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ホラー短編

メス

作者: きり

昔書いた軽いホラー、のつもりです。

とある連載方式で書いたやつの一部だけ投稿しました。

お楽しみいただけたら幸いです。

 男は白衣を脱ぎ捨てると、そのままロッカールームを足速に後にした。心の中にはやるせなさしか残ってない。

 見送る看護士達はその姿を確認して、噂話の続きを始めた。


「ね、ね、本当なの?あの人眼科医なのにメスのコレクターだっていうの」

「うん、そうみたいよ。先生が以前いた病院に勤めている友達がね、休憩時間にメスを眺めている所を見たんだって」

「うん、それで?」

「その時の表情が忘れられないって。目の前に天使でもいるかのようにメスを持ち上げて、微笑むようにじっと見つめて動かなくなるんだって」

「うゎ、想像したら鳥肌が立ってきたわ」

「とにかく、それを見たのが友達だけじゃなくて、結構いろんな人に見られていたんだって」

「はー、その噂で前の所にいられなくなった、と」


 くそ、と胸中つぶやきを漏らした初老の眼科医は、ふとため息を吐き出した。以前はこんな事はなかったのに。吐き出した吐息が、冬の寒さに白く固まる様を見ながら一年前を思い出していた。

 そう、ほんの一年ほど前だったのだ。

 あの日もこんな寒い日で、やけに忙しい一日だったのを覚えている。診察疲れから、普段は飲まないお酒でもと思い、帰り道の小料理屋に立ち寄っていた。

 久しぶり、と女将に声をかけられ、いつのまにか座って酒を飲んでいた。

 その時だ。なんとはなしに、隣に座っている客と女将の会話を聞いていて、耳を奪われたのは。


「最近、非常に珍しいものを手に入れたんですけど、買い手がつかないんですよ」

「へぇ、それはどんなものなの?」

「メスです。あの手術なんかにつかう」

「それの何処が貴重品なのかわからないねぇ」

「そりゃ何も話していないしねぇ。まぁ、まずは聞きなさい。これは曰く付きなんですよ」


 そう言うと、男は足下に置いてあった黒いアタッシュケースから桐の箱を取り出し、中から布に包まれた一本のメスを手に持って見せた。


「これなんですよ」


 その男が目の前に掲げ持っているのを見て、眼科医の心が何かを訴えるように震えた。ちょっと薄暗い店内の中で、メスは貪欲にわずかな光をも取り込み、自ら光っているかのようにギラギラと反射をしていた。


「うーん、確かに何か吸い込まれる感じはするわね。でもテレビで見るメスもこんな感じするけどねー」

「女将、馬鹿言っちゃいけない。普通のメスなら俺が扱うわけないでしょう。これはね、切り裂きジャックの使っていたと言われているメスなんですよ」

「んー、切り裂きジャック……なんか聞いた事あるわねぇ」


 その話を聞いていた眼科医がふと我に返り、話に参加し始めた。


「失礼ながら、先程から聞くとはなしに聞いていたのだが、面白そうな話だね。是非、私も加えて頂きたい」


 女将と男性客はちょっと驚いたように振り返ったが、すぐに女将が紹介を始めた。


「あら、先生珍しいわね。いつもゆっくりお酒を飲む事が多いのに。こちらは○○付属病院にお勤めの先生、で、こちらの方は骨董品など見つけてきては販売している方よ。世界中ふらっと歩いては、古い物を見つけて口八丁で売りつけている人だから、先生も注意してね」


 笑いながら紹介を終えた女将に対して、この古物商も、それじゃまるで詐欺師じゃないか、と答えている。


「ね、それで先生。そんなに面白そうな話なの? 私なんかだとメスって聞いても面白そうじゃないんだけど」

「あ、そうでした。”切り裂きジャック”と聞いたものでさすがに堪らずお話を拝聴しようと思いまして」


  古物商は注意深くメスを布でくるみ箱の中に戻した。それから話を始めた。


「女将は切り裂きジャックを知らないんだね、さすが先生は知ってらっしゃるようですが。じゃ、簡単にお話しましょうかね。切り裂きジャックとは昔、そう一八八八年の八月三一日。英国のイーストエンドから始まった、猟奇殺人を繰り返した犯人に付けられたあだ名の事で。まぁ厳密にはあだ名ではないのですが、とりあえずこのまま続けますよ。そう英国の片隅の通り沿いで売春婦が殺されました。手口はナイフのようなもので体中を斬りつけるものです。最初の殺人の時は、まぁ異常者の犯行という事で捜査が始まったようですが、これが二人、三人と女性が殺されていくにつれ、次は誰だ、という恐怖がロンドン中を支配していったのです。そう、先生のおっしゃるとおり、この殺人は五人目まで続きました。そして被害者の殺され方から、犯人は外科手術の心得があるものじゃないかとの説が、かなり有力になってます。え? 実際はどうかだったって? それが犯人はいまだに闇の中なんですよ。結局見つけられなかったんですね。容疑者は何人かいたようなんですが。じゃ何でジャックなんて名前なのかって? 女将するどいねぇ、実ははしょった話の中にあるんだが、犯行現場の壁に文字が書かれていたらしいんだな、これが。それがジャックという説もあるし、スコットランドヤードに犯行声明が届いた、という説もある。その辺は諸説紛々で、さすがに私程度じゃ手が出なくてね。まぁそんな訳で、探せばもしかしたら犯行当時にメスを使っていた可能性もあるだろうし、表立ってないだけで、実は裏では犯人も凶器も見つかっているんじゃないかって、ちょっと探してきたんでさ」


 たまに相づちを打つ女将や、補足を入れる眼科医、そして古物商の男三人だけがいる店内で、ふとした沈黙が広がった。長い話が終わり、現代に戻ってくる儀式のような感じだった。

 今まで半眼で聞いていた老医師が、瞼をしっかりと開き、男を見つめていった。そのメスを譲ってもらえないか、と。すると女将が慌てたように、


「駄目ですよ先生、こんな人に騙されちゃ。それに縁起が悪いじゃないですか」

「大丈夫だよ、縁起が悪いとかじゃなくて、浪漫を買うと思うのだ。約百年前に起こった殺人事件の真相を知っている、沈黙を語るメス。良いじゃないか」


 その後、必死に止めさせようとする女将を無視して、男二人は商談をまとめてしまった。最後に古物商が、


「いいですね、私は確かにジャック縁の品と信じて購入しました。そしてそれを保証する物は私の言葉だけしかありません。それでも構いませんね? 後で違った、と言われても知りませんからね」


 と伝える。

 それでも構わない、という老医師の承諾によりこの商談は成立した。自分でも何故そこまでして欲しかったのか理解できない。だが、とにかく家路を急ぎ自室に戻った途端、ほっと座り込んだ。

 本来ならばすぐにでも取り出して見てみたい。そう思いつつも、落ち着いてゆっくりと鑑賞しよう、という考えも出てくる。

 老医師は、一端着替えをして風呂に入り、気を落ち着けた状態にした。その後、居間に箱毎持って移動し、ソファに腰を落ち着けてゆっくりとメスを取り出した。そして明かりで煌々と照らされている居間では、メスは狂ったような反射を繰り返し、何とも言われぬ快楽を医師に与えるのだった。

 それからの老医師は、他のメスも同じような効果があるのだろうか、と様々なメーカーのものを取り寄せては集め始めた。いくつか気に入ったのもあったが、良く切れそうだ、というだけで”ジャックのメス”の時に感じた快楽は味わえなかった。

 そして現在に戻り、一年後。

 目が不自由になった不遇の青年芸術家をなだめ、また移植を待つしかないと告げた時、内心は歓喜に満ちていた。やった、また手術が出来る、と。

 ところが午後の会議で、残酷な決定が下る。


「今日から君は指導要員として、後輩の育成にあたってくれたまえ。」


 そう告げられた老医師は、午後の手術の事で頭が一杯だった。その為、理事会の決定が誰の事を指すのかが分からなかった。が、さすがに医局に戻ってくると、これからもがんばってください、と看護士達から言われて、私の事だったのかと気づく。


「そんな馬鹿な、何故なんだ」


 午後の手術はすでに若手の眼科医に担当が譲られており、引継さえ必要ない状態になっており、病院に居る必要は無くなっていた。そんな中、一年前に購入してからの、いつもの儀式の時間になる。

 病院から帰ると、深夜一二時丁度にメスを取り出し、それまでに買った他のメスと対面させるのだ。

 両方のメスを並べて机の上に置いておく。そしてじっと見つめていると、微妙に両方が寄り添い始め、ふと気づくと新しいメスの刃が砕けているのだ。それを見た医師は喜びに満ち溢れ、やはりこのメスは意識を持っているのだと確信する。そんな新しいメスを俺と同格に扱うな、という証拠だと信じている。その後「よしよし、確かにお前なんかと並べて悪かった」とあやしながら箱へとしまうのだった。

 今日もまたこのメスが私の気を落ち着けてくれるに違いない、と信じた老医師が儀式に入る。新しいメスを取り出し机に並べ見つめる。ジジッと微かな音がして寄り添い始めた。その後意識がふと遠くなったかと思うと、目の前にメスの刃が見える。今置いた新しい方のだ。


 ふざけるな、お前みたいな新人が俺にかなうと思うな!


 と怒りで一杯になりながら激しくぶつかっていく。それを三、四回繰り返した時にチンッという音と共に刃が砕けた。


 ふぅ、手間かけさせやがって。


 視線を上に投げると、そこには惚けた表情の自分がいる。口を半開きにして白目を露出させた状態になっている。涎は垂れ、弛んだ皮膚やシミまでもが見える。


 くそ、こんなに醜い姿を人前に見せるな。恥ずかしいだろう


 そう思った瞬間、メスは老人の喉元に向かって飛びついていった。

 翌日の朝になっても出てこない夫を不審に思い、決して入ってはいけないと言われていた書斎をノックした。が、返事はなく、病院への出勤時間も迫っていた事から中をのぞくと、メスが喉を切り裂いた状態で事切れている自分の夫を発見した。

 一端は意識を失ったものの、すぐに救急車を呼んだ。救急隊の連絡で警察が調査にやってきたが、付近に散らばっているメスには老医師の指紋しか付着しておらず自殺と断定した。しかし付近にあるメスは一本残らず刃が砕けており、両手には何も握られていなかった為、どのメスが使われたか凶器の特定に難航しているという。

 その中に「切り裂きジャックのメス」と呼ばれるものが無い事に、気づく者はいない。

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