第3話:回収リストと、没落令嬢エルナ
街のざわめきが、真一の鼓膜をくすぐった。
異世界という響きは、どこかロマンチックに聞こえるものだ。だが、実際にその“異世界”に立ってみると、それはあまりに生々しい現実だった。
空は鈍く曇り、石畳の道には雨水が染み込み、屋台の男たちが口汚く客を呼び止める。人々の服は擦り切れ、子どもたちの目は、ひどく大人びていた。
「ようこそ、“アステラ王国首都オルディア”。中規模文明圏・G-2。戦災・飢饉・魔獣流入の影響で、死亡率が平均8.6%を超えております♪」
横を歩くリリスが、観光ガイドのような口調でそんなことを言った。
「いや、“ようこそ”じゃねえよ……」
「今回のターゲットは、この都市に住む三名。中でも最優先対象が——」
彼女の指が、空中に浮かぶ光のパネルをタップした。真一の目の前に、3つのシルエットが表示される。名前、年齢、死期、回収優先度。
その中の一つに、目を奪われた。
《エルナ・ヴァレンティア/16歳/死期:本日中/優先度:高》
「……16歳?」
「元・貴族令嬢です。政争で父が処刑され、家は取り潰し。今は身分証もなく、スラムの片隅に潜伏中」
「……そんな子が、“死ぬ予定”なのかよ」
「はい。路地裏で餓死。あるいは売られる途中で心臓発作。複数の可能性がありますが、結果は同じです。今夜が死期ですね」
リリスはそれを、まるで天気予報を告げるように淡々と言った。
真一は唇をかみ、無言で地図のマーカーを見つめた。視界の片隅に、“赤い輪郭”が浮かんでいる。死が近い者に現れる印。
* * *
地図に示された地点は、王都の中でもとりわけ陰鬱なスラム街だった。
壊れかけの木造住宅が密集し、下水の匂いが鼻を突く。生きる気力を削がれるような空間。そんな中で、真一は彼女を見つけた。
エルナ。
ブロンドの髪は汚れて灰色になり、ドレスの裾は泥にまみれている。だが、その佇まいには、どこか気品の名残があった。彼女は誰にも気づかれないように、ひっそりと壁にもたれて座っていた。
そして、まるで“自分の死を知っている”かのように、空を見上げていた。
「——死神さん、ですか?」
真一の足が止まった。彼女の視線が、まっすぐこちらを見ていた。
「え?」
「あなた、きっとそうですよね。そういう目をしてますもの」
「…………」
言葉が出なかった。死の視界で視る彼女の輪郭は、真っ赤に染まっていた。あと数時間。たぶん、何もしなければ本当に死ぬ。
エルナは、どこか諦めたように笑った。
「もう、いいんです。父が処刑されたときから、私は“終わった存在”でした。誰も助けてくれなかった。なら……今度はちゃんと、最期を見届けてくれる人が来てくれた。それだけで十分です」
「……ふざけんなよ」
真一は、思わず口にしていた。
何が“十分”だ。何が“終わった”だ。そんな理屈で、命を諦めるなんて。
「お前、まだ生きてるじゃねえか。なら——死なせねぇよ」
背中に背負っていた鎌が、かすかに震えた。死神としての本能が、“回収”を促してくる。
だが、真一はその声を無視した。
「リリス。鎌、しまう方法、教えろ」
「え? えぇ……? しまう……って?」
「回収しない。こいつは、俺が助ける」
リリスがきょとんと目を丸くする。次の瞬間、彼女はふっと微笑んだ。
「……あら。それ、“退職フラグ”ですよ?」
「上等だ」
真一は、エルナの前にしゃがみ込み、手を差し伸べた。
「なぁ、お嬢さん。もしよかったら——“死神補助員”として、俺に協力してくれないか?」
「……え?」
「俺、働きたくないんだ。でも、ノルマはある。だから頭を使う。お前みたいな頭の良さそうなやつ、俺には必要だ」
「……あなた、変な人ですね」
エルナが、小さく笑った。だがそれは、さっきの諦めの笑みとは違った。確かに“生きている者”の、それだった。
「わかりました。あなたに従います、死神様」
「やめろ、その呼び方はやめろ。俺は……社畜上がりの、半端な死神だ」
* * *
その夜、真一は初めて“魂回収”を拒否した死神となった。
鎌は眠り、代わりに、一人の少女が彼の背中に立つ。
死の輪郭は、まだ赤いまま。
けれど彼は、きっとその色を変えることができると信じていた。
(第3話・完)
「あの……読んでくださって、ありがとうございました。
死神様は口は悪いですけど、根は優しいんです。だから、もしよかったら……
ブクマや評価、感想なんていただけたら……きっと、あの人、喜びます……ふふっ」