第6話 リーアン 1/5
7月20日、朝。
国会議員リーアンの携帯端末にメッセージが届いた。
「タクヤ様が目覚められました。9時中央公園の噴水前にお願いします」
第一秘書のメリルから。
サラリとした文面だったが、彼は一瞬、身体が震え、手にかかえたブリーフケースを落としそうになった。
ついに、その日が来た。
リーアンがいるのは、スーサリア国会議事堂。本日は本会議はなかったが、環境予算をめぐる小委員会が予定されていた。
彼は、同じ政党の年長国会議員であるガリエルの姿をさがした。血縁関係にある恩師の、ひときわ大柄な姿はすぐわかった。手招きして無人の喫煙コーナーにいざなった。
「リーアン、おまえはタバコを吸わないだろ?」
「しばし立ち話、そんなことが必要なときもあります」
「ふむ、では葉巻でも点けるか」
ガリエルはスーツのポケットから葉巻ケースを取り出して一本引き抜き、ライターで火を点けた。
静かに煙を吐き出す。
「リーアン、おまえ、ずいぶん顔色が悪いようだが?」
「しかたがありません。ただ、そのことでご相談が」
「病気か?」
「いえ……今、盗聴器のチェックは済ませていますね?」
「もちろんだ。なんだ、物騒な話か?」
叔父の興味深そうな視線を受けて、リーアンは、ふと、根源的なことを質問したくなった。
「ガリエル叔父は、スーサリアをどう思っていらっしゃいますか?」
「なんだ、いきなり」
「いえ、ふと大切なこと、と気がついて」
「スーサリアは、美しい国だ。つねに平和を遵守し、芸術を尊び、貿易による経済発展を遂げてきた。間違いなく、これこそが幸福というものだ」
「それだけですか?」
「もちろん現実には、雇用や、環境など、問題がないわけではない。しかし、リーアン、私は、この国を、一人の政治家として、心から誇りに思う」
「おっしゃるとおり。しかし、問題は『これから』です、人々の欲は深い」
老獪な叔父に比べると、明らかに若く見えるリーアンは、両腕を胸で組み、白い顔で苦笑した。
二人はソファーに座ることはせず、立ったまま会話を続けた。
「おまえが問いたいのは、隠蔽された公害のことだな。私はな、リーアン、おまえが思っている以上に、環境大臣という立場から、公害問題については詳しいのだ。患者の一人一人に会いに行ったこともある。当然、環境への配慮は、必要なことだ。しかし、国として重要なのは、経済だ。だれかが適切に調整しなかったら、いつだって言い争いだ」
「そうですね。よき支配者がいてこそ、平和が守られる。よき支配者は、金を必要とする」
「それを戒めるために、我々には、スーサ教の教えと平和経典があるのだ」
「そう、国内では大切な教えです。……しかし、国際社会ではどうですか?」
「何が言いたい、リーアン? おまえが言いたいのは?」
「はっきり言って、危険な毒性植物の管理も、ベルベス利権についても、すでに王の管理は十全ではない」
「きさま、その達観したような冷たい言いぐさ……いったい何をたくらんでおる? 解散請求か? 性急な手だては、わしは断じて賛成せんぞ」
ガリエルの眼差しを、リーアンは冷たく受け流した。
「残念ながら、ここで全てを告げるわけにはいきません。そもそも、私が知っていることなど、実際に動いている現実の一面にしかすぎない。ただ、確実なのは、すでに……いえ、ずいぶん前から『非平和的な何か』が、動き始めているということです」
「非平和的な? ……ワシも、おまえの妻のことは、同情する。しかし」
「妻の話ではありません。が、議論している時間は、もうありません」
「時間がないとは、どういうことだ」
「すみません。要点だけを。ガリエル叔父、今日は『高いところ』に行かれませんように」
「高いところ? 予算会議とは関係ないのか?」
「これは『始まり』です。この国の未来を信じるがゆえに」
ガリエルは話の方向を悟り、葉巻の先を灰皿に押しつけて、声をひそめて質問した。
「龍人族か? おまえが医者時代につきあったネットワーク。つまり、テロか。そうなんだな?」
「私の口からは、これ以上は、なんとも」
「くそ」
苦渋の表情を浮かべるガリエルは、うっすら涙を浮かべて、明るい朝の光が広がる窓の外に目を向けた。
「おまえたちは、若すぎるのだ。すべて間違っているとは言わない。しかし暴力の悲惨さというものを理解していない。暴力は、暴力の連鎖を生む。それでは何も解決しない。歴史が示す事実だ」
「かといって、じっとしていても、悪しき侵食を許すばかりです」
「急いては、変わるものも変わらない」
「ガリエル叔父、いずれにしろ、先ほどタクヤ王子が目覚められました。すでに選択の余地はないことなのです。そもそも、エレリア出身のタカコ様が王妃になられたときから、この流れはある程度決まっていた」
「なぜだ?」
ガリエルは拳を握りしめて巨体を振るわせた。
「なぜ急ぐ。おまえにしてもこの美しい国を愛する政治家の一人だろうが。世界のどの国が愚かな武力行使をしようと、この国だけは中立を保ってきた。スーサリア平和賞は、世界で知らないものはない名誉あるものだ。いまや大国の総理ですら、それを欲して行動する」
「なつかしいですね。学校で教わりました」
「バカ者。他人の死を死と思わない武器商人たちや、他国を憎むことしか知らない偏狭な武装論者たちに、かるがるしく実権を握らせないこと。例え小国でも、その平和と安定の中心にいることこそが、我々の最大の責務ではないのか」
リーアンは、苦笑した。もちろん政治家としてキャリアの長い叔父が、子供のような理想主義者でないことは知っていた。
しかし今では、世界平和の大義こそが『富の偏在』を加速させている。格差が人々の死の連鎖を生み、結果的に組織的な破壊や饑餓、ひいては軍事衝突の原因になっている。
「正論を聞いて、あらためて身が引き締まる思いです、ありがとうございます。では、私はこれで。いずれにしても、今日の会議は成立しない」
「おい、まて。『おまえ』は、何をする気だ」
一言『おまえ』を強調する叔父の問い。
リーアンが足を止めて、ふり返った。
「私は……今日は、妻の思い出にひたってみるかもしれません」
「バカ者、死ぬなよ。来週にはワインパーティをやるんだ、おまえのところの犬はプールが大好きだったじゃないか。きっとこいよ」
リーアンは立ち去りながら、小さく首を振った。
よけいなことを思い出させる。
愛犬なら、昨日、安楽死させた……




