第1話 「しゃべる天井とカエルの神」
目を覚ますと、天井が笑っていた。
いや、比喩じゃない。本当に「ははは、今日もいい天気だな」と言ったのだ。
……おい天井、お前屋内じゃねぇか。天気を語る資格あるのか?
そんなツッコミをしているうちに、俺は「ああ、また始まったな」と思い出す。
ここは精神科病院の三階、B病棟。俺、三崎拓、28歳。診断名は“軽度の統合失調傾向”。
要するに、頭の中に他人が住んでるタイプの人間である。
入院二日目。
隣のベッドの男が朝から「ぴょん吉と呼びなさい」と言い出した。
「なんで命令口調なんだよ?」
「ここでは上下関係が大事だ」
「お前、上下どころか現実から離れてんだろ」
「私はカエルの神だ」
「ほう、病名は?」
「信仰だ」
そう言って、ぴょん吉は枕の上で正座した。堂々とした信仰心に、少しだけ尊敬の念を抱いた。
看護師の田中さんがやって来て、薬を配る。
「はい、三崎さん、これは“現実に戻る薬”ですよ」
「そんな説明の仕方ある?」
「患者さんにわかりやすく言ってるんです」
“現実に戻る薬”。
なんだかドラえもんの道具みたいだ。
飲めばたしかに幻覚が薄れるが、同時に少し寂しい。
あの天井の笑い声も、悪くなかったのに。
昼飯はカレーだった。
昨日もカレーだった。
「なあ田中さん、またカレーっすか?」
「ええ、今日も“幻覚の森カレー”です」
「そんなメニュー存在しねぇだろ!」
彼女は笑って去っていく。
病院職員もなかなかの幻覚持ちだ。
夜。
照明を落とした病室の壁に、もぞもぞと枝が伸び始めた。
「……またか」
枝の先には小さなスズメ。
「こんばんは、拓くん」
「お前、しゃべるの?」
「しゃべらなきゃ存在感がないでしょ?」
こいつの名前はスピカ。昨日まではいなかった。つまり、今日の新キャラである。
スピカは俺の肩に乗ると、耳元で囁いた。
「この病院の裏に“幻覚の森”があるんだ。そこに行けば、本当の君に会えるよ」
ありがちなセリフだが、妙に胸に刺さる。
外を見れば、月光に照らされた森の影がゆらゆらと動いている。
あれが“幻覚の森”なのか。
俺はゆっくり立ち上がり、窓を開け――
「三崎さん! 夜中に窓を開けないで!」
田中看護師の怒声で現実に引き戻された。
夢から落とされたようにベッドに沈み、しばらく天井を睨む。
もう天井は黙っていた。
代わりに、カーテンの向こうから“ぴょん吉”の寝言が聞こえる。
「森のカエルが、呼んでいる……」
どうやら、幻覚の森は本当に存在するらしい。
翌朝。
枕元にスピカの羽が一枚、落ちていた。
夢か現実か、もはやどうでもいい。
どちらにせよ、俺は笑っていた。
現実より幻覚の方が、少しだけ自由だから。




