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ジュリエットになれない



 適当なレストランに入り、2人は飲み物を注文した。

「あの、さっきは挨拶もしないですみませんでした」

「いいのよ、突然出向いた私が悪いんですもの」

 そう言って千恵子はコーヒーのカップに口を付けた。その仕草ですら優雅で気品が漂い、整った顔立ちだけでなく、そんな所もどことなく淳也と似ている気がした。


「淳也とのことは知っているわ」

「……はい」

「あの子が誰かと付き合うなんて、正直信じられなかったわ。ほら、あの子って難しいから」

 千恵子はおどけるように言う。

「でも最近、穏やかな雰囲気になったのよ。あなたのお陰だったのね」

「いえ、私はなにも……」

 里花は否定しつつも、そんなやさしい言葉をかけられたことが素直に嬉しかった。


「あの、それでね……」

「? はい」

 和やかになった所で、千恵子は急に姿勢を正して改まった表情を作った。自然と里花の身体にも力が入る。


「その……出来れば私も、このままあなた達のことを応援していきたいの。でもね、それは難しいことなの」

「……え?」

 里花は急に投げ掛けられた言葉を十分に理解することができなかった。千恵子は順を追って説明を始める。


「うちの家のことだけど、ご存じよね、病院を経営していることは」

「はい」

「でもこれからは、病院だけでなく様々な企業との業務提携や買収で事業を拡大していくつもりなの。そしてそのために、夏見にとって有益となるような人脈をつくっておかなければならない。つまり……分かるわよね?」

 里花の顔を窺うように千恵子はそう言った。

「淳也はあなたのことをかなり本気で想っているみたいで、将来的なことも見据えてるはずよ。だからこそ、2人が付き合っては駄目なのよ……」

「……」

 そういう事か、と、里花は軽い絶望感を覚えた。


「まあ、淳也は頑なに家を継がないと言ってるけれど、でも絶対にそんなことは無理なのよ。夏見家の長男なんだから」

“夏見家の長男”という言葉が重くのしかかる。

「それにあなたも知ってるでしょう、あの子がどんなに優秀か。もともと、平凡な人生を送るような人間じゃないのよ」


 目の前が真っ白になるようだった。

 そして妙な羞恥心が里花の中でどんどん湧いて来る。もしや、自分はとんだ思い上がりをしていたのではないか、という情動だった。

 飲み物で喉を潤しても、変な渇きは癒えることがなかった。


「……私のことを、嫌な母親だと思うでしょう?」

 しばらく無言が続いた後、千恵子がふいにそう言った。

 里花は肯定も否定せずにただ彼女を見つめた。

「淳也も私のことを最低な母親だと思ってる。私たち、顔を合わせれば喧嘩ばかりしてるのよ」

 明るい口調で言うからこそ、悲しさが滲み出ているように聞こえる。


「でも……夫が出て行った時から、私にはあの子たちしかいなかった。無我夢中だったわ。家を守るために必死で働いて、子供たちを立派に育てて……」

 語るうちに、千恵子の眼にはうっすらと涙が溜まっていた。普段は鉄の仮面を被っている女が、素顔を晒して感情を剥き出しにしている。

 里花はその姿にいたたまれない気持ちを抱いた。


「私は夏見の人間であることに誇りを持ってる。だから自分の息子にも、その意志を継いでほしい……母親としての願いなのよ」

 その凛とした瞳に迷いはなかった。そして憂いを帯びたように千恵子は苦笑する。


 淳也は、母親のことを毛嫌いしていた。でも今目の前にいるのは、息子との確執に悩みながらも彼のことを大切に想う母親にしか見えなかった。

 ―――里花の心は揺れ動いていた。



「今日、私が話したかったのはこれだけよ。急にこんな事を言って申し訳ないと思っています。でも、改めてよく考えてもらいたいの。淳也との関係を」

「……」

 千恵子は里花に名刺を差し出した。

「一応渡しておくわ。何か話したいことがあったら、ここに連絡して?」

 受け取った名刺からは、ほのかに花のような香りがした。

「じゃあ、私はまた病院の方に戻らないといけないから、ここで失礼するわね」

「あ、はい」

「今日は本当にありがとう」

 千恵子は伝票を手にし、去って行った。


 残された里花は、千恵子の姿が見えなくなると一気に崩れ落ちるようにテーブルに突っ伏した。

 もう、自分がどうすれば良いのか分からなかった。

 淳也が好きだという気持ちにもちろん変わりはない。でも夏見という格式ある家の事情や、母親の心情を全く無視することなどできない……。


 自分は所詮ジュリエットになんて為れない身分なのだと、里花は半ば自棄になったようにそう思った。

 彼女の眼に涙が浮かんできた。

(……こんなに好きなのに、何でうまくいかないんだろう)




   *




 千恵子の運転する車内。

 バックミラーに映る彼女の目元には、既にいつもの野心的な色が戻っていた。計画が順調に達成されたことに、彼女は頗る満足そうだった。

 そしてシェイクスピアの格言が、ふいに彼女の頭に浮かんだ。

「“この世のすべては舞台”……」

 千恵子の唇が大きく歪んだ。




今までの話数の中で「夏見」の苗字が多数、誤字表記されていました。

スミマセンでしたっ(汗

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