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3人が幸せになる道

 


 燦々と降り注ぐ太陽の光が、リビングの薄いカーテンを通して漏れていた。

 そんな明るさとは対照的に、3人の間には重々しく張り詰めた雰囲気が漂う。


 淳也は、思いの丈を語り始めた。


「ずっと前から言っているように、俺は病院を継がない。今もその意思は変わってない」

「……」

 反論はもちろんあるだろうが、千恵子は黙って息子の話を聞いた。


「高校を卒業したら、大学には行こうと思ってる。そこで自分が何をしたいのかよく考えたい。この家も出て、一人暮らしをする」

「その費用は一体誰が出すというの?」

 千恵子は鋭い眼光で淳也を見た。


「そのことだけど、祖父ちゃんの家に頼みに行って、学費と、部屋代の半分を貸与っていう形で援助してくれることになったんだ。で、就職したら毎月いくらかずつ祖父ちゃんから借りた分を返していくっていうシステム。2人が捺印した誓約書もちゃんと作ったよ」

「……」


 すでにそこまで、この家から離れる計画を用意周到に進めていたことに、千恵子は歯軋りしそうになる。竜之介が淳也の味方であることは知っていたが、そこまで気を回さなかったのは迂闊だった。


「それにね、今度バイトも始めるんだ。来年に向けてちょっとでもお金を貯めておきたいから」

「なんですって……?」

 これには裕紀も、隣にいる兄の横顔を思わず凝視した。あの世間知らずな兄が、社会への一歩を踏み出そうとしている。

「まあ、とにかく、直接この家には迷惑かけないつもりだから安心してよ」

「……」


 千恵子は口を噤み、目線を外してじっと手元を見つめた。


「……ご立派な計画だけど……私があなたを勘当すると言ったらどうするの?」


 身を裂くような手段を選ぶとき、母親はこんな姿をするのだと淳也はぼんやりと思った。彼女は眉間に皺を寄せ、唇を震わせ、軽く拳を握っている。

 彼はひとつ、大きく呼吸した。


「世間一般から見ても、俺は何も間違ったことはしていないと思ってる。だから勘当されるのは全くの筋違いだ。でも、それでも母さんが勘当するというなら、それも仕様がないことかもしれない」

 

 淳也は静かに続ける。


「でもね、母さんの考え方は、最初から根本的に間違ってるんだ。だって俺たちは3人家族だ。どうして残り1人の存在を無視するの?」

 彼は裕紀の方を見つめた。釣られるようにして千恵子も見つめる。


「詳しいことは、このあと裕紀の口から話してもらうことにするけど、コイツは将来、本気で病院を継ぐ事を考えてる」

「え……そうなの?」

 確認を求めるようにそう訊くと、裕紀は下を俯いたまま微かに頷いた。

 初めて胸の内を明かした瞬間だった。


「もうずっと前からあなたは、取り憑かれたように俺ばかりに期待を寄せていたけど、それが裕紀を苦しめてたんだ。……コイツのことを、もっとよく見てよ」

「……そんな……」

 途方に暮れた様子で千恵子は唇を震わせていた。


「ねえ、全員が幸せになれる道を選ぼうよ。

 俺は自分の力で生きて、もっと広い世界を見てみたい。裕紀は病院を継いで母さんを支える。そして母さんは……もう意地になって1人で頑張らなくて良いんじゃない?」

「……っ」


 それは本当に久しぶりに、淳也が母に向けた微笑みだった。

 やさしく頭を撫でられるような、慰めにも似た笑み。


 千恵子の眼に、かすかに涙が浮かんだ。


「これでもまだ、俺の進路や里花ちゃんとのことは認めないって言うならそれでも良い。この先何年かかっても、絶対認めさせるから」


“俺は母さんには手に負えない息子なんだよ”とでも言うような表情を彼は浮かべた。


 淳也はゆっくりと席を立った。

「俺の話はこれで以上。じゃあ、あとは2人だけで」

 弟に意味深な目配せをし、淳也はこの場を去ろうとする。

 その背中に、千恵子は声を掛けた。


「勘当なんて、出来るわけないわ」


「……」


「夫がいなくなった上に自分の子供を手放すなんて、無理なのよ」


 自嘲気味に放ったその言葉に、淳也は背を向けたまま答えた。

「うん、分かってる」


 ―――それは、ある休日の午後。確実に何かが変わった瞬間だった。






   *   *






 淳也が出て行った後、裕紀が千恵子にどんな事を話したのかそれは分からない。

 

 でも次の日の朝、寝坊してきた裕紀に、少しぎこちなく、でも母親の慈愛に満ちた笑みで「おはよう、遅れるわよ」と言っているのを、淳也は見逃さなかった。



 淳也の進路や里花との事については、はっきりと認めるような発言は今の所されていない。多分、まだ全てを受け入れることはできないのだろう。

 でも、彼女の纏う空気が明らかに変化したのは事実だ。

 それだけで、淳也は希望が持てた。







 その日の夜、彼は居ても立っても居られず、「少し出てくる」と言い残し家を出た。


 ほとんど使われていない、夏見家に一台だけ存在する自転車。

 物置の脇からそれを引っ張り出し、淳也は鍵を差し込んだ。久しぶりのペダルを漕ぐ感覚に、少しバランスが失われそうになる。

 危なっかしく走行しながら、薄暗い道を20分ほど走った。

 着いたのは、彼女の家の前だった。





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