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39話 盲点

  

 一体どれほどの時間抱き締められたままだったかは号泣していたリズリーには分からなかったけれど、それはまるで一瞬の出来事だと思えるような、心地良い時間だった。


「──もう、平気なのか」

「はい……ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

「いや」


 涙が止まると、ルカが拘束を少し解いてくれたので、彼と向かい合ったまま見つめ合う。未だ、やんわりと背中に回されているルカの腕と、至近距離で見つめ合うことにドキドキして、リズリーが少し彼と距離を取ろうとすると。


「どこに行く気だ」

「えっ、ひゃあっ……」


 再び力強く抱き締められ、リズリーの心臓は激しく音を立てる。


 泣いたおかげでクリアになった頭のせいか、この状況はあまりに恥ずかしくて、「これ以上はご迷惑なので離れようかと……」と上擦った声で伝えれば、ルカは間を置かずに「駄目だ」と呟いた。


「迷惑じゃないから、離れなくて良い」

「……っ! いや、でもあの」

「お前が嫌なら離す」

「……!? そんな言い方、ルカ様狡いです……!!」


 ルカの腕の中は、干したばかりの布団に包み込まれたような、好みの香油を嗅いだときのような──いや、それらとは比較にならないほど心地良いのだ。嫌なはずなかった。


「むしろ……ずっとこうされていたいくらい、心地良いです」

「……!」

「けれど、この体勢は恥ずかしくてまともにお話しできませんので……一旦離してくださると幸いです」

「……っ、分か、った」


 それから、リズリーもルカも頬を赤く染めながら、どちらからともなく離れると、ちょこんと隣同士に座った。

 リズリーにとって、拳一つ分の距離は近いという印象が強かったものの、先程までの密着と比べれば何てことはなかった。


「話の続きをしよう」


 ルカの声にも大きな動揺はなく、話を切り出してくれた彼に対してリズリーはコクリと頷いた。


「まず、先程のリズリーの話を聞いて、率直に思ったんだが」

「はい」

「クリスティア嬢の性格の変化、かと思えば涙と謝罪があったり、術式が描けないことを考慮すると、彼女は何者かに洗脳魔法をかけられていた疑いが高いと思う」

「……! 洗脳魔法って、あれですよね。魔術師でも一部しか使えないと言われる……」

「そうだ」


 洗脳魔法とは、術者が対象者を思い通りに操ることができる魔法だ。

 洗脳魔法の術式の構造も難しく、かつかなりの魔力を使うので、膨大な魔力を有していないと正確に発動することはできないと言われている。


「確かに……それなら納得できます。お姉様は何者かに私を憎むよう洗脳され、呪いの術式を発動するよう、術者に命じられていた。けれどその最中、洗脳が一瞬解けかけたから、涙と謝罪を見せた」

「そうだ。つまり、クリスティア嬢のリズリーに対する態度は本人の意思でも呪いでもなく、その洗脳魔法のせいだということになる。あくまで推測だがな。……可能性としては低くないだろう」

「そんな……っ、一体誰が……っ」


 誰が何のためにクリスティアに洗脳魔法を使い、リズリーを呪わせたのか。

 洗脳魔法も、呪いの術式を知ることができる人間も、かなり数は限られているはずなので、目星くらいは付きそうなものなのだけれど。


(……けど、呪いのせいで皆に嫌われているから、言動で怪しいかどうかなんて分からないし……)


 その中で誰が一番自分を恨んでいるかなんて正直分からないし、そもそも、どうしてそこまで恨まれているかも分からない。何故、クリスティアにわざわざ洗脳魔法を施して呪わせたのかも皆目見当がつかなかった。


(……分からないことが多すぎて考えが纏まらないわ……)


 脳内を疑問ががぐるぐると渦巻いて、リズリーは無意識に眉間に皺を寄せた。

 すると、ルカはそんなリズリーの眉間に人差し指をグイと、押し付けると、穏やかな声で「こら」と囁いた。


「一人で悩まなくて良い」

「……! は、はい、申し訳ありません……!」

「謝罪も良い。……俺も一緒に考えるから、何点か質問してもいいか」

「もちろんです。何でしょう?」


 そうして、ルカは少し考える素振りをしてから、リズリーに問いかけた。


「クリスティア嬢に洗脳魔法をかけた犯人に、思い当たる人物はいるか?」

「いえ……パッとは思い付きません。あっ、でも、逆に救いとなる人物はいました。従兄のユランだけは、私を嫌わずにずっとそばにいてくれたんです」

「……! 待て、何故そいつに呪いが効いていないんだ」

「? 精神干渉が効かない魔法を自分にかけているからと……あ……」


 そこで、リズリーは自身の言っていることの矛盾を理解し、さあっと顔を青ざめさせた。


「呪いは……精神魔法では対抗できないはずだ」

「……っ」


 信じられないと目を見開くリズリーに、ルカは言葉を続けた。


「以前、呪いの術式が描かれた資料でページが飛んでいる箇所を発見したと、お前は言ったな」

「は、い」

「あれから俺はそのページが他の資料に紛れ込んでいないか全て確認し、この研究所にはないことが分かった」

「…………!」

「つまり、そのページは何かしらが原因で紛失したわけだが、まあ、原因追究は一度置いておく。問題はそのページに何が書かれていたかだ。俺は呪いの術式を纏めた資料の内容は全て記憶していたから、そのページにどんな呪いが描かれていたか、把握することができた」


 ルカは一旦口を閉ざしてから、伏し目がちに再び口を開いた。


「そのページの呪いは──対象が周囲に己への憎しみの感情を与えるというもの」

「……! それって、まるで……」

「呪いの解釈が違っていたから気づかなかった。済まない。……この呪いは、術式を描いた本人には効かないとされている。普通に考えると術者はお前の姉になるが、もしも何者かに洗脳魔法をかけられていたとして、彼女は呪いの術式を発動しただけだとしたら、"術者"は姉を操っていた者になる」

 公爵邸の敷地内であれば、リズリーに掛けられた呪いが周りに影響することはないため、呪いが効いていなくても、ジグルドやシルビアたちなどが犯人とは限らない。


(けれど、ユランは……)


 ──『僕は自分自身に呪いや精神魔法を跳ね返すような魔法をかけてあるんだ。だからリズリーが呪われても影響がないんだと思う』


 ルカやジグルドたちのように呪いの研究をしているわけでもないユランが、一般的な魔法に対する防御魔法ならまだしも、過去の産物だと言われた呪いに対して対応出来るなんてあるわけがないのに。

平常時ならいざ知れず、精神的にいっぱいいっぱいで、味方がユランしかいない状況だったため、リズリーは彼の嘘にすっかり騙されてしまったのだ。



「第二魔術師団副団長であるユラン・フロイデンタール……私にとって、従兄でもある彼は、私が呪われた影響を、一切受けませんでした。つまり──」

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