62話 第三者の存在
◇◇◇
研究室から走り去ったリズリーは現在、書庫へとやって来ていた。
「はぁー……やっちゃった……」
指先が少し触れたくらいで逃げ出してしまうなんて恥ずかし過ぎる。ルカにはもちろん、ゼンたちにも不思議に思われただろうから、すぐには戻りづらかった。
「……よし、せっかくだから書庫の整理でもしよう」
リズリーはギュッと拳を作ると、自身に気合を入れる。
うだうだ考えているよりは、少しでも誰かの役に立つことをしたい。
「まずはどこからしようかな……」
この屋敷に来てからというもの、書庫には何度も足を運んだことがある。呪いについての文献や、その他の文献、図鑑なども全てここに収められているからだ。
「あっ」
本棚を見て、リズリーはポロッと声を零した。
パッと見ると本棚は整理されているが、ところどころに正しくない分類箇所に本が直されているのを見つけたからだ。
リズリーはそのお目当ての本を手に取ると、数日前の光景を思い出した。
「そういえば、これ、前にジグルドさんが読んでたっけ。こんなに適当に直したら次の人が困るのに……。いや、逃げ出してきた私が言えることじゃないんだけど……」
なんにせよ、きっと忙しくて適当に直してしまったのだろうが、これはよくない。
後でやんわりジグルドに伝えようと思いながら、正しい棚に直していると、「俺がどうした?」と弾んだ声が聞こえてきた。
「え!? ジグルドさん!?」
「よ、リズリーちゃん、さっきぶりだな。あ、その本、直す場所間違えてたか? 悪い!」
申し訳無さそうに謝ってくるジグルドに、リズリーは慌てて口を開いた。
「い、いえ! 誰にでも間違いはありますし、次から気を付けましょう?」
「なんで疑問形? まっ、良いけどさ。とにかく、直してくれてありがとうな」
「それは全然……。それよりも、どうしてジグルドさんがここに? さっきまでお姉様と一緒にいましたよね?」
問いかければ、ジグルドはニカッと笑みを浮かべた。
「試してほしい術式がまだまだあって時間がかかりそうだったから、あとは部下とクリスティア嬢に任せてきた。んで、俺は研究室に戻ってゼンの面倒でも見ようかと思ってたんだが……」
「?」
「大事な仲間が突然、研究室から出て行ったのが見えてな? 心配で追いかけてきたんだ」
「! それって……」
上司の鑑だろ? なんて笑うジグルドに、リズリーは胸がジーンと温かくなった。
どうやらジグルドは、リズリーを心配してここまで来てくれたらしい。
「すみません、ジグルドさん……。お手間をかけさせてしまって」
「謝んなって。これはリズリーちゃんのためだけじゃなくて、ルカのため……ひいてはあいつの不機嫌を一身に受ける俺のため……」
「え? 今なんて?」
後半がうまく聞こえず聞き返せば、ジグルドはやや焦った様子で「大したことじゃねぇよ」と言って笑った。
それならまあ良いか、とリズリーが納得していると、ジグルドが単刀直入に話を切り出した。
「逃げ出すほど、ルカ──好きな奴と手が触れ合ったのが恥ずかしかったのか?」
「……!? ち、ちがっ、あ、あれは、その……っ」
「リズリーちゃん、反応分かりやすすぎ!」
ハハハッと豪快に笑うジグルドに対して、リズリーは顔を真っ青にして口籠った。
(ど、とうしよう、ジグルドさんに、私の気持ちバレちゃった……っ)
ジグルドは、リズリーとルカが仮初の婚約者だと知っている。それなのに、リズリーがあんな態度を見せたから、それは契約違反なのではないかと言いに追ってきたのだろう。
ジグルドの断定的な物言いや雰囲気からして、嘘をついても信じてもらえないに違いない。そう判断したリズリーは、懇願するようにジグルドにこう言った。
「お願いします、ジグルドさん。このことは、ルカ様には言わないでください……」
「は? え? ちょ、リズリーちゃ──」
「呪いが解けたら、ちゃんと婚約者の座から退きますから。ルカ様を困らせるようなこともしませんから……。だから……」
深く頭を下げると、その瞬間、ジグルドに勢いよく両肩を掴まれる。
何事だろうとリズリーが不思議そうに顔を上げれば、ジグルドはこれでもかと眉尻を下げた顔でこちらを見ていた。
「誤解! 誤解だ!」
「え……」
「おれはリズリーちゃんの気持ちを否定するつもりも、もちろん誂ったり脅すつもりもねぇ!」
確かに、落ち着いて考えればジグルドはそんな人ではなかった。いつも明るくて、少しお調子者だけれど、団員から慕われ、ルカを支える副団長。
「じゃ、じゃあ……どうして……」
ジグルドは腰を曲げることでリズリーと目線を合わせ、いつもより幾分か落ち着いた声色で話し始めた。
「いやーなんていうか、ルカの気持ちを知っている俺からすると、お前ら二人のやりとりを見てると妙にムズムズするっていうか、それで口を挟んじまったというか」
「? ルカ様の気持ち?」
「いや、今のは忘れてくれ! そういうのは本人から伝えねぇと意味ないからな!」
「わ、分かりました……?」
ジグルドが言っていることの半分も分からなかったが、彼に悪意なんてこれっぽっちもないことはよく分かった。
リズリーが表情を緩めると、ジグルドもつられて頬を緩めた。
「まあ、あれだ! とにかく、俺はリズリーちゃんにこれを伝えたかったんだ。……ルカを困らせるかもって、自分の気持ちに蓋をすんの、やめとけ」
「……!」
不意をつかれ、リズリーの心臓はドクリと高鳴った。
「呪われてるリズリーちゃんが一番良く分かってると思うけどさ、誰にも明日がどうなってるかなんて分かんねぇだろ? 今は呪いを解くことが最優先かもしれねぇけど、それが終わったら、一歩踏み出してみるのもいいんじゃねぇか?」
「ジグルドさん……」
「それと、ルカなんて存分に困らせちまえよ。あの無愛想な男を困らせられるのは、リズリーちゃんくらいなんだからさ。な? 簡単だろ?」
バチン! とウィンクをするジグルドに、リズリーはつい「ふふっ」と笑い声を漏らした。
「って、そろそろ戻らねぇとまずいから、俺行くな! リズリーちゃんも、落ち着いたら戻ってこいよ!」
「は、はい、分かりました……! ジグルドさん、ありがとうございます……!」
「良いってことよ!」
その言葉を最後に、ジグルドは大きく手を振ってから書庫を出ていった。
パタンと扉が閉まる。
リズリーは、ふぅ、と深く息を吐きだした。
「そうだよね。ジグルドさんの、言う通りだ」
仮初の婚約者なのにとか、そういう約束なのにとか、困らせるかもとか、これまで気持ちに蓋をする理由ばかりを考えてきた。
けれど……。
「呪いの件が片付いたら、ルカ様にちゃんと思いを伝えよう。……。うん、決めた。当たって、砕ける!」
不思議と、体が軽くなったような気がした。
リズリーは目についた部分の本を整理してから、研究室へと戻っていった。




