愛はなくしてから生まれるものか?
愛する貴女へ宛てる手紙。初めて書く手紙。今を生きている私たちにとって、自分の意思表示、伝達方法は様々だ。最初は身振り手振りだっただろうし、絵を描くことだったろう。人類はその進化と共に文字を発明した。事を詳細に記録し、伝達する術を得た。その偉大な発明を使って貴女に伝えたい事がある。
新社会人とはこんなにも味気ないものなのか。最初の一ヶ月間は研修の日々で飽きることは無かったし、本社に出勤するため、大阪の都会に出られた。毎日が発見の連続で、それこそ新鮮な日々だった。全国各地から集まった同期の面々や、会社の先輩。色々な事を教わった。しかし2ヶ月3ヶ月と過ぎていくと勤務地は地元になるし、なんならやる事なんて変わらない。特に休みになってもしたいことなんてない。正直毎日が苦痛に近い。こんな陰鬱とした思いを抱えながら、あと40年も働かなければならないのか?
安田智洋はそんな絶望に苛まれながらも懸命に出勤していた。家に帰っても一人暮らしで、誰も「おかえり」なんて言ってくれないし、出てくる飯なんてのもない。それでも生きなければならない。死ぬのが怖いからだ。生きていくということに意味はない。意味がないからこそ、彼は社会人という大海原に投げ出され、自己を失ってしまったのだ。
それでも目的もなく今日も朝6時に起床した。6月末のことだった。特に仕事に対しては何の感情も持っていない。金を稼ぐために仕事をしてるつもりもないし、だからと言って社会貢献のために仕事をしているわけでもない。ただ「仕事をしていなければ体裁的にどうなんだ?」そんな思いだけが彼を職場へ突き動かす。
就職祝いで親から買ってもらった中古の軽自動車。7万キロほど走っているが未だ壊れる気配はなく元気に動いてくれている。車検までまだ1年残っているので、しばらくはお金の心配はしなくていいだろう。
車で職場へは15分ほどの距離にある。元々運転は嫌いではないから、安田はこの時間が一番好きである。今日もお気に入りの曲を流しながら鼻歌を歌い幹線道路を駆けていく。
職場に着いた。駐車場に慣れた手つきで車を停め、荷物を取り社屋に向かう。社屋といっても平屋のプレハブだが。
社屋に入ると顔なじみ過ぎる職場の人と挨拶を交わす。特に人間関係が悪化しているとか、逆に関わり過ぎているとか、そういったことは何もない。安田はお互いに詮索し合うことを嫌うため、会社の人間とはあまり関わらないようにしている。
業務の準備をして今日も一日が始まった。安田の仕事はコピー機のメンテナンスである。安田はドがつくほどの文系であるが、コピー機のメカニックである。そもそもコピー機はそれなりの知識があれば割と修理のしやすい部類の機械だからだ。企業からメンテナンス依頼や修理依頼がひっきりなしにかかってくるから、それに対処するために社用車で顧客企業に赴き、修理をして帰る。それが安田の主な業務である。
今日は地元企業のコピー機修理の仕事がある。要件は「紙詰まりを何度も起こして、何も印刷できない」という事らしい。
早速車を走らせる。安田はサービスで外回りをすることも割と嫌いじゃない。景色が動いてると暇に感じない性格らしい。20分くらい走って、依頼を出している企業についた。
早速作業に取り掛かってほしいという事らしい。どうやら紙ベースの仕事というか、教育系の企業なので、コピー機がないと仕事が成り立たないらしい。試しに1枚印刷してみると、すぐに紙詰まりを起こした。この手の不具合は割とよくあるもので、大抵は手入れ不足が原因だ。掃除をしてやると大体のコピー機は正常に動いてくれる。「今日はサッと終わらせて会社で残っている仕事を片付けよう。」そんなつもりをしていた安田だったが、これが想像以上に苦戦するものだった。
手入れ不足が原因じゃなくて、どうやら部品の損傷が原因らしい。企業的には応急措置的に今日を乗り切りたいという話だったため、部品交換は後日にして、今日動かせるようにある程度補強をしないといけなくなったが、かなり繊細な作業が求められた。半日の予定だったがそれを大幅に過ぎてしまった。外で昼食を取るつもりだったのが急遽、出前を取ることになった。
企業に許可をもらい昼休憩を取ることにした。
安田は色々とヤケクソになってしまっていた為、出前の弁当をかなり高額のすき焼き弁当にした。その企業の社員も出前弁当にしたいと言った為、一緒に頼むことにした。
4人一緒に頼むことになったが、その内の一人の女性と昼休憩の時間が一緒になり、結局一緒に食べることになってしまった。安田は会社の人間とは面倒事を起こしたくないという思いから、あまり喋らないようにしているが、他の会社なら大丈夫だろうと思い、軽い世間話くらいはしようと思った。一応顧客だし。
その女性は寺内という女性で、安田より1つ年上らしい。いかにも塾の若い先生という感じのファッションをしているが、仕事は受付らしい。
「大変ですよね〜。社会人。特に一年目の今の時期なんて、覚えることとか多くて困っちゃってましたね〜。」
まあなんとも言えない世間話だろうか。安田はこの手の話をするのがどうも苦手だ。安田自身が現状に何の感情も抱いてないからだ。でも一応一般社会人としてそれなりの言葉で返すことはできる。
「そうですね。これを後40年繰り返すんですから。来年も同じことしてるとか思うと大変に感じますね。」
「あら?結構、絶望している感じですか?」
安田は顔を背けた。これ以上このことについて話すと社会のはみ出し者だと思われると思ったからだ。しかし寺内は続ける。
「私はやりたいこととかいっぱいあるし、これから未来のこと考えることの方が多いかなー。ってなんでこんなこと言うかって、なんかね、私の友達というか後輩がね、『未来のことなんか考えられない』とか言うの聞いたから。なんか安田さん、その子と同んなじような顔してたから思い出しちゃった。」
「そうですか…。寺内さんの後輩ってことは、僕と同い年ですか?新卒?」
「そう!なーんか共通点多いね!気が合うんじゃ無いかな?」
「いや…どうかな…。」
安田は別に女性に興味がないわけではない。大学時代にもそれなりに女性と付き合った経験もある。このなんかくっつけたいという年上女性特有の空気感が苦手なだけで。
ただ未来について何も考えていない、考えられないという点には気になった。正直安田自身もこの長すぎる平凡な未来に耐えかねている。何かイベントがあるかどうかはわからない。その中で誰かと一緒にいるのは悪くない、と、ふと思った。
「……あの。」
「ん?どうしました?」
「その人ってどんな人ですか?」
「おー…。興味出てきたんですね。紹介しちゃいましょうか?」
返事はしなかったが、小さく首を縦に振った。とりあえず写真と名前を見てくれと言わんばかりに寺内が携帯の写真フォルダを探す。そして、携帯を表向けた。
「……知ってる。」
「え?」
携帯の中でピースサインを向けている女性、いや安田の中では女の子という記憶の中で止まっていた。それは中学校時代に安田が惚れていた森優花という知った顔だった。