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第2話 ミルシードとユリ 4/4

 診療所の一角にある祈りの間にもどると、ユリは王子に下着だけになって診察台に横になるよう伝え、手早く準備を始めた。


 まず香油の調合。

 毒性植物の対処に使われるレシピを、スポイドを使って慎重に再現した。

 香油ができあがると、ユリは彼に言った。


「それでは始めていきましよう。最初におことわりしておきますが、痛みは、かなり発生すると思います」


 ユリの真摯しんしな態度は、海辺にいたときのおどけた雰囲気から大きく変化していた。

 タクヤは顔の半分を枕にうずめたまま疑問を口にした。


「祈りで痛み?」

「はい。神に祈ることと、祈り師が祈ることは、同じではないのです。ただ、通じるところはあると思っています。内なる病の真実。それを受け入れることでしか進めないことがある。それが、私たちの言う”祈り”という治療の一歩です」

「一歩か……」

「すみません、決して難しく考えることはないのです。ただ、心と身体のことを、説明しようとすると、難しくなってしまいます」

「ようするに、治ればいいんだよね?」

「そのとおりでございます」


 ユリは香油を手に取った。

 彼の下腿かしのアザに、迷うことなくたっぷりと広げた。


「タクヤ様は、ただ、受け入れてください。恐れは、いりません。祈りとは、あなたに受け入れていただくという意味で、完全な共同作業なのです」


 彼はくすぐったい気持ちになった。

 これは二人の初めての共同作業……


 それにしても、下半身をいじられると、はずかしくなってしまう。

 祈りという治療なのは理解している。

 国家資格も存在するほどの正式なものであることも知っている。

 しかし、同世代の女性なのだ。

 しかも彼女は子供のときに見たものをしっかりおぼえているらしい。


 タクヤが男子らしい考えをめぐらしていると、それをいましめるように、部屋の雰囲気がピリピリしたものに変化した。

 低い声の呪文がユリの口から発せられ始めた。

 

 下半身に経験のない奇妙な圧迫感。

 そして、それは本当に襲ってきた。 


「痛い!」


 本物の激痛が走り、うつ伏せのままタクヤがユリをふり返る。

 目を半ば閉じて呪文を発するユリの胸のペンダントから、淡い緑の光が発せられている。


 祈り、それは、無数の針が放たれて、突き刺さってくるかのよう。

 やがて針だけではなく、強い思念のようなものが入りこんできた。

 肉や神経をえぐって。

 痛すぎる。

 ズタズタにされてしまう。


 しかしそれだけでは終わらなかった。

 入りこんだユリの思念は、そのまま身体の内側から、上に向かって移動してきた。

 内臓を通り、上半身をぬけて、首元まで。

 たまらずタクヤは身もだえする。

 それでも祈りの侵入はとまらない。


 もう無理だ、と彼が横目でユリをうかがうと、彼女は目から涙を流していた。

 呪文を唱えながら、目から涙がとめどなく流れ落ちている。


 ユリは、祈りに、命をかけている。

 あるいは、命を削っている。


 つらくても、受け入れなくてはならない。

 それは病にむしばまれた自分のため……

 叫びそうになる口を手でふさいで、祈りの侵入に耐え続けた。


 ふっと、それは終わった。

 波が引くように、収束していく。


 次の瞬間、ズシン、と強い音が響いた。

 大地をハンマーで殴られたかのような。


 これも祈りの一部?


 タクヤが、ユリを見上げると、彼女は不安げに周囲を見回していた。


「ねえ、もう終わった?」

「はい、タクヤ様。本当はもう少し脱力したままにしていただきたいのですが」

「何か音がしたよね」

「なんでしょう。地震でもなさそうです」


 するとまた、大地を揺るがす衝撃音。

 ユリが「きゃっ」と叫ぶ。

 直後に、何かが崩れ落ちる音が続く。 地震とは明らかにちがう。


 タクヤは素足のまま治療台を飛び降りて、窓を開けて外をうかがった。

 王宮の数カ所から黒煙が上がっていた。

 スーサリア王宮が爆撃を受けていた。


 上を見ると、空に小さな点が見えた。 

 その黒点は、高空からこちらに近づいてきた。

 二つの翼が見えた。

 その広げられた翼の真ん中から、黒い点が放たれ、不思議な音をたてて落下してきた。

 彼が反射的に身をかがめる。

 直後に爆風が襲い、診療所のすべての窓ガラスが砕け散った。


 倒れ込むタクヤを見て、ユリは何をするべき考えた。

 たたんであったタオルを手に取り、床に散らばったガラスを脇に払い、診察台の下に新しいタオルを何枚もしいて、彼を「こちらに」と引き寄せた。


 二人で診察台の下に身をかがめた。

 そこまですると、ユリはガクガクと身体が震え始めた。

 良き祈りの努力を、あざ笑うかのような暴力。

 あまりに無力だった。

 

 タクヤは、爆音で耳が麻痺したまま、ユリを固く抱きしめた。


 やっぱり、こんなの、夢なんだ。


 すべてが夢。


 目覚めてしまえば、消え去る。


 思い出そうとしても、思い出せなくなる。


 そうあるべきだったのに、そうではないことを思い知らせれてしまうのは、腕の中でふるえるユリの、たしかなぬくもりがあったから。


 偶然の祈り師でも、偶然の爆撃でもない。


 今、ユリを、抱きしめていること。


 時間も、空間も、耳鳴りも、悲惨な予感も、やがてすべてが時代の中に流れ去り、引き伸ばされて消えていったとしても、ユリを抱きしめているこの瞬間だけは、けっして損なわれることはない。


 無限の宇宙で、抱きあい漂っているかのように。


 孤独かもしれないが、ユリと一体であれば、きっと何かが始まっていく。

 どんなものでも、始まっていける。

 その可能性に心臓が熱をおびてふるえる。


 しかし、そんなタクヤの愛に満ちた心持ちとは関係なく、新時代をめぐる現実の狼煙は上がっていた。

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