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20話 ふわり。ぎゅ。きゅん。


 ──話は少し遡る。


 それは、ルカに案内されて、リズリーが書庫に足を踏み入れたときだった。 


「わあ……これは、壮観ですね……」 

「魔法や魔物、術式や呪いについての本や文献は殆どこの書庫に纏められているからな」


 自身の身長の倍、いや、そのまた倍の高さがあるのではないかという高さの本棚が、壁に沿ってずらりと並んでいる。その中には本がびっちりと入っており、いくつかの分類で分けられているようだ。


「ルカ様、連れてきていただいてありがとうございます。私は呪いや解呪に関しての本の中から何冊か見繕いますので、ルカ様もご用をお済ませください」

「ああ。分かった。……なら、お前は少し待っていろ」

「は、い?」


 ルカの言う、なら、の意味が分からなかったリズリーは、きょとんとした表情でどこかに歩いて行くルカの背中姿を目で追うことしかできず、立ち尽くす。

 しかし、待つこと数秒、梯子を持って戻って来るルカに、リズリーは目をパチパチと瞬かせた。


「も、もしかして運んで来てくださったのですか……!? わざわざ申し訳ありません……!」

「いや」

「これで上の方にある本も取ることができます! ありがとうございます」

「…………」


 頭を下げたリズリーに対して、ルカは無言で梯子を本棚に掛け、ゆっくりと登り出す。


 そんなルカの姿に、リズリーは、ブワッと顔に熱が集まるのを自覚したのだった。


(わ、私ったら……! 自分のために梯子を取ってきてくださったなんて勘違いして恥ずかしいわ……! そりゃあ、ルカ様が使用するためよね……!)


 ルカは少し無愛想なところや、口調がきついところ、口数が多くないことから、考えが分かりづらいところがある。


 ──けれど、そんなことは些細なことだと思えるくらいに、ルカはとても優しい。


 それを分かっていたからこそ、自分のために持ってきてくれたなんて勘違いをしてしまった訳だけれど、リズリーは調子に乗り過ぎだったと、熱が纏わりつく頬を手で扇いだ。


「リズリー」

「は、はい……!」


 そうこうしていると、いつの間にかルカが梯子から降りてきていた。

 その手には数冊本が抱えられており、リズリーは羞恥を一旦胸にしまって次は私の番ね、と意気込んだ、のだけれど。


「書庫の本の数は莫大だ。流石のお前でも全て読むわけにはいかないだろう。だから、呪いや解呪に関しての基本や、歴史なんかが分かりやすく書かれた本を選んでおいた。まずはこれを読め」

「えっ?」


 サッと手渡された本を、リズリーは反射的に受け取った。

 それは、リズリーがまさに知りたいと思っていた内容が書かれていそうなタイトルの本だ。


 どうやら、ルカは第二魔術師団に来てから書庫の本は一度は全て読んでいて、ここにある呪いに関する文献を纏めたのも、その殆どがルカの手によるものらしい。

 だから、文献に関してはどれにどんな内容が書かれているかも覚えているようだ。


 因みに、リズリーが公爵家に来てからすぐ、ルカは書庫を訪れてリズリーの呪いに近そうなものはないかと確認したらしいが、見当たらなかったらしい。


(忙しいはずなのに、本当に凄いわ……。それに、ほとんどの呪いに関する文献を作ったのがルカ様なんて……とても大変だったに違いないわよね。私が術式にのめりこんでしまうのと同じ感じかしら? ……って、あれ? そういえば……)


 出会ったとき、ルカは呪いが嫌いだから無くしたいと言っていた。

 つまり、呪いに関してこれほど調べたり実験をしたりしているのは、呪いに対して異常なほど執着しているからなのだろう。


(嫌いだからといってここまでの資料を集めるなんて……それに自分の体を使って実験をするだなんて普通じゃないわ。どうしてそこまで、呪いに固執してるんだろう……?)


 ふとそんな疑問に駆られたリズリーだったけれど、手元にある目的の本を見ていると、疑問は一旦頭の隅に追いやられる。


 思わぬルカの優しさに、リズリーは花が咲いたようにふわりと微笑んだ。


「……っ、ありがとうございます、ルカ様……!」

「ああ。だが、一つ言っておく。リズリーはたびたび、夢中になると時間を忘れてのめり込むことがあるな。読書は程々にして、それなりに寝ろ」

「……ふふ、かしこまりました! お約束しますね」

「……そうしてくれ」


 それからルカは、他にも何冊か本を見繕ってくれた。呪いに関することだけでなく、研究に興味があるならと魔物に関する本や、ミーティア国で三つしかないと言われている珍しい術式の本まで。


「ルカ様……!! ここは宝物の倉庫ですね! しばらくここに泊まりたいくらいです……!」

「それを実現させたら、食わず寝ず、本を読んで術式を描き散らしていそうだな」

「さ、流石にそこまで酷くないかと……!」


 この二週間で、リズリーが術式に虜──術式馬鹿であることはバレてしまっているので、彼女の言葉に説得力はない。

 それでも必死に言い返せば、ルカは薄っすらと目を細めて小さく笑うと、リズリーの頭にぽんと手を置いた。


「分かった分かった」

「……っ」


(ジグルドさんには何とも思わなかったのに、ルカ様に触れられると、心臓が速くなる気が……っ)


 きっとこれも、書庫の壮観さに興奮しているだけだろう。……きっと、そうに違いない。


 リズリーは自問自答してそう納得すると、「そういえば」と話題を切り替えた。


「そういえばルカ様は、ご自身の御用は?」

「………………」


 無言のまま視線を他所へ逸らすルカに、リズリーはまさか、と小さな声を漏らした。


「私のために本を選んでくれたり、取ってくれるために、付いて来てくださったのですか……?」

「…………」

「用があると言うのは、私に気を遣わせないための嘘ですか……?」

「……用はあった。忘れただけだ」


 ──ああ、なんて優しい言い訳なのだろう。


 たった二週間しかルカとは共に過ごして居ないけれど、これがルカの優しさだということには確信を持ったリズリーは嬉しさで胸が詰まるような感覚を持った。


(ルカ様の優しさが、どうしようもなく嬉しい)


 名ばかりとはいえ、一応婚約者だから優しくしてくれるのだろうか。それとも、やはり呪いのことで同情してくれているのだろうか。はたまた、誰に対してもこんなに優しいのだろうか。


(分からない。……けれど)


 この気持ちを伝えたいと、リズリーが意を決して口を開こうとしたときだった。


「あっ……」


 両手に抱えていた本の一番上の文献が、するりと落ちていく。

 落ちる前に手を伸ばさなければと思うものの、両手に本を抱えたままのリズリーには無理な話で、本能的に体が前傾姿勢になるだけだった。


(……た、倒れる……っ)


 しかし思いの外勢いがついていたらしい。本を抱えていることもあって手が出ず、ふらりと体が前に倒れそうになった、その瞬間。


「何をしている。大丈夫か」


 前方にいたルカが文献をキャッチしただけでなく、ふらついたリズリーのことを抱きとめたのだった。


「ご、ごめん、なさ……」


 自身の頬のあたりに当たるルカの鎖骨、腰に回された腕、頭部に感じる彼の吐息と心地良い声に、リズリーは腰が砕けそうになり、恥ずかしさで声が詰まる。


「〜〜っ」

「……おい、大丈夫なのか」


 答えないリズリーに、若干呆れた声で問いかけたルカ。

 自身の恥ずかしさはともかく、これ以上ルカの手を煩わせてはいけないと勢い良く彼から離れたリズリーは、深く頭を下げた。


「ご、ご迷惑をおかけして申し訳ありません……! それに、抱きとめていただいてありがとうございます……! 文献も、その、見事なキャッチで感動いたしました……!」

「……ふっ、感動って、何だそれ」


 くつくつと喉を震わせるルカの声が、リズリーの耳に響く。


 リズリーは転けてしまいそうになったことと、抱き留められたことへの羞恥心、そしてあまりに優しい声色で笑うルカの声に、しばらくの間顔を上げられなかった。

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