29話 七時間
「…あれ?」
龍一が目を覚まし、体を起こした。
周りを見渡し、誰もいないことがわかると、体を伸ばして立ち上がる。
「三人とも、どっか行っちゃったのか」
龍一が目を細めながら、扉に手をかけ、控室を出ていった。
「んっ」
龍一が足を止めた。
扉の前には、決勝進出者、鋼山響十が立っていた。
「ばったり会うには、出来すぎたタイミングだな」
響十が自販機の前で言う。
「奢ってやるよ。年上として」
響十が自販機の前から退き、龍一に譲った。
龍一が天然水の所を押し、屈んで取り出し口から水を取り出す。
「まさか、決勝の相手が年下とはな」
響十がコーヒーに口をつける。
「てっきり、最強の拳豪かなんかかと思ったぜ」
龍一が数秒考え、口を開いた。
「予想通りじゃないですか」
響十は優しくほほ笑む。
「ごちそうさまでした。響十さん」
龍一は空のペットボトルをゴミ箱に入れ、お辞儀をして立ち去った。
「…楽しみだな」
響十はそう言って、近くの出口から出ていった。
龍一が小走りで、控室の方の出口に向かう。
左に曲がり、廊下に差し掛かった。
その瞬間、ドンッと何かにぶつかってしまう。
龍一が後ろに下がり、前を見た。
前には灰色のジャケットを着た男が立っている。
白色のシャツをジャケットの中に、青いジーンズを下に履いている。
「大丈夫かい?龍一君」
男が手を差し出した。
握手。
許してほしいのか、許してやりたいのか。
どちらとも取れる、友好的な証。
龍一は、しっかりとその手を握った。
「すいませんでした。お怪我は?」
「大丈夫、体制一つ崩れてないよ」
男はニッコリと笑って、手を離した。
「…日本語上手いですね、日本人には見えませんが…」
「俺は日本人だよ。ハーフだけどね」
男が金色に光る髪の毛を、人差し指でクルクルと巻いた。
「結構母親の血が強くてね。母がイギリスなんだけど、目も髪も眉も、全部金ピカ」
男は笑いながら言い、後ろへ体を向けた。
「じゃあね、決勝頑張って。龍一君」
男はそう言って、廊下を歩いていった。
すぐに、曲がり角を曲がってしまったせいで、見えなくなっている。
龍一から見えないのを確認して、男が呟いた。
「あれが、偽物の一か〜…面白そうだね、茂原」
男が笑い、ポケットからスマホを取り出し、電話をかける。
「一に会いました。竜二帰還します」
スマホ画面には、藤木と表示されていた。
扉の前に、響十が立っている。
扉には、古八木智控室と書いてある。
「入るぞ」
響十が扉の前で言い、ドアノブに手をかけた。
ドアを開ける。
部屋の中央に、背を向けて智が座っていた。
「何用だ?」
智が背を向けたまま、響十に問う。
「龍一について、どう思う?」
響十が、智の背中に向かって言う。
「…どう、か」
智が考える。
「強いな。天性の才能だ」
智が振り向く。
「生まれた瞬間から身についたものだけで戦っている。彼なら普通に生きるだけで、強靭な体を持てるだろうな」
「そうか…才能か」
「だが、俺はあんたが勝つと思うぜ。あんたは強いからな」
智が笑う。
「あの古八木智を倒した男だぜ?負けるはずねぇよ」
智が言いながら、立ち上がった。
ゆっくり、響十に近づいていく。
「頑張れよ」
右拳を、響十の左肩に当てた。
「決まりだな」
夢坂が言う。
周りには、他の審判たちが座っていた。
「決勝の審判は、王宣に任せる」
王宣が頷いた。
「解散」
王宣と髙美が、ホテルの外を共に歩いている。
周りは草木に覆われ、夜の暗さを際立てていた。
「頑張ってね。王宣」
「頑張る事なんてない。ただ正確に判断するだけだ」
王宣が冷たく答える。
「…そっか」
髙美が後ろに手を組んだまま、下を向いた。
その時、草むらからガサッと音が鳴る。
髙美がそちらに目を向けた。
「キャッ」
髙美が高い声を上げた。
「どうした」
王宣が驚いて聞く。
髙美が王宣の腕につかまりながら、音のした方を指さした。
そこには、四足歩行の獣がいた。
長く黒い髪の毛、鍛え上げられた体。
薬の投与によってできた獣、ウルフがそこにいた。
「あなたは、ウルフ選手」
王宣が驚きを隠しながら、丁寧に言う。
そこでようやく、髙美も相手が誰だかわかったみたいだった。
「ふぅー…」
ウルフが息を深く吐いた。
「…」
王宣が、ただウルフを睨んでいる。
「ふっ!」
ウルフが、草むらから飛び出した。
王宣に飛び掛かってくる。
「…シュッ」
王宣が戸惑いながらも、右足を持ち上げ、ウルフの腹に向けて真上に蹴り上げた。
王宣がすぐに、足を引く。
「くっ…ふぅ」
ウルフが腹を気にしながら、四足歩行で下がっていく。
「ウルフ選手…何を…」
髙美が王宣の後ろに隠れながら、ウルフに問いかける。
「がっ!らっ!」
ウルフが吼える。
「…話が通じるようには見えないな」
王宣が構える。
「王宣、選手との戦いは…」
髙美が、王宣の袖の、肩あたりを掴む。
「離れてろ、髙美」
髙美が躊躇しながら、王宣の服を離す。
瞬間、砂埃と轟音が立ち上り、王宣がウルフに迫る。
右縦拳、中段。
四足歩行のウルフにとっては、顔面へ向かう攻撃である。
ウルフは、後ろに飛び避けようとした。
しかし、足で地面を蹴り、手で地面を突き放そうとした瞬間、左手に王宣の右足が踏み込まれていた。
ウルフが咄嗟に、顔を上げる。
そっと、側頭部にそれぞれ両手が添えられた。
トンッ。
中国拳法は、相手を肉ではなく、水としてとらえることがある。
人体の水の割合は、六割。
結果、中国拳法は中の水へ響かせる技術が磨かれた。
その技術が、ウルフの脳へ直接伝わる。
ウルフが白目をむき、頭から倒れ伏した。
王宣が背を向ける。
髙美の方へ歩いていく。
「ウルフのセコンドを呼ぶぞ」
言った瞬間、髙美の目が見開いた。
髙美が赤色の服を脱ぐ。
そして、それをなびかせながら、王宣の後ろに飛んでいった。
王宣が、それを目で追う。
髙美が何かに、服をかぶせた。
ウルフの上半身に、髙美の服が覆いかぶさっている。
髙美がウルフの背中で、服を結ぶ。
「嘘だろ、気を飛ばしたぞ」
「いいから抑えて!」
髙美が叫び、王宣がウルフの上半身部分を全身で抑え始めた。
「がぁ!」
ウルフが吼え、暴れ狂う。
「今度こそ…」
王宣が左腕で抑えながら、右拳を振り上げた。
鳳眼拳である。
胸か、腹か、眉間か、人中か。
何れかを突いて、無理やり気を失わせるのだろう。
「待って!」
髙美がそれを止めた。
「何故だ!」
王宣が拳を止め、大声で聞き返す。
「この子は今、警戒してるだけなの!獣としてしか育てなかったから!だから…そんなことしたらもっと…」
そう言いながらも、髙美の服を抑える腕には、限界がきていた。
「…馬鹿が…」
王宣が眉間にしわを寄せ、歯を鳴らしながら声を漏らした。
そして、右腕を振り下ろす。
右手は、ウルフと髙美の服の間へ。
王宣の右手が、ウルフの首を掴む。
「フッ!」
王宣が体を引き、ウルフを服から引っ張り出す。
「えっ!?」
髙美が驚きの声を上げる。
ウルフが一瞬困惑し、すぐに王宣に襲い掛かる。
唾を散らしながら、王宣の顔面へかみつこうとしている。
しかし、ウルフの頭が動かない。
王宣の顔へ、近づけない。
王宣の右手が、ウルフの後ろ首を掴んでいる。
ウルフは噛めないとわかると、両手でひっかこうとしてくる。
王宣が両足をウルフの両足に絡ませ、左腕を脇の下から回し、右手首を左手で掴んだ。
完全とは言い切れないが、ロックされた。
ウルフの体を抑えている。
だが、ウルフの両手は、王宣の横っ腹をひっかいている。
王宣の服が、赤くにじむ。
それでも、不完全なロックを解こうとしない。
ウルフは、それを嫌い、暴れ続けている。
いつしか、ひっかくのをやめ、ロックから抜け出そうと躍起になっている。
ウルフが全力で力み、ロックを無理やり解こうとする。
解けない。
数分、もがき続け、ウルフに体力の限界が来た。
ウルフの動きが、遂に止まる。
「ぐぐぐぅぅ…」
ウルフが唸る。
「止めたぞ」
王宣が汗を垂らしながら、髙美に言う。
王宣は、腕をだらんと離した。
王宣も限界だったのだろう。
離れた瞬間、ウルフが飛びのく。
王宣は素早く立ち上がり、構えた。
「ふぅ…ふぅ…」
ウルフの息が、上がっている。
「…ウルフ…君」
髙美が、左手を伸ばす。
「戻ろう?」
そういった瞬間、ウルフの唸りが強まった。
「あれ…?」
「戻る、に恐怖を抱いているか。戻ることに恐怖を抱いているか」
王宣が呟いた。
「…戻らなくていいよ」
髙美が手をさらに伸ばす。
「新しいところに、進もう」
ウルフは、言葉がわかってるのわかってないのか、反応はしない。
しかし、髙美の手に近づいてきた。
「新しいところというのは、俺たちの仕事場か?働かせる気か?」
王宣が聞く。
「ううん。私の家」
王宣は驚いたような顔をする。
「ふぅ…」
ウルフの顔が、髙美の手に触れようとする。
だが、ウルフは髙美の手に触れなかった。
飛んで、髙美が右手で持っていた、赤い服を奪った。
「あっ…」
「ぐぅ…」
ウルフが、赤い服を咥え、低い体制を取る。
「…」
髙美が手を伸ばした。
ウルフの頭に、左手が触れる。
ウルフは服を咥えたまま、触れられている。
「何とかなったみたいだね」
髙美が言いながら、ウルフの頭をなでている。
「くるるる」
ウルフが、低く喉を鳴らす。
「そうか…それは良かったな」
王宣がプチプチ鳴らしながら、ボタンごと服を脱いだ。
白い服を、屈んでいる髙美の背に被せる。
「まぁ、新しい服を探すことだな」
王宣はそう言いながら、髙美の隣に座った。
髙美の上半身は今、薄いスパッツのみである。
髙美は顔を赤らめながら、白い服を深くかぶった。
「…鍛える。闘士に負けるようでは、審判は務まらない」
王宣が、上を見上げていった。
上には、葉っぱが生い茂っている。
その小さな隙間から、薄暗い夜空が見える。
「中国拳法家として、弱きことは許されない」
七年前、中国。
銅鑼の音が、鳴り響いている。
中国拳法の道場、涼麟寺。
五人の男女が、男の前に座していた。
「星様、何用でございますか」
一番若い男が、良く通る声で言った。
「君たちは、若くしてこの涼麟寺のほぼすべてを納めた。実力は、トップクラスでしょう」
星が、顎を撫でる。
「そこで君たちには、日本にわたって、裏格闘技、時牧の審判をしてもらいたいです」
五人の顔に、驚愕の表情が浮かぶ。
「…裏格闘技?」
「そう。私に関係のある団の運営する、裏格闘技です」
五人は押し黙ってしまった。
「強制はしませんが、私は、日本にわたります」
それを聞いて、五人は渋々答えた。
「お供します」
「中国拳法家の名を、汚すわけにはいかない」
王宣の目が、めらめらと光っていた。
「真面目だね」
髙美が笑う。
「真面目か、不真面目か。どちらかに振り切らなければ、この世界では生きていけない」
王宣が言うと、髙美が下を向いた。
「…髙美?」
王宣が髙美の顔を覗こうとする。
「クシュッ」
髙美が小さく、くしゃみをした。
王宣は呆れたような目で、髙美を見ている。
「何?」
鼻声で髙美が聞く。
「帰るぞ。ウルフは…一度置いて行こう。怯えるだろうしな。次来た時は、気配で分かるだろう」
ウルフが服を咥えたまま、草木の奥へ消えていった。
「ウルフに立ち方とか、歩き方とか、言葉とか、教えなきゃね」
「…ん?」
王宣が違和感を持ち、髙美を見た。
「協力してよ?お父さん」
王宣が息を深く吐いた。
「あと二時間、戻るぞ」
総一郎が言った。
「はーい」
聖一はゲームセンターで、凛太と遊び惚けていた。
「龍一に会わねぇとな。送り出してやる」
「…あぁ、そうだな」
総一郎が微笑んで言う。
「おっ!起きてたか」
凛太が扉を開け、早々に言った。
「お帰り。どこ行ってたの?」
龍一が立ち上がり、総一郎に聞く。
「ホテルだ。意外と、奪い合いの決戦って感じじゃねぇみたいだぜ」
総一郎が言うと、龍一が首を傾げた。
「ほら。あと一時間半。アップするぞ」
「了解!」
響十は、サンドバックを蹴っていた。
一人で、静かに。
左ハイが入る。
サンドバッグがへこみ、元に戻る。
弾性力で、元に戻った。
これが普通である。
だが、響十が求めるのは、さらにその先。
高速で二連、交互のミドル。
サンドバッグが、挟まれたようにへこむ。
そして、戻っていく。
ドンッ。
戻りきる前、響十が追撃を入れた。
「シッ」
息を吐き、戻りきる前に打ち続ける。
それで、三十分が経過した。
「ふぅ…ふぅ…」
息が上がっている。
三十分間、高速で動き続けたのだ。
息を上げずに続けたのは、闘士だからである。
響十がベンチに横になる。
体力を回復するようだ。
龍一はアップをし、響十は回復を図っていた。
そして、一時間が経った。
決勝 霞原龍一VS鋼山響十
開幕まで、あと数十秒。
29話 七時間 終
29話後書き。
どうも。
今回は完全にトーナメントから外れました。
こういう息抜きも大切です。
髙美と王宣のシーンは、もっと書いていきたいです。
そして、ウルフはどうなるのやら。
さて今回は、黒髪の幼子、津賀銀一。
身長157センチ 体重51キロ。
時牧編で出て来るようなキャラはもう解説できないでしょう。
では。




