27話 受ける
一番近くで見ている観客、八島健四郎。
健四郎は、後に語る。
何かの音が聞こえた、と。
小さく、肉が肉を打つ音。
パンっと。
当たった音は、小さかった。
しかし、ダメージはある。
凛太の頭に、衝撃が走る。
龍一が、ピアノを弾くかのような手の形で、凛太の顔面を殴ったのだ。
凛太が怯む。
そう考えていた。
ゴチャ。
鈍い、水っ気のある音が鳴った。
凛太はまるでジャブのような拳を受けても、一切怯まず、そのまま龍一へ殴り抜けていたのだ。
龍一の体が、十五度ほど回転し、凛太から目線がずれた。
戦闘中に相手の姿を、視認できなくなる。
龍一は、それが重大なハンデになることを知っている。
だからこそ、踏みとどまり、凛太の方へ体を回転させた。
だからこそ、そこを突かれたのだ。
凛太の右拳が、再び、龍一の頬を叩く。
今度は、回転では済まない。
龍一がつけた勢いを、そのままそっくり、威力を乗せて返したようなものなのだ。
龍一は踏みとどまれず、体が宙に浮き、凛太に殴り飛ばされる。
殴り飛ばされてから、空中で前腕を立てた。
顔を防ぐように。
それは、凛太の追撃から身を守るため、本能的に咄嗟にやったことであった。
しかし、龍一の体が予想した飛距離を大きく超えて、龍一は吹き飛ばされていた。
ガンッと背を打ち付けられ、体の芯に衝撃が行き渡る。
武術を極めたものに自然に身につく、芯。
攻撃を、防御を、動きを高めるため、体が自然にそれを作るのだ。
その芯が、まるでヒビでも入るように、まるで頭からトンカチでたたかれたように、衝撃が乱雑に響いている。
芯へのダメージは、直結して体幹に行く。
龍一はうつぶせになり、右前腕と左手をついて、体を起こそうとするが、何かが覆いかぶさったかのように、体が重い。
巨大な布団を畳み、体に乗っけられたように、のしかかってくる重みがある。
今の状態は、芯が体の前方向に曲がっているのである。
背に衝撃が走ったことにより、脳がそれに反応し、自力で気づけないほどの微妙な力みを加え、芯が曲がっているのだ。
その芯が体全体に、重みをかけている。
龍一は這いつくばったまま、リングロープに向かって、体を引きずり始めた。
ロープにつかまり、無理やり体を起こそうとしている。
だが、それを凛太が許すはずもなく。
龍一へとびかかり、右足を上げ、龍一に向かって振り下ろした。
龍一は気づいた瞬間、体を回転させ、仰向けになって、両腕でその足を受ける。
ドンッと、重く響き渡る。
しかし、それが功をなした。
腕を通し、背中まで押しつぶされることで、脳がそれに対抗し、背筋で体を起こそうとする。
もちろん、凛太の体重を、背筋だけで返せるわけがない。
結果、背筋は跳ねっ返らず、逆流した筋肉を戻すだけにとどまった。
龍一は、何が起こったかを察するよりも先に、体の異常が治ったことに対して気づく。
その瞬間に右足を床から蹴り上げ、凛太の左足の付け根を甲で蹴った。
凛太は体勢を崩し、左足を龍一の頭より数センチ先の所に落とす。
龍一はすぐに立ち上がり、凛太と距離を取った。
ダメージはもちろんあるが、先ほどまでの変な感じではない。
完全に、調子を取り戻した。
それを察すると同時、凛太は振り返り、龍一に向かって走ってきた。
龍一は凛太の首に向かって、左ハイを放つ。
だがそれは、右腕で防がれてしまった。
そして、凛太の右手が回転し、龍一の足首を掴む。
凛太はさっきまで走っていたのが嘘のように、立ち止まったまま右手を全力で握りしめた。
龍一は冷や汗と脂汗が、混ざり合って背を伝う感覚を味わう。
このままでは、足首が握りつぶされる。
龍一は左足を軸に飛び上がり、右足で凛太の側頭部を蹴った。
凛太はそれを食らって、一瞬、右手の力を緩めてしまった。
その瞬間、龍一の回転の勢いで、右手から足が離れる。
龍一は空中で一回転し、地面に着地した。
凛太は左目を細めながら、右肘を高く振り上げ、龍一にとびかかる。
龍一が腕をクロスさせて、頭の上に置いた。
その腕が重なり合っているところに、凛太の肘が高めに落ちてきた。
凛太はまるで手刀でもしているかのような体制で、龍一の腕に肘を落とした。
龍一へのダメージは薄く、即反撃に移れるほどである。
凛太の右足が地面を蹴って、凛太の腹を突いた。
凛太は空いていた腹への攻撃で、顔を歪める。
龍一はその隙に凛太から離れ、落ち着いて距離を取った。
凛太が龍一を睨み、すぐに飛び掛かった。
龍一が、そのタフさに驚く。
凛太の筋肉の鎧が、内臓への衝撃を打ち消していたのだ。
凛太が飛び掛かって、右拳を龍一の顔面に真っすぐ放つ。
右ストレートだ。
龍一はその拳を、右に避けた。
ドン。
予想外。
凛太の左拳が、素早く龍一の脇腹を突いていた。
凛太の今までの戦い方から、速さに重きを置いた攻撃は全くの予想外にあった。
しかし、速さに重きを置くといっても、殴られたのは筋肉の薄い脇腹。
内臓へ、十分に響く。
凛太は龍一へ目線を向ける。
その瞬間、凛太の顔から緊張がほどけた。
龍一は元の場所から、大股一歩分離れていた。
後ろへ、いつの間にか下がっている。
だが、凛太は一瞬ではあったが、それを見ていた。
拳が龍一を打った瞬間、龍一の体が右に回転し、フィギュアスケートのように、後ろへ一回転して飛び下がったのだ。
当の本人、龍一も驚きを隠せていない。
二回戦敗退、黒山紺。
紺はそれを見て、自分の使った技、化勁を思い浮かべた。
しかし、紺の脳内では、それがすぐに否定される。
あれは、化勁じゃない。
化勁は威力を鎮めるような、柔の技。
龍一のは、力みがある剛の技。
剛とまではいかなくても、力みはある。
紺は困惑していた。
紺の予想の通り、あれは化勁ではない。
龍一がしたことは、ごく単純。
攻撃に合わせて、ただ回っただけ。
本当にそれだけであった。
周りながら勢いで飛んでしまっただけ。
拳に合わせ、頭を動かし、威力を流す技法がある。
それを全身でやってのけたのだ。
出来た理由は、龍一の体重にある。
龍一の体重は、八十キロ。
通常で見たら、重めではある。
だが、百八十センチの男と考えたらどうだろう。
あまり多くは見えない。
対して、凛太は百八十二センチの九十四キロ。
これなら、一般から見ても重いといえる。
その体重差が、生んだ奇跡。
たとえ軽くとも、凛太の放つ打撃は十四キロも離れた打撃。
龍一の身体能力は、自分と差のある重い打撃を、回ることで流した。
龍一の、身長から大差のない体重は、それを行うほどの身体能力を有すことを表していた。
龍一は自分の行ったことがわかり、無意識に笑っていた。
「凛太、面白いな」
「あ?」
「どうやら、床の上で一回転ができるほど、俺にはスケートの才能が有るらしい」
「あぁ、そうかい。そりゃあよかったな。何なら今棄権して、スケートに転向してもいいんだぜ?」
凛太が首を鳴らし、笑いながら言う。
「そんなことしたら、俺はもっと強くなるな」
「スケートを取り入れた武術、面白れぇじゃねぇの」
二人が数秒ほど笑い、足元見てから、睨みあう。
「やろうか」
「おう。掴まれたら、ぐるぐるできねぇぜ!」
凛太が踏み出した。
同時に、龍一も踏み出す。
凛太が右拳を振り上げ、龍一の顔面へ向けて振り下ろす。
龍一は左に躱し、右拳で凛太の腹筋を叩く。
しかし、怯むことなく凛太は殴り掛かる。
右左と、拳を突き上げてくるが、龍一にはぎりぎり当たらない。
だが、それでよかった。
龍一が身をかわした時、体の後ろに振られた右腕が、リングロープに触れる。
その瞬間、凛太は拳を止め、右足を低く突き出した。
龍一の膝を打ち、体勢を崩す。
そこへ、再び拳が打ちあがってくる。
龍一の頭を打ち、凛太の右アッパーは、龍一を空中へ浮かせた。
凛太が気付く。
右アッパーに、そこまでの威力はない。
なら、なぜ浮いたのか。
龍一が飛んだからである。
龍一から見た右方向、一回転した。
龍一の技、回し受け。
「へっ、葉っぱかよ…」
凛太が笑い、龍一が着地するのを見た。
「面白れぇ」
凛太が飛び出す。
それに合わせて、龍一の右拳が、凛太の顔を叩く。
目に当たったのか、凛太が目を閉じた。
それを見逃さず、龍一の左足が、凛太の脇腹を蹴った。
龍一が視線を上げる。
凛太は笑っていた。
凛太の右手が伸び、龍一の顔を掴む。
「しゃぁ!」
龍一が後頭部から落ちた。
鈍い音が、床に響く。
凛太が掴んだまま、左拳を上げ、龍一の腹へ狙いを定める。
龍一が右足で、凛太の胸を蹴って、それを防いだ。
凛太が手を離し、ロープに背をつけた。
龍一が立ち上がり、凛太に殴り掛かる。
右拳を真っすぐ、凛太の顔面へ放つ。
凛太は後ろに避けることはできない。
それがわかった瞬間、重く踏み込んだ。
頭を前に突き出し、龍一の拳が加速しきる前に額で受けてみせた。
龍一が拳を痛め、右手を引っ込める。
その隙に、凛太がさらに前へ踏み出した。
防御ができていない龍一の顔面へ、凛太の右拳が飛んでくる。
凛太の握力で固めた、最硬の拳である。
龍一の鼻へ、拳が触れた。
その瞬間、ゆらりと、龍一の体が動いた。
凛太の視点では、左上の方へ回りながら飛んでいた。
凛太の目が、左上を追いかける。
周り受けで助走の分を短縮した技、回天落とし・流。
凛太の頭頂部を、龍一の足が蹴り抜けた。
龍一は倒れこみ、すぐに凛太の方を見た。
凛太が、前へ倒れこむ。
龍一は咄嗟に、それを受け止めた。
凛太は気を失っているようであった。
明凡が近づき、凛太の状態を確認して、手を上げる。
「勝負あり!」
歓声が沸き、龍一が凛太を床に寝かせた。
目を薄くして、凛太を見ている。
霞原龍一 決勝戦進出。
ダァンと、打撃音が部屋に響き渡る。
古八木智控室。
智はサンドバッグに向けて、重い打撃をスピーディに打ち込んでいた。
打つたび、サンドバッグを支えている金属が倒れそうになる。
智がテレビに目を向け、試合場を見る。
そこには、凛太が倒れ、龍一が立っていた。
智は体制を解き、テーブルの上のタオルを手に取り、体をふき始めた。
(決勝進出は龍一か…次は…)
水を手に取り、口へ入れ、バケツに水を吐き出した。
(響十…)
智が拳を握り締め、部屋の扉に手をかける。
「古八木智、身長百八十七センチ、体重百三十二キロ。時牧戦録十六勝一敗」
智が試合場に立っている。
腕を組み、目を瞑っている。
「鋼山響十、身長百八十二センチ、体重八十八キロ。時牧戦録十六勝無敗」
響十は目を薄く開け、落ち着いた表情で立っている。
「審判は私、正 夢坂が務めます」
夢坂が二人に目配せをし、息を吸った。
「では、始め!」
夢坂の掛け声とともに、響十が進んだ。
智の目の前で、右足を振り上げ、ハイキックを放つ。
智が左腕で、ハイキックを受ける。
響十はすぐに足を戻し、今度は智の胸へ向けて、右足を放った。
智はそれを、後ろに跳んで避ける。
響十がそれを追うように、伸びた右足で踏み込み、勢いよく進んだ。
ゴッ。
踏み込んだ瞬間、智の巨拳が、響十の左頬を叩く。
そのまま、響十は吹っ飛んだ。
血が舞い上がり、智の腕にかかる。
智は倒れこんだ響十へ、飛び掛かった。
右拳を振り上げ、右足で地面を蹴り、拳を落とす。
響十は咄嗟に、両腕を組んで、その拳を受けた。
強い衝撃が、響十の体中を駆け巡る。
智の百三十キロが、一点に落ちてきたようなものだ。
響十の両腕の骨が、キシリと音を立てる。
歯を食いしばり、智の拳が離れた瞬間、飛びのいた。
腕がじんじんと、しびれている。
響十は呼吸を整え、立ち上がる。
智は立ったまま、響十を睨んでいる。
響十が大きく息を吸い、その息を吐くことなく止めた。
そして、踏み出す。
智に向かって、ジャブを繰りだす。
左だ。
左のジャブが、智の顔面を叩く。
それと同時に、右拳で智の脇腹を殴る。
しかし、あまり深くは食い込まなかった。
智が左肘を振り上げ、響十の背中目掛けて振り下ろす。
響十はそれを察知し、下に屈んで肘を躱した。
だが、その代わりに、智の左足が響十を蹴ってきた。
咄嗟に腕で防ぎはしたものの、やはり響く。
それほどの体重差があるのだ。
響十が考える。
自分の体重では、智を落とすことはできない。
なら、体重にプラスする。
回転力や、遠心力を。
響十が立ち上がる。
両踵を上げ、ボクサーのような構えを取る。
響十は、蹴り中心に攻める気だ。
ならばと、智も構える。
低く、防御を固めて。
二人の準備が整った。
27話 受ける 終
27話後書き。
龍一対凛太の決着です。
準決勝だからなのか、主人公の試合だからなのか、とてつもなく長い試合になってしまいました。
いきなり出てきた、龍一の回し受け。
回し受けという技は、空手に存在しますが、関係ありません。
龍一の才能はどこまでの物なのでしょうか。
さて今回は、黒スーツのインテリヤクザ、角間行成です。
身長185センチ 体重81キロ。
同じく時牧編で出番はないでしょう。
では。




