好きにはさせない
火照った顔の彼女を見て、すぐに圭一は察しがついた。あの後自分がいなくなってから、2人にどんなことがあったのか。
2階の踊り場で、帰って来た里花に彼は声を掛けた。
「よかったな」
「……」
心からの祝福のつもりだったが、里花の方はなぜか圭一をきつく睨んでいた。
「……どうして初恋のこと勝手に話したの?」
「だって事実だろう?」
「もう昔の話でしょっ。余計なこと言わないで」
「だって、その方が事が早く進むと思って」
里花は圭一の弁解を無視し、さっさと自分の部屋へと入っていた。
でも少し間を置いてから、一旦閉められたドアがまた小さく開いた。彼女がそこから顔を覗かせる。
「でも……ありがとう」
それだけ言うと、彼女はすぐに勢い良くドアを閉めた。圭一は微笑みながら、ドアの向こうにいる里花に語りかけた。
「1つ忠告しておくけど、あんまり隙がなさ過ぎると男は逃げてくぞ」
「……どういう意味よ」
「お前、付き合うって、一緒に楽しくお喋りしたり遊んだりするだけとか思ってるんじゃないだろうな?」
「そ、そんなこと思ってないよっ」
くぐもったその声があまりにも焦っているような感じたから、圭一は笑いを堪えるのに必死だった。
「アイツだって聖人じゃないんだし」
「夏見くんは圭ちゃんとは大違いだもん。一緒にしないでっ」
「馬鹿だなあ。俺と同じ男だぞ?」
「もっ……もういいから、ほっといて!」
クッションを投げつけたのか、ぶつかる音ともにドアが振動した。
「ふう……」
からかい過ぎたと苦笑しながら、圭一はおとなしく退散することにした。でもその横顔はどこか寂しげだった。
あんなに小さかった女の子が誰かに恋をして、大人の女性になろうとしていた。それがなんだか、彼を感傷的にさせるのだった。
「キレイになったよな……」
* *
夏見家は相変わらずのこう着状態だった。
千恵子は仕事に追われながらも、淳也との戦争は継続中で裕紀の本心にも気づいていない。
裕紀は夜遊びする回数は減ってきたが、淳也との喧嘩の後さらに自分の殻に閉じこもったように見える。
そして淳也は……。
「これ、すごく美味しいね。ワインが効いてるのかな?」
眩しいほどの薔薇色のオーラを発していた。
今まさに青春を謳歌しているとでも言うような笑顔を滲ませている。
「ええ、まあ……」
ビーフシチューを頬張る彼の姿を見ながら、家政婦の工藤さんも淳也の異変には気付いていた。
「淳也さん、昨日の夜からなんだが機嫌が良いですね」
「そう?」
「ええ、それはもう……」
鬱陶しいくらいに、という言葉を彼女は寸での所で飲み込んだ。
今にも鼻歌を歌い出しかねない彼の様子は、この家には不釣り合いなほど浮いていた。
次の日の朝。
いつものように朝一番に起きて新聞を読み始める千恵子に、朝食の支度をしながら彼女が言う。
「淳也さん、最近なにか良いことがあったみたいですよ」
「? そう……」
「なぜがとても嬉しそうで……恋人でもできたのかしら」
ふふっと笑いながら彼女はそう言った。
「……」
何気なく冗談のつもりで口にしたことなのだが、千恵子の方はそれを聞いてあらぬ危機感を覚えていた。遊びならまだしも、万が一その相手との将来を考えているとしたら、それはとても承知できることではなかった。
夫と別れてから、病院の経営も、夏見家の繁栄も、長女である自分の使命だと思って彼女は生きて来た。
秩序ある環境で高度な教育を受けさせ、夏見家の跡継ぎだということを自覚させてきた。
それなのに息子は、自分が止めるのを聞きもせずにどんどん道を外れていく。何が間違っていて、どこからおかしくなったのか彼女には分からない。
ただ、もうこれ以上彼の好きにさせる事はできないと千恵子は静かに思った。