キャンディの味
近所のベーカリーでパンを買い、里花と圭一は帰り道を歩いていた。
どうしても食べたくなったと突拍子もないことを圭一が言い出し、里花もそれに付き合わされる羽目になったのだ。
でも手にした袋には、彼女の大好物のブルーベリーデニッシュが入っていて、すぐに里花の機嫌は直っていた。
まだ太陽の沈み切っていない西の空が2人を見下ろしている。
「里花、勉強も良いけど、あんまり根を詰めるなよ」
「え?」
「最近、部屋の灯りが深夜まで洩れてるから」
圭一は心配そうに彼女を見下ろした。
「でももうすぐ中間テストだし……ここで頑張らないと」
「まあ、その気持ちは分かるけど、お前なら多少肩の力抜いても大丈夫だと思うぜ。せっかく恋もしたんだし、もっとそっちの方も楽しんだら?」
「……だからこそ、私は恋も勉強も両立させたいの。大変かもしれないけど、どっちも大切だから……」
照れたように顔を伏せる里花の頭に、圭一はそっと手を置いた。
「でも無理はするなよ」
「うん。ありがと」
入浴後の洗い髪を乾かし終わると、10時を過ぎていた。だいたい9時ごろには淳也からメールが来るのだが、今日は携帯が鳴る気配がない。
いつからこんなにも彼の連絡を待ち侘びるようになったのかと思いつつ、里花は携帯を開いた。
“こんばんは。今どうしてた?
私はテストが近いから勉強が大変だよ。K学はいつからテストなの?”
一つ一つ言葉を選びながら、そんな文章を作った。自分の気持ちも一緒に乗せるようにして、彼女は送信ボタンを押す。
いつもより幾分か間を空けて、彼からの返信が来た。
“勉強お疲れ様。こっちは来月からテストだよ。”
すぐに里花は指を動かす。
“そっかあ。じゃあお互いテストが終わって落ち着いたら、また一緒に遊びに行こうね。”
「……大胆かな?」
携帯を見つめながら微かに赤面する彼女。里花としてはかなり積極的な内容らしい。しばらく躊躇した挙句、彼女は思い切ってそのメールを送った。
淳也からどんな返事が来るか、彼女は携帯をぎゅっと握り締めながら待った。着信音が鳴ると、期待と不安を抱えたまま彼のメールを開いた。
“うん、そうだね。また行こう。
あの、実は今日少し体調が悪くて、そろそろ寝るね。せっかくメールしてくれたのにゴメン。”
「……」
素っ気ないという訳ではないけれど、電子文字がいつもよりも冷たく見えた。しかし体調が悪いと言うのであればそれは仕方のないこと。特にその文面を深読みすることもなく、里花は素直に彼を気遣う。
“私こそ体調が悪い時にごめん。具合が良くなったらまた連絡してね。お大事に。
じゃあ、おやすみなさい。”
そんな健気なメールを送り、やりとりは意外にあっけなく終了した。
“体調の悪さ”の裏に彼がどんな気持ちを隠していたのか、里花はまだ気付いていなかった。
* *
彼女に嘘をついたという罪悪感を覚えながら携帯を閉じ、ベッドに潜り込んだ。
里花とメールをしながら、訊きたいことは山ほどあった。さっきの男の正体や、里花は自分のことを一体どう思っているのか。でも何一つ訊けやしなかった。
“やらないで後悔するより、やって後悔した方が良い”とは誰の名言なのか、淳也は今まさにそんな言葉を心の中で噛み締めていた。
数学準備室のソファでもそうするように、毛布の下で丸くなりながら淳也は険しい顔を崩さない。
「……あー、もう……」
ビンに入った最後のキャンディをいきなり横取りされたような気分が、いつまでも尾を引いていた。そのキャンディを取り返すほどの気の強さや大胆さ、嫉妬は自分にはないのかと淳也は自問自答する。
いや、あるはずだ。
戸川里花の事に関してだけは、それは大いにあった。ならば、あとは行動に移すだけだ。
彼は自分を奮い立たせた。
彼女と眼が合った時、彼女の手の感触、彼女が頑張る姿、彼女の笑顔……一度味わったキャンディの甘さからは、もう逃れられない。