第17話 愛と混乱 5/5
なかなか戻ってこないミル。
タクヤも「僕もトイレ行ってくる」と立ち、通路を進むと、隣の車両で一人で座っているミルを見つけた。
声をかけようか迷ってしまう。
ミルが強いのは、見習わなければいけないと思う。
しかし、根本的に何かが違う。
話が合わないし、彼女の強さは、どうしても苦手だ。
でも、ここで、黙って通り過ぎるのは違う、とも思う。
とりあえず、彼女の横に座る。
「あなた、いい人ね」
「……」
「偽善、って言葉、知ってる?」
あまり聞かない言葉なので、タクヤは理解するのに少し時間がかかった。
本心ではないけれど、いいことをすること。
黙って去るのはよくないという態度が、偽善なのか?
言葉の意味を理解して、タクヤは侮辱されたことを知った。
「なんだよ、それ」
「ああ……もう、あなたが来ると、混乱するのよ」
「じゃあ、戻るよ」
「ばか。座ったんなら、もう少しそうしていればいいじゃない」
「どうしてだよ。どうしたらいいんだよ」
「はあ? わからないの? 私や、あなたのような立場の人間って、こういう列車にフリーで乗れることなんて、人生でそうそうないことなのよ。ていうか、たぶん、もう二度とない。いまだけ。どう? わかるでしょ?」
「これが最後ってことか」
「イヤな言いかたやめてよ」
「でも、そういうことだろ」
「違うわよ、ぜんぜん違う」
「わがままな女だな」
「そう思うなら、ほおっておいて」
車窓に目を向けるミルシード。
タクヤはためいき。
「僕には、わからないことだらけだよ」
「ま、私だって私のことがわからないのだから、他人が苦労するのは仕方がないわね、あきらめなさい」
他人。
冷たい言葉だが、しかしタクヤは、それを否定できなかった。
どう否定したらいいか、わからなかった。
……他人だなんて思っているわけではない。でも、僕は、他にキスをした人がいる。 二人とキスしていいならそうしたいけれど、それはたぶん、ゆるされないこと。
だとしたら、二択しかないのだったら、ミルとは、他人が正解。
タクヤは、黙って、席を立った。
そのとき、列車に急ブレーキが掛かった。
突然のブレーキで、タクヤはよろけて側のシートを掴む。
遠くから複数の銃声が聞こえ、列車の横板を叩いた。
「ミル、もどろう。なんかやばい」
「いいからほっといて」
「そういう問題じゃないから」
タクヤが強引にミルの手を取ると、ふり返った彼女の顔は、涙で濡れていた。
「ミル……」
「なによ。バカなあなたには、理解する権利すらないわよ。女の心なんか理解しなくていい。国民のためにつくしなさい。それがあなたの役割よ」
ミルシードは、あふれてくる涙を、再度腕で拭う。
「ミル、僕は他人じゃない。それ以上のことはわからないけれど、でも、今はもどろう。なんかこの列車、ヤバそう」
タクヤは、ミルに腕をとって、立ち上がらせた。
さらに銃声が響く。
弾がはねる金属音が鋭く響く。
「恥ずかしいじゃない」
「ごめん、そういう場合じゃない」
タクヤはミルシードの腕を引いて通路を戻る。
ミルは、ひとしれず、小さく呟いた。
「他人じゃないなら、婚約者って言いなさいよ、バカタクヤ。なんで涙とまらないのよ、バカ私」
◆ ◆ ◆
ミルシードは目撃していた。
トイレのあとに席に戻る途中、車両連結部のガラス窓から、並ぶシート越しに、タクヤとユリの頭が見えた。
その頭が近づき、一つに重なる瞬間を。
ミルシードは手を口に当て、首を振り、近くの空いていたシートに逃げ込むように座り込んだ。
行為自体を見たわけではない。しかし、その瞬間、黒髪のユリの頭が、ふっと上に動き、数秒、止まり、まるでいけないことをしてしまったのかのように、あわてて離れたのだ。
ありえない記憶。
それをミルシードは、鉛のヤジリのようにのみ込んだ。




