はじまりの15分間
拙い文章ですが、読んでいただければ幸いです。
よろしくお願いします。
とある駅前に、ひとり立ち尽くす男子。
この男、その横顔は色白で鼻筋の通った美少年であるが、その周りを通り過ぎる人々は明らかに不審者を見るような眼つきで彼のことを一瞥している。
里花も、そんな人々と同じだった。
背中まで伸びる黒髪を軽快に揺らしながらここまで歩いて来たのだが、彼の存在が目に入った途端その歩調が緩んだ。
(……なんか、こわいな……)
目を合わせないようにしながら、少し身構えつつ券売機の方へ近付いて行った。後方からの、その男子の妙な雰囲気を感じつつICカードを差し込む。
3月らしい、春の匂いが薫ってきそうな温かい風が彼女のスプリングコートをなびかせた。横に流れる髪の毛を押さえながら、慣れた手つきで千円札を入れてチャージ完了。それをパスケースに仕舞っていると、ふいに誰かの影が彼女を覆った。あの男子だった。
「!?」
彼女のすぐとなりに先ほどのあの男が立っていた。しかも、なぜか瞳を輝かせながらカードを握る里花の手元をじっと見つめている。
身の危険を察知した彼女はすぐに逃げる準備をしたのだが、それより先に彼が口を開いた。
「それっ、どこで買えるんですか?」
「……」
青ざめていた里花の顔が徐々に真顔になり、目をぱちくりさせる。その男子の、少し垂れた大きな瞳と目が合った。
「……え?」
「それ欲しいんだけど、どこで買えばいいのかな?」
拍子抜けするような彼の問いに、少しずつ里花の肩から力が抜けていく。邪気のない、彼女よりも年下のように見えるその童顔が里花を見下ろしていた。
「……あの、それなら、これでも買えますよ」
そう言って彼女は自分の使用した目の前の券売機を指差した。
「ええっ、これで!?」
「はい……」
なぜこの人はこんな普通のことで驚いているのだろうと、里花はだんだんと可笑しい気持ちになる。まるで新しいおもちゃを与えられた子供だ。
直観的に怪しい人物ではないと感じ取った里花は、ICカードの買い方とチャージの仕方を教えた。世話好きな彼女の性格が惜しげもなく発揮される。
「それで、ここでピッとするんです」
改札を通るときも、どこにカードを当てるのかを見せてやると、その男子は「わあ、すごいよっ」と、恥ずかしがりもせずに一人ではしゃいでいる。感動と興奮を味わうのに夢中で、クスクスという周りからの笑い声には全く気付いていない。
「あの、どこへ行くつもりですか?」
「恵比寿まで行きたいんだ」
「じゃあ新宿方面ですね。私ちょうど新宿まで行くので、そこまで一緒に行きましょうか」
「え、本当に? ありがとう、助かるよ」
カードの買い方も改札の通り方も分からない人が、目的地まで自分の力で行けるとは彼女は思えなかった。2人は新宿方面行きのホームへと向かった。
ほどなくして、電車がホームに滑り込んできた。目の前を通って行く電車の勢いが、彼の栗色の髪の毛を柔らかく乱す。
車内に入ると、休日ということもあってか乗客は多く、里花たちは適当に空いている吊革に掴まった。
「あの、なにか旅行ですか?」
彼女は少し気になっていたことを訊いた。こんなに普通のことで驚いたり喜んだりしている彼のことを、東京へ来た旅行者だと思うのは自然なことなのかもしれない。しかしその予想は外れる。
「違うよ。この近くに住んでる」
「え、じゃあ電車なら乗ったことがあるんじゃ……」
「うん、一応乗った事はあるんだけど、一人で乗るのは初めてで……恥ずかしいんだけど」
「……」
衝撃的な発言に、里花は自分の耳を疑った。目の前で、少し照れくさそうにモジモジしている男を唖然とした顔で見つめる。公共の交通機関が発達したこの地に、こんな人種がいるのかとにわかには信じがたかった。
「……冗談、ですか?」
「まさか。もし冗談だったとしても、俺はそんなつまらない事は言わないよ」
そう言って呑気に笑う彼。
(こんな人がいるのね……)
まだ里花は半信半疑だったが、この男子の言葉に納得するしかなかった。
「きみはこれからデート?」
「こんな格好でデートに行くと思います?」
彼女はコートの下に穿いていた細身のジーンズに目を落とした。恋愛経験のない彼女にとって異性と付き合うことは未知の世界であったが、デートにはワンピースという定番の価値観くらいは植え付けられていた。
「デートに服装は関係ないと思うけど」
「え、そうなんですか?」
「いや俺もよく分からないけど、でもそこまで気にする男はいないんじゃないかなあ。器が小さく見られそうだよね」
「なるほど……」
他愛もない会話を続けているうちに、電車は15分ほどで新宿に到着した。人混みのなかを、2人はお互いの姿を確認し合いながら進んでいく。
結局、里花はJRの改札まで彼を案内した。邪魔にならないよう端の方へ行き、彼らは向かい合った。
「14番線に乗ってくださいね」
「うん、分かった。本当にここまでありがとう……あの、俺を助けてくれた駅って、きみの家の最寄り駅?」
「はい、そうですよ」
「そっか、俺もそうなんだ。じゃあ、もしまた会えたら何かお礼するね」
「え、いいですよ、そんな」
里花は勢い良く首を振った。
「そんな訳にはいかないよ。ね、お願い」
「……じゃあ、もし会えたら……」彼女の頬が少し熱くなる。
“お願い”などと無邪気な笑顔の美少年に言われてしまっては、嫌だと言えるはずがない。社交辞令だと分かっても、彼女はその言葉が素直に嬉しかった。
「じゃあ、行くね」
「はい、気を付けて」
黒いジャケットの背中が、ゆっくりと遠ざかっていく。彼が後ろを振り返り、もう一度彼女に向かって微笑むのが見えると、その背中は人波に消えていった。
彼のいなくなった改札内を里花はしばらく眺めていた。
名前も知らない、自分と同年代くらいの男子。その男子を助けた自分。この2つの線が再び交わる事はもうないだろうと彼女は思う。でも高校最後の新学期が始まる前に味わえたのは、心が温まるような15分間だった。