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不安が重なる



 昼休み。彼は屋上にいた。

 6月の陽気が心地よく、新緑の青々とした景色が彼の頭をよぎる。夏はさほど好きではなかったが、里花と過ごす夏なら好きになれそうだと思った。

 淳也は風を受けながら目を細め、フェンス越しに下に広がる街並みを眺めた。大そうな詩でも浮かんできそうな気分になる。



 しばらくそうして過ごしていると、後ろのドアが開く音がした。

 振り返ると、そこにはよく知った顔があった。

「……裕紀」

「……」

 弟は、最悪のタイミングだと言わんばかりに気まずい表情を浮かべていた。そして何事もなかったかのように無言でその場を離れようとする。


「ねえ、逃げないでよ」

 挑発するような言葉に、裕紀は立ち止まった。

「そんなに俺のことが嫌い?」

「……お前と2人きりってだけで気持ち悪いんだよ」

「ふうーん」

 フェンスに寄り掛かりながら、淳也はある事を思い付く。

「じゃあ、2人きりでなければ良いんだよね?」

「は?」

「行こっか」

 淳也はそう言うと、裕紀の腕を強引に掴んで屋上から連れ出した。

「おっ、おい! やめろよ、放せよ!」

 裕紀はその手を振り解こうと抵抗を試みるが、それは思ったよりも強靭だった。成長途中の自分の非力さを思い知らされた気がして、また裕紀は超えられない年齢差を感じた。

「はいはい静かにしようねえ」

「うっせー、放せ!」


 そうして引き摺られるように校内を歩かされ、到着したのは数学準備室の前だった。

「はい、着いたよ」

「は? 何でここ……」

 淳也がドアを開けると、いつも通りそこには繭村がいた。

「こんにちはー」

「おい、どうしたんだよ兄弟そろって。雪でも降るんじゃないのか?」

 珍しい2ショットに繭村は目を丸くさせた。ちょうどここで昼食を食べながら、教材のプリントを作成していたらしい。


「俺と2人きりになりたくないとか言うから、ここに連れてきた」

「ふうん、まあいいけど。とりあえず座れよ」

 促されるまま、彼らはソファに腰を下ろした。裕紀は明らかに端の方に寄って、兄との距離を空けているが。


「……なんで拉致られたのか全然分かんないんだけど」

 淳也から顔を逸らしたまま、不機嫌さを1ミリも隠そうとしない裕紀。

「それは、お前が全然話をしようともしないで勝手にひとりでいじけてるからでしょ」

「なっ! あのとき兄貴がムカつくことを言ったからだろ!」

「いや俺のせいにしないでよ。俺は自分の気持ちははっきりと伝えたんだから」

 繭村は作業を続けながら、そんな兄弟喧嘩のBGMを微笑ましく聞いていた。


「で、医者になって跡を継ぎたいと思ってるのは図星なんでしょう?」

「……」

 無言が彼なりの肯定の仕方だ。

「自分の口で母さんに言わないと何も始まらないよ。あの人全然そういうの気付いてないから」

「んなこと言っても無駄なだけだろ。母さんは跡継ぎには兄貴しか考えてない」

「そんなこと、自分が説得してやろうって思わないの? お前はべつに馬鹿じゃないんだし」

「……兄貴に言われても全然嬉しくねえ」

 ソファの背に深く身を預けながら、裕紀は独り言のように呟いた。淳也はその横顔を見て気付いた。ああ、コイツは自尊心が欠けているのだと。


「まあ、いつまでもそうやって、ひとりで苦しんでればいいよ」

「……うっせー」

 ついに淳也に背を向けるようにして彼は座り直す。その背に語りかけるように淳也は言った。


「……お前は俺を恨んでいるかもしれないけど、俺はお前が羨ましかったよ」

「……」

「自由奔放に自分のしたいことをして、友達がいて……夢があって」


 この言葉が弟の胸に届いたかは定かではない。

 でも久しぶりに、棘のない、落ち着いた穏やかな気持ちが2人の中にあったことだけは事実だった。





  *   *





 終礼が終わると、淳也は携帯を持っていそいそと廊下へ出た。

 今日は部活しかないという事を知っていたので、少しでも会えないかと誘いの電話をしようと思ったのだが、数十分前に里花からの着信が先に入っていた。すぐにリダイヤルのボタンを押した。


『もしもし』

「あ、里花ちゃん? 俺」

『夏見くん……』

「ごめんね、電話出られなくて」

『ううん、大丈夫』

「……」

 いつもの彼女じゃない、と淳也は直感した。


 弾かれた弦が低く鈍い音色を出したように、なにか浮かない調子がそこに潜んでいるように聞こえた。里花はそれを隠そうとしているようにも思えるが、淳也には何かひっかかるものがある。


『あの……夏見くん、今日少し話したいことがあるの。会える?』

「うん、もちろん」

『ありがとう。じゃあ今からウチに来れる?』

「部活は?」

『今日は……ちょっとサボろうと思って』

「……ふうん。オッケー、分かった」

『ごめんね。じゃあ、また』


 下校したり部活に向かったりする生徒のにぎやかな喧騒を横目に、淳也は腕組をしながら壁に寄り掛かった。

 里花の言葉を考える。

 彼女が部活をサボるなんて今まで一度もなかった。普通の人間なら大した事ではないが、里花の性格や意識の高さを考えれば一大事だ。一体“何が”彼女をそうさせたのか。

 

 そしてもう一つ。

「話がある」とわざわざ前置きして呼び出すときは、たいてい良い話か悪い話かのどちらかだということだ。

 淳也は不安を掻き立てられたまま、しばらく学校を出るのを躊躇った。





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