2人はリンクする‐2
学校は彼にとって、退屈で無意味なものでしかなかった。信頼している繭村と、お気に入りの本があるだけで淳也は満足だった。
でも彼女に出逢ってから、彼は満たされない気持ちを抱えた。
「彼女」との再会を想い、彼は定期的に駅へと赴いていた。もし出会えたらまたお礼を言って、そしてお互いの事を話し合いたい。そんな甘い想像を膨らませながら彼は待ち続けていた。
そしてあの日に、奇跡は起きた。
図書館で寝過ごし、いつもより遅く帰宅した淳也は私服に着替えた後すぐに駅へと向かった。止んだ雨の残り香を鼻孔に感じながら、逸る気持ちを抑えて乾ききっていないアスファルトを歩いて行く。
そして駅前に着いてすぐに眼に入ったのは、腰かけに座るあの女の子の横顔だった。
制服姿で、どこか不安げに周りを見渡す彼女。淳也は自分の心臓が痛いほどに跳ね上がるのが分かった。帰宅ラッシュの人混みのなか、彼の眼にはその娘だけがなぜか眩しく見えた。
迷わずに声をかけると、彼女は眼を見開いて淳也の顔を凝視した。彼女もこの再会を夢のように思っていたのだろうかと彼は期待した。
「やっと見つけた」と思わず呟くと、彼女はそれに頷くようにして微笑んだ。それを見逃さない淳也は、ああ、やっぱりこの子も自分を待っていてくれたのかもしれないと、胸が熱くなった。
「……あの、となりに座ってもいい?」
「あ、どうぞ」
彼女のとなりに腰を下ろす淳也。今日は気温が低いと言っていたが、自分の右半身だけはなぜか熱を持ったように温かい。
「誰かと待ち合わせしていたの?」
「いえ、違います」
そう言ってなんとなく恥ずかしそうに顔を背ける彼女。
「実は、何となくあなたに会える気がして……」
「え、本当に? 俺もずっとそう思ってて、時々こうやって駅に来てたんだ」
淳也が身を乗り出すようにしてそう話すと、彼女も驚くようにして口元を押さえた。このときから、彼らは何か運命的な出逢いをお互いに感じてのかもしれない。
「そういえば、名前を聞いてなかったね」
「あ、戸川里花です。N高の3年です」
「夏見淳也。同い年だったんだね。
あの、もし時間があるならもう少し話さない?」
淳也の提案に、彼女はすぐにカバンを肩に掛けた。
* *
場所を移し、彼らは近くのカフェへ入った。大手チェーン店だが店内はわりと空いていて、2人は注文したカップを片手に窓際の席へと腰を下ろした。もちろん淳也の奢りだ。
外との温度差で耳や頬がポカポカとするが、理由はそれだけではないと2人にはなんとなく分かっていた。こうして向かい合って座るだけで、くすぐったく気恥ずかしい雰囲気が流れる。
淳也はエスプレッソ、里花はカフェラテをとりあえずといった感じで一口啜った。
「注文するときドキドキした」
「え?」
「だって前に1回くらいしか来たことがなくて緊張したよ。注文した後、どこらへんに立っていれば良いのかとか……」
栗色の髪の毛を掻きながら、本気でそんな事に悩んで恥ずかしそうにしている淳也を見て里花は小さく吹き出した。
「そんな風に見えませんでした。完璧でしたよ?」
「うん、だから少しホッとしてる」
笑みを浮かべつつも、電車に一人で乗ったことがなく、カフェにも行き慣れてない男の素性が里花には少し気になるところだった。
「ところで里花ちゃん、その話し方やめない?」
「えっ……」
敬語を止めてほしいという事よりも、“里花ちゃん”に不意を突かれる。異性に言われたからなのか、それとも淳也だからこそ動揺してしまったのか、今の彼女には分からない。
「う、うん、気を付けます……」
「言ったそばから」
「あっ、気を付けるね」
慌てて訂正する里花を、淳也は頬杖をつきながら微笑ましく見つめた。全く飾らないその仕草や言動が、彼には好ましかった。
「そう言えば、夏見くんはどこの高校に通ってるの?」
「K学院」
「え、そうだったの?」
さして何でもない風に、どちらかと言えば興味がないような様子で答える淳也とは違い、里花は芸能人にでも出会ったかのような眼差しを彼に向けた。
K学院は都内でも有名な私立の男子校だ。難関大学への進学率や整った校内設備、ネームバリューの代償は高額な学費で、ほとんどが富裕層の家庭の生徒だった。
左胸に金糸で刺繍された校章がやけに目立つ濃紺のブレザーを羽織った姿を見つけるたび、たいていの女子は無条件に憧れを抱くものだ。それほどこの学校は、世間とのあいだに線が引かれたような、まるで神聖なものとして扱われることがしばしばある。
「K学かあ……」
感嘆の含まれた声で、彼女は無意識にそんなことを言っていた。淳也の方は素知らぬ顔でカップに口を付け、ふとテーブルの端に置かれたペーパーナプキンとボールペンに目をやった。
何かを思い付いたのか彼はおもむろにそれを取り出し、黙ってボールペンを動かし始めた。その様子を里花も不思議そうに見守る。
「あの、これ」
何かを書き終えて彼が差し出したペーパーには、携帯のアドレスと番号、それに名前が書き添えられていた。
「家出るときに携帯忘れたんだ。良かったら連絡して」
「……」
まるでドラマの演出のような事をさらりとやられ、里花は照れくささを抑えながらその文字をまじまじと見つめた。
「すぐに連絡するね」
「うん、待ってる」
彼女の中で、この紙を世界中の人に自慢したいような、そんな興奮がじわじわと湧き上がっていた。里花はそれを絶対に手放すまいと、大事そうにポケットにしまい込む。
彼女にとってそれは、彼が自分に教えてくれた、2人をつなげる“呪文”のようなものだった。