デートに行こう‐1
彼女は、健全な男子高生の理性を無邪気に突いて刺激するような、ひどい女の子だと淳也は思った。
待ち合わせ場所に現れたときから、彼女は自分の知っている“里花ちゃん”ではなかった。自分を弄ぶような、一種の妖艶さを湛えていた。今まであまり気付かなかった、彼女の華奢な手足や腰、滑らかな肌、そして柔らかそうな胸元を否応なしに意識してしまうのだ。
淳也は努めて平常心を装った。
「とりあえず、どこかでお昼食べようか」
「あ、それなら良い所があるよ」
里花の案内で、2人は駅から歩き出した。
ショーウィンドウには、慣れないヒールを履いて背伸びした自分と、シンプルなシャツをなびかせながら颯爽と歩く淳也の姿が映し出されている。それが目に入るたびに、里花は口元がにやけるのを我慢しなければならなかった。
「わあ、もう出来上がってるね」
注文の列に並びながら、淳也は店内を忙しなく見渡す。2人が駅で出逢ったときのことを思い起こさせるような仕草だ。
「初めて来た?」
「何回か買ってきてもらったことはあるけど、自分で買いに来るのは初めてだよ」
里花が淳也を連れて来たのはファーストフード店だった。店内に漂うオイルと芳ばしい匂いを感じながら、里花は幸せに浸っていた。こうして列に並ぶことを楽しいと思うのは初めての経験だったのだから。
「えっと、このセットが2つと、飲み物はオレンジとコーラで」
自ら注文を買って出た淳也は、嬉しそうに女性店員と顔を見合わせた。それは里花の欲目なしに、女性なら誰しもが自分に気があるのではないかと勘違いさせるような笑顔だった。
無事に注文を済ませて適当な席に着くと、隣に座っていた家族連れの子供が誤って飲み物を零していた。慌ててティッシュを出す母親に、子供を叱る父親。そんなちょっとした騒ぎが少し可笑しくて、里花と淳也は緊張がほぐれた様に微笑み合った。
しかし2人がいざハンバーガーを食べようとしたとき、里花はふと、ここへ来たことを少し後悔していた。目の前には、レタスや肉、大量のソースが挟み込まれたハンバーガー。これを食べるために、はしたない顔を淳也の前に晒すのを想像するだけで食欲がなくなりそうだった。
「どうしたの?」
「……ううん、何でもない」
大きな口でハンバーガーに齧りつきながら淳也がそう訊いてくるので、里花は意を決して食べ始めた。まるでフランス料理を上品に味わうように、里花は口元の汚れを絶えず気にしながら慎重にハンバーガーを食べたのだった。
「こういう不健康そうなものって、なんでこんなに美味しいんだろうね」
淳也は愉快そうに言った。
「煙草みたい。体に悪いほど美味しい」
「しかも中毒性がある」
そう言って油分の詰まったフライドポテトを頬張れば、たちまち病み付きになったように彼の手は止まらなかった。
* *
次に里花が連れて行ったのは、ゲームセンターだった。クレーンゲームやシューティングゲームなどが所狭しに置かれ、カラフルな装飾と雑音の大きさがやけに目立っている。
「テレビで見たことあるけど、来た事ないよ。母親もあんな所に行くなってうるさかったし」
「友達と一緒には?」
「そんな友達いなかったなあ」
「……」
ごく自然に組み込まれたその言葉に、里花は心が引っかかった。また淳也の知らない一面が見え隠れした気がして、彼女は何かを言いかけた口を閉じた。
「やっぱりあれやりたいなあ」
淳也はクレーンゲームを指差した。ここが自分の腕の見せ所だと言わんばかりに気合いの入った様子だ。
透明の壁越しに見える景品は、動物のぬいぐるみとお菓子の詰め合わせだ。
「里花ちゃん、どっちがいい?」
「え?」
「色々案内してくれたお礼」
「いいよ、そんな」
内心では歓喜している里花。
「いいから。ね、どっちがいい?」
「……じゃあ、お菓子で」
その答えに淳也は少し意外そうな顔をした。「女の子はぬいぐるみの方が好きだと思ってた」と、ちょっとした偏見を口にすると、里花は微笑んだ。
「だってお菓子だったら、後で2人で分けられるでしょう?」
「……」
誰のためのお礼なのだろうと、淳也は笑うしかなかった。ついでに「でもそういうところが好きだ」と危うく言いそうになったのだが、なんとかそれを飲み込んで彼は小銭を入れた。
ゲームを始めてから数十分後、ついにお菓子が宙に浮く事はなかった。
「あ~、なんで落ちちゃうんだろ」
「今のはおしかったね」
角度がどうたらとか、景品の位置がどうたらと呟きながら、ムキになった顔で再び財布を取り出す彼。相変わらずの無邪気さだ。
「あ、小銭がなくなってる」
「じゃあもう終わりにしよう? お金がもったいないよ」
「でもコツも分かってきたし、あともうちょっとだけ。両替してくるから、ここに居てね」
淳也は奥の両替機の方へと消えていった。
里花は駄々をこねる子供のちょっとした我儘を、仕様がなく受け入れる母親のような気持ちでその背中を見つめた。
でも自分なんかのために、あれほど必死になって集中する姿を見るのは正直嬉しいものだった。壁に額がくっついてしまうほどに景品を凝視する顔は、さしずめ狙いを定めるハンターのようだ。あまりに真剣過ぎるその眼を思い出して、里花は密かに笑みを浮かべた。
そんな満ち足りた気分を味わっている時だった。
ふいに誰かの気配を感じて顔を上げると、いつの間にか里花を囲い込むようにして3人組の男たちが立っていた。その派手な服装と髪型が、あたかも世間を威嚇するような攻撃的な性質を臭わせている。
すでに逃げ場は塞がれ、男たちは薄気味悪い笑みを里花に向けた。血の気の引くような感覚が彼女の身体を襲った。