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デートに行こう‐2



「きみ、ひとり?」

 鼻にピアスを付けた長髪の男が、里花に顔を近付けながら訊く。その男の口臭が彼女の鼻にまとわりついた。里花は眼を合わせまいと顔を背け、口を真一文字に結んだ。

(夏見くん早く来て……)

「あれれ、喋ってくんないの?」

「俺らとこれからどっかに行こうよ」

「……や、いやっ」

 一人の男がついに里花の腕を強引に掴んだ。とっさに大声で助けを呼ぼうとする里花。でもその前に、誰かが彼女を守るようにして前に立ち塞がった。

「夏見くんっ」

「ごめんね里花ちゃん、一人にして。大丈夫?」

 背中越しに後ろを見下ろしながら、彼は彼女の様子を確認する。里花はとっさに淳也のシャツの裾を握りしめた。


「放してくれませんか」

 里花の腕を掴む男の手を外しながら、淳也はなるべく穏やかな口調でそう言った。

「なんだ、お前! どけよっ」淳也の肩を小突く。

「どきませんよ」

「んだと、やんのか!?」

「え、やるんですか?」

「……」

「……夏見くん?」

 はた迷惑とでも言いたげな顔でそんなことを訊く淳也に、里花を含め4人の眼が一瞬点になる。つい数十秒前までは、里花には彼が正義のヒーローに見えていたのだが、現在のこの微妙な空気は一体何なのだろう。


「喧嘩は嫌だよ」

 淳也はきっぱりはっきりとそう宣言した。3人組に若干の戸惑いが見られる。

「こ、こんだけ偉そうなこと言いやがって、無傷で帰れると思うなよ!」

「だから嫌だって、痛いもん」

「なっ、なに言ってんだお前!」

「いい加減にしやがれ!」

「あー、うるさいなあ」

 気の抜けるような淳也の発言に、男たちは完全に翻弄されていた。その情けなさに里花もため息しか出ない。


「里花ちゃん、ちょっとごめんね」

「え?」

 そう言うと、淳也は里花の手を力強く握り、次の瞬間には男たちの間を素早くすり抜けていた。淳也は店の外へと里花を引っ張り出す。

 2人は手を繋いだまま、風を切るように走り出した。


 行き交う通行人や、隙間なく建てられたビルを次々と追い越していく。行き先は不明。淳也の手だけが里花を導いていく。

 後方から、「お前ら! 待て!」という声が里花には聞こえた気がしたけれど、彼女には自分の手を握る淳也の背中しか見えていなかった。その細長い指の大きな手が、なんだか熱い。



 駅周辺まで戻って来たあたりで、淳也はようやく歩調を緩めた。

 彼らは息を切らしながら道路の端の方で立ち止まった。里花は横腹を押さえながら息を整える。乱れた髪を直す余裕さえない。

「ごめんね、急に走ったりして」

「ううん、大丈夫……」

「……」

 ふと2人の目が合う。何を言う訳でもなく見つめ合う。

「……ふっ」

 最初に吹き出したのは淳也だった。呼吸するのも苦しいはずなのに、後から後から笑いが込み上げてくる。


「まさか新宿のど真ん中で、こんな風に走ると思わなかった」

「ふふっ、確かに」

 目を細める淳也の姿に、里花もつられるようにして笑い出した。

 淳也のとぼけた発言も、それに翻弄される不良たちの可笑しな顔も、2人でこの街を駆けたことも、今起こったこと全てがひどく滑稽なものとして思い出される。

「夏見くん、変なこと言うんだもん」

「だって喧嘩なんてしたくないじゃん。ましてや里花ちゃんの前で」

「でもどうなる事かと思ったよ」

 大都会の片隅で、彼らはひとしきり笑い合った。





  *   *




 歩いて10分ほどの所にある中央公園へ彼らは来た。

 ジョギングコースも設けられているほどの広大な公園で、その一角に置かれたベンチに彼らは腰を下ろした。

 すでに桜の木は葉桜へと変貌を遂げようとしているが、彼らを囲む自然の香りは不思議と心に癒しと穏やかさを与えてくれる。隣のベンチには、白茶の野良猫がこの五月晴れの陽気の下で呑気に日向ぼっこをしていた。


 めったに履かないヒールの靴と、さっき全速力で走ったせいもあり、里花の足はそろそろ限界に来ていた。その旨を正直に淳也に伝えると、ここで休憩しようと彼が提案してくれたのだった。


「ねえ、里花ちゃんはどこの大学に行くの?」

「どうしたの急に」

「いや、なんとなく」

 里花は正面へ顔を向き直し、少し言い難そうな顔をした。

「……一応、S大の教育学部を目指してるの。養護教諭になりたいと思ってて」

「それはすごい」

「いやっ、全然すごくないの。成績だってギリギリだし。なんか、恥ずかしいんだけど……」

 夢を語ることがなぜ恥ずかしいのか淳也には謎だった。彼女は予備校にも行って人知れず努力をしている。その事だけでも大いに賞賛に値するではないかと彼は思った。


「夏見くんは?」

「え?」

「高校を卒業したら」

「……さあ、分からない」

 淳也の顔が一瞬にして曇るのを、里花は気付いた。なにか寂しそうな、遠くを見つめる横顔。

 触れてほしくない部分なのかとも思ったが、彼女は変に話題を変えようとしなかった。鬱陶しく、嫌な女だと思われるかもしれなかった。でも少し間を置いて、彼女は自分を奮い立たせた。


「……あのね、夏見くん」

「うん」

「私、2年前の記事を読んだの」

「……」

 淳也は隣に座る里花を見やった。

「へえ……、あのくだらない記事を?」小馬鹿にするような笑みを湛える。

「うん、黙っててごめん……。でも私、新聞なんかじゃなくて、夏見くんの口から夏見くんのことを聞きたいと思った」

「……俺のことはいいよ、べつに」

「はぐらかさないで」

 思いのほか、その声は園内に良く響いた。淳也の方へ体を向けながら、里花は思いの丈を伝えようとする。

「私、記事のことを知ったとき、夏見くんが遠くに行っちゃったように感じたの……。でもどんな夏見くんでも、夏見くんがどんなこと考えていても、私はそれを知りたいと思った。だから話してほしいの」

「……」

 その里花の眼差しに折れた淳也は、小さく息を吸った。

 自分のことを深く語るのは久しぶりだった。




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