25話 正体
腕が振れた瞬間、智が吹き飛んだ。
空は拳を突き出している。
智はリングロープに止められると、何が何だかわかっていない様子だった。
空がしたことは、流し。
智の腕が振れた時、その威力、衝撃を智の方へ流したのだ。
智の体が、リングロープに寄りかかる。
呼吸を整え、空の出方をうかがっている。
先ほどの攻撃は、そこまで響いていない様子だ。
打たれた腹を抑えながら、智はリングロープから離れる。
空は直立のまま、智を見ている。
智が姿勢を屈め、前傾姿勢になる。
組みつきに行くような、低い体制だった。
空に向かって、智が踏み出す。
一歩、床を踏み、前に向かって飛ぶ。
空にどんどんと、智の体が近づいてくる。
空に、動く気配はない。
智が右腕を振るった。
右拳を、空の顔面に向かって打ち下ろした。
空の体が曲がり、智の体が崩れる。
威力を流したのだ。
空が回転し、右裏拳を智の右頬に打ち込む。
だが、踏みとどまった。
「だっ!」
左拳が、空の顔面を貫いた。
仮面諸共。
仮面が、砕け散る。
龍一が立ち上がった。
空は殴られた勢いのままバク転し、顔を隠しながら片膝をついて着地した。
「…」
龍一は目を凝らす。
目線の先は、空の顔。
その風貌を。
復讐と聞いて、何人かの男は頭に浮かんだ。
時牧で戦った者たち。
だが、今の今まで、試合に負けたからと言って場外乱闘を挑むほどの無法者はいなかった。
となると、試合で戦ったものではない。
最初から、形式などない戦い。
つまり、喧嘩。
龍一が生きた十七年。
喧嘩など、数えられるほどしかしなかった。
その中で、空と同じほどの巨体を持ち、復讐をたくらむほどの意思を持った男。
そして、空という名前。
空の顔は、ギラギラと闘志に燃えていた。
いや、空という名前は本当の名ではない。
本当の名前は、羽斗。
瀬賀羽斗、それが男の名である。
「かはっ」
羽斗の口から、血が飛び散った。
「餓鬼が!調子乗ってんじゃねぇ!」
相手の男が、右腕を振り上げて、羽斗に迫る。
男の名は、ダリス・ザック。
元ヘビー級ボクサー。
刈り上げた頭、脂肪の突いた筋肉、鋭い瞳孔。
歯を食いしばって、羽斗の顔面に向かって右拳を振り落とした。
「ぬぅっ!」
拳が触れる直前、羽斗は前に進み、頭頂部をダリスの鼻っ柱に打ち込んだ。
鼻から出た血が、羽斗の頭に糸を引く。
そして、羽斗の左ハイキックが、ダリスの頭を叩いた。
ダリスの体は勢いよく倒れ、羽斗は両膝に手をついた。
その瞬間、カンカンと、金属の音が鳴り響く。
「彼、面白いな」
テレビ越しに、ある男が言う。
「彼を、俺の所へ呼びよせよう」
羽斗は、裏格闘技に身を投じていた。
負けた悔しさと同時に、誰にも負けんという確固たる意志が生まれていた。
裏格闘技、絶。
殺しがありの危険な裏格闘。
そこで、若き虎として羽斗は戦った。
負け知らずの男として。
ある時、話を持ち掛けられた。
時牧に入らないかという話。
羽斗は二つ返事で了承。
だが、一つの問題があった。
その話の後、開催される試合内容を聞いた。
そこには、聞き覚えのある名前が。
霞原龍一。
羽斗は、復讐のタイミングを見つけた。
羽斗は空となり、時牧で勝ち上がった。
「羽斗…」
龍一が息をのむ。
智はもちろん、知らない男の顔を見ている。
だが、警戒はしていた。
左拳で全力で殴った。
しかし、相手はバク転を披露し、そのまま着地したという。
ダメージが見受けられない。
(寸前で流されたか…今度こそは…)
空が、羽斗が立ち上がる。
そして、走り出す。
智に向かって、全速力。
智は、体勢を低くし、衝撃に備える。
智が両腕を、顔の前で固めた。
その両腕に、左手で平手打ちを放つ。
パチンとなり、智の体が後ろに後退した。
羽斗が駆け寄り、左足を上げる。
そのまま前蹴りを放つ。
足は、智の腹筋を真っすぐ貫いた。
「ぐっ…」
智が歯を食いしばり、痛みに耐えた。
そこへ、羽斗が右カーフを顔面へ打つ。
智は防げず、直で喰らってしまった。
脳が揺れる。
だが、気が飛ぶほどではない。
羽斗が左ストレートを打とうとしている。
打たせない。
全力で頭突きを放った。
羽斗は予想外の攻撃に対応できず、頭突きを直で喰らってしまう。
羽斗が数歩、後ろに下がった。
智が進み出る。
全力で振りかぶり、右拳を羽斗の顔面へ撃つ。
羽斗の体が、大きく飛んだ。
が、踏みとどまる。
羽斗が全力で力み、前へ突き出た。
智も前へ突き進む。
二人の拳が、交差した。
羽斗の右拳が、智の顔面に迫る。
智の左拳が、羽斗の顔面に迫る。
そして、智の拳が触れた。
その瞬間、羽斗の体が回転する。
威力を流す。
右拳に威力を乗せ、智の顔面へ放つ。
ガンッ。
当たった。
拳は、智の左前腕へ直撃した。
智の防御が、一瞬速かったのだ。
羽斗の目が見開き、動きが止まる。
その横っ腹に、智の右拳が深くめり込む。
「がはっ」
羽斗の体が、前へ崩れた。
そこに、左アッパー。
羽斗の顔面へ。
突き上げた。
血が舞い、羽斗が仰向けに倒れる。
龍一は、苦虫を噛みつぶしたような表情になっていた。
一拍の間を置き、髙美が声を上げた。
「勝負あり!」
歓声の中、智が咆哮を上げた。
「羽斗?それが空の正体か」
智が廊下で、龍一と話している。
「意識を取り戻したら、真っ先に俺の所へ来ると思う。けど、邪魔はしないでほしい」
龍一は言った。
智の隣の凛太が、声を上げる。
「でもそいつ、なにしでかすかわかんないんだろ?関わらない方がいいだろ」
「いや、何かそんな感じはしない人に見える」
凛太が鼻息を鳴らした。
「俺は邪魔しねぇよ。お前なら余裕だろ?それに、多分あいつは俺にもいつか来るからな」
智が笑って言って見せた。
龍一も笑って返す。
「まぁ、俺との試合に響かないようにな」
凛太が言う。
龍一はうなずき、その場を離れた。
行先は、空の控室。
扉を叩き、開けた。
「…」
扉に背を向けて、黒い服の男が座っている。
「羽斗…さん」
龍一は、躊躇いがちに言った。
羽斗が振り返る。
「どちらかが終わった時、復讐に来る。言葉通りだ」
羽斗が立ち上がり、扉の方へ近づいていく。
「中でやろう。外でやれば関係者が来てしまう」
羽斗が親指で、控室の中を指した。
椅子はどけられ、部屋の中央には何も置かれていなかった。
羽斗が息を整え、龍一を睨む。
「どちらも三回戦後。決着は速いだろう」
「えぇ」
龍一が頷き、羽斗を見た。
「やるか」
羽斗がゆっくり踏み出した。
右ジャブが、龍一の顔を狙う。
龍一は後ろに下がり、数センチの差で拳を避けた。
羽斗はそのまま回転し、左足で回転蹴りを放つ。
龍一はしっかり防いだものの、ダメージは大きかった。
羽斗が追撃を仕掛ける。
右腕を高く振り上げ、肘から振り下ろす。
狙いは、龍一の顔面。
龍一はそれを見切り、横に跳んで肘を躱す。
羽斗は瞬時に、それを追った。
だが、体を回転させた瞬間、龍一の左足が羽斗の膝を蹴った。
ベキッと音を立て、羽斗の体が下に落ちる。
龍一は体勢を立て直し、羽斗の落ちていく顔面に向かって、右膝を打ち込んだ。
血が舞い上がり、羽斗の体が後ろへと仰け反る。
龍一は冷静に、距離を取った。
羽斗は勢いよく立ち上がり、息を整える。
そして、踏み出した。
龍一は直感する。
羽斗は残り僅かの体力だと。
その瞬間、大きく息を吸った。
羽斗が右腕を振るい、拳が龍一の胸に直撃した。
しかし、揺るがない。
龍一が、拳を受けて見せた。
羽斗が顔を上げると、龍一の足が迫っていた。
左足で、頭を打ち抜かれる。
羽斗はゆっくりと倒れた。
「羽斗さん…これで復讐は終わりだ」
そういい残し、龍一は呼吸を整えてから部屋を出ていった。
羽斗は気を失っていない。
立ち上がることはできないものの、まだ意識はある。
だが、何をするでもなく、羽斗はそのまま目を瞑った。
それは、敗北の意思表示であり、復讐の終わりを告げていた。
「鋼山響十、身長百八十二センチ、体重八十八キロ。時牧戦録十五勝無敗」
白い髪の毛をなびかせ、試合場に立っている。
「禪院霧斗、身長百九十センチ、体重百二十三キロ。時牧戦録、三十八勝無敗」
響十のことを、見下ろしている。
しかし、実際には違う。
見下ろせない。
霧斗の目線に、響十は低く映っていない。
同等、もしくはそれ以上の大きさに見えている。
響十の二回戦の対戦相手、古藤満。
警戒に値する人物ではあった。
その満を、倒してのけた男。
見下ろすには値しなかった。
「審判は私、正 東蓮が務めます」
東蓮が、二人に目を向ける。
「では、始め!」
東蓮の腕が降りあがった。
瞬間、響十が踏み出す。
左ハイが、霧斗の頭へ打った。
だが、霧斗はしっかりと、右腕でそれを防いでいた。
響十と霧斗の体重差は、三十五キロ。
防がれてダメージの入るようなことはできない。
響十が左足を素早く戻し、後ろに跳び下がる。
霧斗は右腕を振るって、低く構えた。
二人が、同時に呼吸を整える。
そして、同時に踏み出した。
響十は軽く、霧斗は重く。
霧斗が右腕を、響十に向かって振るった。
しかし、響十は寸前で踏みとどまり、拳を躱す。
右左と、交互にジャブを放ち、霧斗を牽制する。
霧斗へ入るダメージは薄い。
その代わり、動けなくなっている。
ジャブとはいえ、防御なしで喰らい続ければ、大きなダメージへと変化する。
霧斗が歯を鳴らし、さらに深く防御を固めた。
だが、それが響十の狙い。
防御を固め、避けるという選択肢を消すのが、響十の狙いだったのである。
霧斗は、両腕で頭を囲むようにして防御している。
その中で、空いているところがある。
響十を視認するために必要な、正面。
正面は守りが薄い。
そこに、響十が右足を蹴りこんだ。
霧斗は防御しようとする。
だが間に合わない。
鼻に蹴りを食らい、後ろに大きく仰け反ることになった。
赤い血が舞い、響十の足にかかる。
霧斗はどんどんと下がっていき、ロープに背を当てた。
響十は追撃のため、霧斗に向かって踏み出す。
しかし、霧斗はそれを利用した。
床を蹴り、ロープに身を任せたのだ。
ロープは曲がり、反動で霧斗の体が押し出される。
響十はそれに気づくと、ストップをかけた。
それでも、霧斗の射程内に入っていた。
霧斗の左腕が、響十の顔面を叩く。
左のラリアットが、響十を打ち倒した。
響十は後頭部から床に落ち、脳へと衝撃が伝わる。
霧斗は勢いのまま走り抜け、二メートルほど響十から離れたところで止まった。
霧斗が振り向いたときには、まだ響十は倒れていた。
仰向けに倒れている響十に、霧斗が近づいていく。
響十は目を瞑り、息を一気に吸って、体を起こした。
霧斗に目線を向けながら、素早く立ち上がる。
だが立ち上がる最中、霧斗が突っかけてきた。
全力で握った右拳で、響十の顔面を狙う。
響十は冷静に、左手を持ちあげる。
左手は霧斗の右手首に当たり、拳の軌道をずらした。
しかし、霧斗は流された勢いのまま、左拳を響十の腹に打ち込んだ。
「っ…」
響十は歯を食いしばり、衝撃に耐える。
その響十に、霧斗が左足を振るう。
響十の右腕に、左の脛が直撃した。
再び、痛みが走る。
響十は痛みで顔をゆがませながら、霧斗から離れる。
呼吸を整え、痛みを抑えている。
だが、霧斗はその猶予を与えない。
右足で、前蹴りを放った。
響十は後ろに下がったと同時に、右にあるロープを掴んだ。
霧斗が右足で踏み込み、響十に近寄る。
響十は、ロープを右手で掴んだまま飛び上がり、左足で霧斗を蹴った。
当たった箇所は、左胸。
霧斗の肋骨に、衝撃が走る。
が、止まらない。
そのまま、響十の顔面を左拳で殴り飛ばす。
今度は響十が血を上げ、ロープに背を当てた。
そして、霧斗の右拳が、響十の腹を突く。
ロープに挟まれ、腹が圧迫されている。
響十は歯を噛み締め、右拳で霧斗の顔を打った。
予想外だったのか、霧斗は後ろに下がり、響十は抜け出せた。
しかし、ダメージが大きい。
呼吸を整えながら、しっかりと距離を取っている。
霧斗も同様に、呼吸を整えている。
一気に攻めすぎたようだ。
二人がしっかりと距離を取っている。
じりじりと、離れていく。
近づけないのだ。
響十はダメージから。
霧斗は予想外の反撃から。
その二つが影響し、二人を近づけない。
だが、次第に響十はダメージが回復していき、霧斗は腹を決める。
二人の呼吸が平常に近くなった。
その時、二人が同時に踏み出した。
25話 正体 終
25話後書き。
どうも。
急展開の1話です。
空の正体が判明し、復讐が終わりを告げました。
正直もう少し、戦いを濃密にしてもよかったかもしれません。
羽斗が空という事は決まっていましたが、実はトーナメントの出場者を考えるときに、空というキャラを作り、羽斗を登場させたいという思いから、空が羽斗という事になりました。
空の見た目や戦い方の元ネタは結構わかりやすいところもあります。
同じく漢字一文字の、仮面を被った、黒い服の長身です。
バイブレーション。
さて今回は、ツアーリル・クルカです。
身長182センチ 体重88キロ。
おじいちゃんなの気結構筋肉質です。
では。




