準備は整った
“家庭教師”を選んだのは、それなりの給料が出ることと、単純に自分に向いていそうだと思ったからだった。IQ190を誇示するつもりなんてないが、ここでそれを生かさない手はないと淳也は思った。
生まれて初めて履歴書を書き、証明写真を撮った。履歴書は下書きをして、書き初めをするよりも慎重にペンを走らせた。電車で数十分ほどの所にある本社で面接と採用試験を受けたときも、念には念を入れてあらかじめ時刻を確認し、30分前には駅に到着できるようにした。
自分で応募の電話をかけ、自分で必要なものを準備し、責任を持って動く。たった数日の間に、淳也は多くのことを経験していた。
この事を繭村に話すと、彼は笑い交じりに驚いた顔をする。
「どうしたんだ急に。卒業してからでもいいんじゃないのか?」
「いや、今じゃないと駄目なんだよ」
「ふうん……で、採用されたのか?」
「うん、昨日電話があって、とりあえず来月から始めるんだ」
誇らしげに報告する淳也を、繭村は「よかったな」と祝福した。
アルバイトを始める理由は分からないが、繭村は、彼が巣から飛び立ってゆく準備を着々と進めているのを頼もしく、そして少し寂しく感じていた。
* *
病院に乗り込んで啖呵を切った日から、数日後の休日。
その時が来たと淳也は思った。
千恵子と裕紀には、今日は家に居て欲しいという旨はすでに伝えた。あとは、何をどのように話していくか、彼は朝から自室に籠ってじっと考えていた。
久しぶりの、3人の昼食。
ダイニングテーブルには、1つ椅子を空けて並んで座る淳也と裕紀、そしてその向かい側には千恵子が座っていた。
パスタのデリバリーを、彼らは黙々と頬張っていく。
夏見家の運命を左右するかもしれない事が、これから起こる。そんな予感がここに居る全員を包んでいた。
あらかた2人が食べ終わったのを見計らい、淳也はコップの水を一口啜り喉を潤した。
「少し、話をしたい」
切り出した言葉に、微妙な緊張感が含まれてた。
「これからの事について、はっきりさせたい」
淳也は、千恵子と裕紀の瞳を交互に見つめた。