第7話 スーサ教 4/5
しとしとと続く雨音。
筆屋の古くさい匂い。
僕は上下の棚に並んだ筆をながめていた。
店主が奥からやってきた。
白髪の老人。
「なに用ですかな?」
「旅の者です。大切な文字を書きたくなって」
「うむ……ならば、これがよいでしょう」
店主は、奥まった棚から一本の筆を取り出し、ひょいと投げてきた。
僕はあわてて受けとめる。
詳細を観察すると、軸は細めで持ちやすい。
ただし、あきらかな使い古しだった。
毛がばらけている。
「たしかにこれも悪いものではないのかもしれません。しかし大切なことに使いたいので、できれば、よいものを求めたいのです」
「ふん。それになさい」
「いや、しかし、これはどう見ても使い古しで……」
「それはな、この地においでなさったナスシオン様が置いていかれたものじゃ。値段はただ同然にしてある。わざとな。凡人は興味を示さぬように。しかし断言できますぞ。その筆以上のものは、この店には、決して置いておらんです」
「店主……」
老人は背を向けたまま、こきざみに背中をゆらし、話をつづけた。
「ワシはな、ごらんのとおり、しがない田舎の筆売りじゃ。しかし、筆を買いにくる者の心は、たいがいわかる。あなた様は、ワシごときが面と向かってお話出来るお方ではないのでありましょう。だから、どうか、その一本が、我が意と受けとめお役立てください」
「ちなみに、そのナスシオン様とは、どんな人ですか? すみませんが、無学な僕は聞いたことがありません」
「世間では、エーベ様として、知られているお方じゃ」
僕は、目を見開き、唾を飲んだ。
「スーサ教のエーベ様が? まさか……」
「その、まさか、ですわい。しかもこれは、かの平和経典を記した直筆」
「ニセ物でしょ?」
つい小馬鹿にした笑みが浮かんでしまう。
「書けばわかります……あのお方は、この地で最期をすごし、息を引き取られた。死の瞬間まで、気高く、謙虚なお方であられた。その本人が、わざわざこの店に来て、その筆を置いていかれたです。いつか、これを使うにふさわしい人物が訪ねて来るから、と」
僕は首を振った。
さすがに、それはない、と。
しかしそんな軽々しい態度を、天の神がいさめるかのように、大地を振るわす激しい雷鳴がとどろいた。
雨が降りしきる。
僕は筆を受けとり、温泉街の軒下をたどって、宿に戻った。
濡れた靴下だけを履き替えて、自分で机と硯を用意し、さっそく買ったばかりの筆先に墨汁を吸わせてみた。
たしかに、書いてみると、すぐにわかった。
この筆で書いた文字は、ふをっと紙から浮き上がり、小魚のように宙に漂った。
それを前にしても、僕はあまり不思議なこととは感じなかった。
つまり、そういう筆だったのだ。
僕は、舞う小魚たちを指先でいったん散らし、あらためて大切な想いを記した。
その文字が宙に浮くと、ふっ、と息を吹きかけて、飛ばした。
時間も空間も越えて、大切な人にとどくようにと。




