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30話 眠り姫の額に口づけを落とす


「……さて、入るか」


 リズリーの部屋の前、ルカは自身にそう言い聞かせるようにしてノックすると、ドアノブを回して入室した。

 そこにはソファに座って自身の頬をペチペチと叩いているリズリーと、「お願いですから寝ましょう!?」と懇願するシルビアの姿があったのだった。


 リズリーに会えたことへの嬉しさよりも、そのときはこの状況を理解しなければという思考の強さが勝った。


「失礼するぞ、リズリー。一体何事だ」

「ル、ルカ様……! わざわざお部屋までお越し下さりありがとうございま──きゃぁっ」

「……なっ」


 挨拶のために立ち上がったリズリーがバランスを崩して転びそうになったが、ルカがその細腕を掴んだことで事なきを得る。

「申し訳ありません……」と謝罪するリズリーをゆっくりとソファに座らせてそんな彼女を見下ろせば、口を開いたのはルカが入室してから即座に部屋の後方に待機したシルビアだった。


「旦那様、リズリー様は寝不足で体がフラフラなのです。しかし、どれだけ横になるようお願いしても、眠りたくないの一点張りでして……私の手には負えませんので、旦那様にお願いしたく!」

「何?」

「ちょ、シルビア……!?」

「では、失礼いたします……!!」


 シルビアは言いたいことだけ言うと、深く礼をしてから足早に出ていった。

 シルビアがリズリーに誠心誠意仕えていることをルカは知っているので、おそらくシルビアはこの行動が最善だと思ったのだろう。


(つまり、自分では強制的に寝かすことはできないから、俺に頼む、と。それくらいリズリーの体に限界が来ていると、そういうことか)


 リズリーが起きていたならば、ミリアムのことについて礼を伝えたり、今の状況について話をしようと思っていた。だが、恐らく今は、それよりも彼女を眠らせることを優先した方が良いのだろう。


 シルビアとそこそこの付き合いがあるルカはシルビアの行動をそう解釈すると、きょとんとした顔で見つめてくるリズリーに手を伸ばす。

 そして、「済まない」とだけぼそりと呟いてから、リズリーの膝裏と腰辺りに手を回し持ち上げた。


「ルカ様……っ!? 何事ですか……!? おっ、重たいですし下ろし──」

「ベッドに連れて行く。夜通し術式を描いていて寝ていないんだろう。体は限界だろうから寝ろ」


 シルビアとのやり取りを察するに、おそらく口で寝ろと言っても聞かないのだろう。


(どうしてそこまで寝ないかは分からないが、まずは寝かさなければ)


 だから、ルカはリズリーを姫抱きにしてベッドまで連れて行くと、ゆっくりと彼女をベッドに横にして下ろした。

 強制的に靴を脱がし、肩までシーツを被せれば、リズリーは緊張と困惑の色を瞳に映したのだった。


「お気遣いは大変有り難いのですが、私は眠たくなくて……! うきゃっ」


 起き上がろうとするリズリーの肩を軽く押さえてやれば、再び彼女はパタンとベッドに体を預けるように倒れていく。その弱々しさも、表情に見え隠れする疲れも、恐らく寝不足の疲労によるものだろう。


 よくこんな状態で眠たくないなどと言えるな、とルカは思いながら、またリズリーが起き上がって来ないように彼女の肩を優しく抑えながら、ベッドに腰掛けた。


「良いから、寝ろ」

「……っ、けれど、解呪の術式に不備などがあった場合のため、起きていた方が……っ。それに……」

「…………。何だ、言ってみろ」 


 視線を他所にやり、言いづらそうなその様子は、やはり何か理由があるらしい。

 体が辛いだろうから寝かせてやらなければとばかり考えていたルカだったが、そんなリズリーの様子に、彼女の話を聞くことの方が優先だと思い、できるだけ柔らかな声で「話してみてくれ」と告げた。


 リズリーも、そんなルカの優しい声に彼の心配を悟ったのか、おずおずと口を開いた。


「その、ミリアム様はその後どうでしょうか……? 体調は大丈夫そうですか……? 後遺症などは……っ、その、私に何か、お手伝いすることなどありませんか……!?」

「…………!」


 切羽詰まったように言葉を吐き出したリズリー。

 ルカはその時、リズリーの気持ちを察せられなかった自身の愚かさに、心の底から悔いた。


(そうだ。リズリーは、こういう女だ)


 嫌悪されると分かっていても他人を助けて、自分のことだけ考えればいいのに、第二魔術師団の役に立ちたいと願い、自分だって呪われているのに、ミリアムを救いたいと、その家族であるルカの悲しみを減らしたいと願い、無茶をする。


 ミリアムの呪いが解呪できてもなお、心配したり、自分には何かできないかという思いを募らせたりすることは、想像に容易かったというのに。


「どうして俺は、そんな簡単なことに気付かなかったんだろうな」

「えっ……?」 


 ルカはそうポツリと呟いてから、リズリーの頭を優しく撫でた。何度も何度も、まるで愛でるように。


 リズリーは頬を赤く染めながら「えっ? あの? え、え、えっ?」なんて挙動不審な声を漏らして、シーツを自身の口が隠れるくらいまでズズと引き上げた。


 ルカはそんなリズリーにふっと小さく笑みを零してから、形の良い口が開いた。


「解呪の後、リズリーが部屋から出て行ってからのことや、今のミリアムの状態を話す。少し聞いてもらって良いか?」

「は、はい、お願い致します」



 それから、ルカはミリアムの呪いの解呪は完全に成功したことや、再び眠ってしまったこと、体力は低下しているが現時点では後遺症は見つかっていないこと、ミリアムが目覚めたことを使用人たちには既に伝達済みで、直ぐにジグルドたちにも伝わること、そして両親には文を出したことを伝えた。


「改めて、ミリアムの呪いを解いてくれてありがとう、リズリー」

「いえっ、そんな……!」

「ミリアムが目を覚ましたら、リズリーも会ってやってほしい」

「良いんですか……?」

「当たり前だ。さっきミリアムに少しだけリズリーの話をしたら、会ってお礼を言いたいと言ってた」

「……分かりました! 私も、ミリアム様とお話してみたいです!」


 そう言って笑ったリズリーのあどけない笑顔に、ルカはつられて微笑む。

 そして直後、ルカはリズリーの頭から手を離すと、その表情には少しだけ影が落ちた。


「それにしても……リズリーの呪いを解くつもりが、お前には助けられてばかりだな。済まない」


 一瞬目を見開くリズリー。それから彼女は、先程まで自身の頭を撫でていたルカの手を優しく握り締めた。


「それは違います……っ!!」

「……!」

「ルカ様が呪いや解呪について沢山調べて、資料をまとめたり、私に知識を授けてくださったおかげです……! それに、ルカ様がいなければ今回の解呪はなし得ません……! ルカ様がいたから、ミリアム様の呪いが解けたんです……! 私なんて……全然」

「…………っ」


 迷いのない声に、真剣な眼差し。それがリズリーの本心であることを察するのは容易だった。


(お前は本当に、聡明で、強くて、優しいな。だが──)


 ルカはそっとリズリーの目の上に手を下ろす。

そして、少しだけ低めの声で呟いた。


「頼むから、卑下するな」

「えっ……」

「お前が自分を卑下するのを、何故か俺は許せそうにない。……嫌、なんだ」

「……っ」


 ルカが嘆くようにそう言うと、リズリーはおずおずと頷く。そんなリズリーを見て、ルカは満足げに笑みを零すと、穏やかな声で言ってみせた。


「ありがとう、リズリー」

「は、はい……! これから。その、気を付けます……! それでえっと……これ、は? あ、の……?」


 限界がきて眠気が襲ってきたのか、だんだん声がとろんとしているリズリーに、ルカは薄っすらと目を細めた。


「……ふっ。暗くなると急に眠気が来るだろう? また起きたら話そう。だから、今はもう眠れ」

「……は、い…………おやすみ、な、さい……」

「ああ、おやすみ」



 程なくして、リズリーは完全に眠りについた。


 ルカは彼女の目をの上から手を退けると、乱れた前髪の隙間から、形の良い丸い額が目に入り、そこをじぃっと見つめる。


「──リズリー、良い夢を」


 そうして、吸い込まれるようにそこに口づけを落としたルカは、何故キスをしてしまったのか困惑しながらも、まるで証拠を隠滅するように、リズリーの前髪を優しく整えてから部屋を出たのだった。

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