男――騎士だった。
「突然失礼致した。余はポテルクワ城伯と申す」
エルデルドー砦で出会ったどこぞの男爵と違い、ポテルクワ城伯と名乗る貴族は時代錯誤と思えるほど丁寧で謹厳な話しぶりだった。尊大であっても嫌な気分にはならない支配者の風格。
「デュー博士から事情は伺っておる。リューゼ殿の〝お勤めの件〟を微力ながら余がお手伝い致そう」
「へ?」
なるほど、この騎士は師匠エルト・カール・デューからの手助けだったのだ。
「あ、ありがとうございます!」
叛徒による大逆など一介の助手にはどこから手をつけていいかもわからない。師匠はそんなミューネのために彼を遣わしてくれたのだろう。
「ここでは話すのも憚られるな。ついてくるがよい」
「は、はいっ!」
上質なえんじ色のマント――正装ではないため、家紋の類は見当たらない――を翻し、武人然とした騎士は先を歩いた。
城伯は四十路手前だろうか。蓄えた顎鬚も、広い肩幅もいかにも力強い。ポテルクワという国も城も知らないが、人望ある領主に違いない。
歩幅の差が大きいせいでどうしても追いつけず、ミューネは彼の後ろをひょこひょことついていく形になった。自分の体格を呪う。
足よ、背よ、もっと伸びよ。でも、ふとももは痩せよ。
そんな冗談、もとい、本気の願望が頭を巡るうちにふたりは赤龍館を離れ、官庁街を離れ、帝冠の安置される楽土大聖堂を通り過ぎ、小さな路地にたどり着いていた。大通りの喧騒も遠く、周囲に人影はない。
「ふぅ……」
中天へ向かう日の光も陰る裏路地でポテルクワ城伯はため息ひとつ、ゆっくりと振り返った。
「子女相手に騙まし討ちとは騎士道に反するが……魔術師相手ゆえ、それも致し方あるまい」
「へ?」
ただならぬ気配と不穏な言葉でミューネは後退った。だが、いつの間にか背後にも人の気配。見るとそこにもマントを羽織った騎士風の男。
突然すぎて、騙されたことにも気づけないミューネ。
「おとなしくしておれば怪我もするまいて」
ポテルクワ城伯はさっと長剣を抜き放った。そこでようやくミューネは身の危険を感じることができた。薄暗い路地でも刃がぎらりと輝いていたからだ。
遠くから大聖堂の鐘の音が聞こえる。