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波風は突然に



 夏服のワイシャツに袖を通すのはこれで12回目だった。

 染み一つない真白なシャツに胸には校章の刺繍。小学生の頃からずっと変わらないデザインだ。

 これを着るのも最後だと思うと少し感慨深くもなるが、親に従っていた自分の歩みがそのまま宿るこの制服がただの布切れのようにも見えてしまう。

 鏡の前で自分の姿を一瞥してから、淳也は部屋を出た。











「で、例の女の子とはどうなったんだ」

「どうって……」

 放課後の数学準備室。

 最近ここへ出入りする回数が減ってきたかと思えば、彼はこうして気まぐれに繭村の所へやって来る。

 ちょうど生徒のプリントを採点していた繭村は、リズミカルにペンを動かしながら淳也の話に耳を傾けた。


「この前2人で遊びに行って、それからはよくメールとか電話とかしてるけど」

「お前、もうさっさと付き合えよ」

「え」

「明らか両想いだろ、それ」

「……なんで皆、けしかけるのが好きなんだろう」

「お前らの気持ちが分かり易すぎて、我慢できないんだよ」

「でも憶測でしょ」

「証明できるだけの裏付は揃ってると思うけど?」

「……」

 淳也は不機嫌な顔で繭村から眼を逸らす。

 はっきりと言葉で言われてないのだから確信しようがないけれど、でもどこかで期待している自分がいる。そんな格好悪い自分を繭村には悟られたくなかった。


「そりゃあ……一緒に出かけてくれるくらいだし嫌われてはいないと思うけど……」

「とりあえず良い友達のままでいるのかよ」

「……それは嫌だよ……だって好きなんだし」

 彼は初めて自分の気持ちを口にした。

“言霊”とは良く言ったものだ。はっきりと声に出したことで、ますます彼女への想いが強まりそうだった。


「最近、シェイクスピアとか読んじゃうし……」

「うわぁ、重症だな」

 手を休めぬまま、繭村は冷やかすように笑う。

「自分でも可笑しいと思うよ」

「お前は本の虫でも、そういう本だけは読まないと思ってた」

「まあね。でも、今なら共感できるんだ。一気に沸点まで昇り詰めるような、そういう激しい気持ちというか……」

「……」

 繭村は、この短期間での彼の成長が微笑ましかった。デートに誘おうともしなかった彼の面影はここにはもうなかった。それはまさしく恋に焦がれる等身大の高校生の姿で、その瞳は若さが溢れたように光っている。


「“誠の恋をするものは、みな一目で恋をする”」

 ふいに、淳也は小説のある一節を諳んじた。

「『お気に召すまま』?」

「うん」

「……まるでお前のことだな」

「そう見える?」

「ああ。きっと最初から恋に落ちてたんだなって思わせるくらい、お前はその子の話しをすると眼が変わる」

 ペンを置き、彼は机の引き出しから煙草を取り出した。

「彼女と出逢った時から、夏見は別人になった」

「そんなこと、俺が一番よく分かってる」

 淳也は自分に向かって苦笑した。






   *   *






 繭村と別れ、淳也はいつものようにタクシーに乗って帰宅していた。

 片道20分の道程を、淳也はたいてい音楽を聴きながら窓の外を眺めて過ごす。流行りの歌に疎い彼の耳には、たいていクラシックやビートルズの曲が流れていた。


 ずっと通い続けている通学路だが、頻繁にその姿は変わる。昨日まであったコンビニの照明が消えていたり、店の看板が色鮮やかに塗り替えられていたり、街路樹の枝が切り落とされていたり。そんな変化を、まるで間違い探しのようにして見つけるのが彼の楽しみでもあった。


 快調に車は走って行き、大通りへと入った。

 あと5分ほどで家に着く所だが、すぐに赤信号で車は停車した。ここの信号の待ち時間が長いことを知っている淳也は小さくため息をつき、退屈そうな顔をする。


 車が停車した所からは、ベーカリーの店が見えた。レンガ造りに赤い看板が目印のその店は、この辺りに住む人にとっては有名で、淳也も何度かここのパンを食べたことがあった。

 そのベーカリーの方を何気なく眺めていると、店に出入りする他の客に紛れて、よく知った顔が見えた。

 クリーム色の店の袋を手に、にこやかに歩く彼女。その横には、淳也の知らない見知らぬ男がいた。


「……里花ちゃん?」

 窓に額が付いてしまいそうなほど、淳也はその方向を食い入るように見つめた。

 ラフな格好の彼女は、その男と楽しげに会話をしている。そして男の方が何か冗談を言ったのか、里花はじゃれ合うようにして男の腕を軽く叩いた。


「……」

 淳也はその光景を、ただ茫然と指を咥えて見ているしかなかった。

 男の方は自分よりも少し年上だろうか、今風の学生といった感じだ。あまりに親しげな2人の様子に、淳也はショックを隠しきれない。


 間もなく青信号に変わり、ゆっくりと車が動き出した。

 2人の姿が見えなくなっても、それはまるで悪夢のように淳也の眼に焼き付いて離れなかった。


(いや、あれは、ただの男友達なだけかもしれないし……。でも学校が終わってからわざわざ会うような間柄って……特別な関係? いやいや、それはまだ分からない。ていうかアイツは誰なんだよ)

 彼は何とか自分を落ち着かせようとするが、出口の見えない疑心暗鬼に囚われ始めていた。


 淳也は髪の毛を少し乱暴に掻き毟った。

 ついさっきまで、もしかしたら里花も自分と同じ気持ちかもしれないと、ちょっとでも期待していた自分が恥ずかしかしい。

 でもそれ以上に、彼女が自分以外の男に笑いかけたり、自分以外の男に触るのを見るなど、淳也には耐えられないことだった。

 悪い想像ばかりが、彼の頭の中を先行する。


 彼女を好きなことに変わりはない。

 でも今まで味わったことのないような、身勝手で汚い感情が彼の中で渦巻いていた。





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