2話 リズリー・ラグナム
──リズリーは十七年前、ラグナム侯爵家の次女として生を受けた。
一つ年上で、何でも積極的で明るいクリスティアと、優しくて穏やかなリズリーは物心がつく前からずっと一緒にいた。
その仲の良さは、両親や使用人たちだけでなく、他人が一目見ただけでも分かるもので、近所でも仲良し姉妹だと噂になるくらいだった。
そんな二人をより結びつけたのは、間違いなく魔法の存在だ。
魔術師が魔法を使って敵を倒し、民に感謝される──そんな絵本を読んだリズリーたちは、その日を境に毎日魔法や魔術師の本を読み漁るようになった。
『私決めたわ! 将来、絶対魔術師になる! ねぇ、リズリーも一緒に……って、ごめん……リズリーは魔力がないんだよね……』
しかし、リズリーには魔力がなかった。
ミーティア王国では魔力を持った人間が三割程度の確率で産まれるため、赤子は必ず魔力の有無について検査されるようになっており、そこでリズリーは魔力なしに該当したのだ。
魔力がない人間の割合のほうが多いとはいえ、魔法が好きなのに魔力がないのは辛いだろうと、当時のクリスティアは子供ながらに罪悪感を抱いたのだけれど。
『魔力はなくても良いの! 私、なりたいのは魔術師じゃなくて術式絵師だから……!」
『えっ!? そうなの?』
『うん! 見て、この術式! とっても術式の構造が綺麗だと思わない? 無駄がないし、どの文字や記号も、反発し合ってないの!』
『ごめんリズリー。私には全然分かんない……』
魔術師が派手な魔法を使い、敵を倒す物語を見ていたクリスティアに対して、リズリーは術式が描かれている小難しい本ばかりを読んでいたのだ。
およそ子供の読むようなものではないが、実際術式に描かれている記号や文字は、勉強の機会が与えられている貴族令嬢ならば難しいものではなかった。
ただ、その全てを理解し、配置のパターンを知り、文字や記号同士の相性などを理解するなんて、普通は誰にも教わっていない幼い少女に出来るはずはない。
けれどリズリーはそれが出来てしまったのだ。
持って生まれた才か、好きさ故の吸収力の速さだったのか。もしくは──。
『リズリー貴方、天才なんじゃない!? 凄いわ! 本当に凄い!』
『え? そうなのかな……? 天才かは分からないけれど……もし、私が術式絵師になれたらね、一緒に魔物を倒しに行くことはできなくても、私が描いた術式でお姉様が魔物を倒せるかもしれないでしょう? それに、お姉様がピンチのときには助けてあげられるかもしれないわ! そう思ったらね、とっても嬉しいの!』
『リズリー……貴方、何て良い子なの!? 天使なの!?』
大好きな姉の役に立ちたい、そんな思いからだったのか。
『じゃあ、私はリズリーを守ってあげられるくらいに強い、魔術師を目指すわ!』
『私は、お姉様を助けてあげられるような術式絵師になりたい……!』
──そんなふうに夢を語り合い、目をキラキラと輝かせていたというのに。
『リズリー、あんたに呪いをかけてあげる。誰からも愛されず、関わった人物全員に嫌われる、そんな素敵な呪いをね?』
──今でもはっきりと覚えている、呪われた時の記憶。
けれど、クリスティアが自ら望んで、憎くて、呪ったのではないとリズリーは信じていた。仲の良かったクリスティアがそんなことをするはずはないという、願望だけでない。
だってクリスティアはあのとき、呪った直後──。
◇◇◇
「なんだ、お前はまだ居たのか。……チッ」
「あら、我が侯爵家の面汚しじゃない。早く出て行ってほしいのに、まだ居るの? 体裁があって追い出せないのだから、さっさと出て行ってほしいものね」
「お父様……お母様……」
出勤時間なので仕事に行こうと部屋を出たところ、偶然廊下で出くわした両親に、リズリーは切なげに眉尻を落とした。
「行ってらっしゃい」「頑張るのだよ」「体には気をつけてね」と優しい声をかけてくれた両親の姿はもういない。他愛もない話をすることも、一緒にお茶を飲んだり、どのドレスが似合うか相談することもできない。
これも、三年前にクリスティアから呪いをかけられてから。──そのときから、優しかった両親の態度が、その日を境に激変したのだ。
そんな両親と同じように、使用人たちの態度も一変した。
身の回りの世話はしてもらえなくなり、食事は一切提供されなくなった。だからリズリーは夜な夜なキッチンへ行って、余った食材を調理して食べていたのだった。
そんな生活を三年もの間続けていたリズリーは、栄養が足りていないのか、肌がカサカサで、手首なんてまるで棒切れのようだ。髪の毛は伸ばしっぱなしで艶はなく、ドレスも三年前から新調できておらず、侯爵家の令嬢にはあまり見えないだろう。
「申し訳ありません……直ぐに仕事に行きますので」
「お前みたいに姉の手柄を横取りするような人間を雇ってくれる魔法省は本当に変わっているな。まあ、約四年前に特待制度で雇った手前、なかなか辞めさせられないんだろうが。今はお前のような人間を雇ったことを後悔しているだろうさ」
「……っ、失礼します」
──これも全て呪いのせいだ。三年前のあの日のせいだ。
そう思おうとしても、両親からの罵倒や蔑みは、胸をチクチクと傷付ける。
(呪いが、解けたら……)
リズリーは今まで、何度もこの呪いを解こうと考えた。家の書庫を読み漁り、職場の本も、過去の文献も、立ち入れる場所にあるものは全て読んだ。
けれど、呪いを解く方法なんてどこにも書いていなかった。
──呪いはここ数百年存在していない。それはミーティア王国に暮らすものならば、殆どのものが知っていることだろう。
そして、そんな呪いは今や過去の産物とされている。ただ、恐ろしいものとして忌み嫌われているのだ。
だから、周りの人々に呪いに関する話を聞いても、その呪いのせいで嫌われているリズリーにはまともな返答が有るわけもなく、不気味がられ、余計に蔑まれた。
呪いを詳しく知る機関に付いて思い当たる節はあったものの、どうせそこに行っても嫌われて門前払いを食らうだろうと、諦めてしまったのはいつだっただろう。
(そんなことを考えていても無駄よね。とりあえず、仕事に行かなきゃ)
リズリーは俯いたままギュッと拳を握りしめてから、これ以上両親の心無い言葉は聞きたくないと足早に正門へと足を進めた。
そうして魔法省へ到着し、職場へ足を踏み入れると、自分の机に置かれているゴミの山にリズリーは「またなのね……」と呟いた。
周りの同僚は皆クスクス笑っており、リズリーは誰かに助けを求めるわけでもなく、涙するわけでもなく、ただひたすらそのゴミをゴミ箱に捨てる。悲観したって、この状況は変わらないのだから。
「リズリー。それのお片付けが終わったら、こっちの書類整理して書庫に直してきてくれ。ここにあるの全部な」
「あ、その帰りに雷魔法の文献を三十冊ほど持ってきてね! 一回でよ? あんたと違って私たちは忙しいんだから」
「……っ、はい。分かりました」
リズリーは十四才の頃から、魔法省の術式絵師課に勤務している。
ミーティア王国では貴族の就労は基本的に十八歳以降なのだが、優秀な能力の持ち主だと、各機関から声がかかることがあるのだ。それが、特待制度である。
術式絵師課に配属された当時はまだ姉から呪いを受けていなかったことと、天才術式絵師と呼び声高かったこともあり、リズリーは皆から慕われていた。
術式への理解、描く速度、新しい術式の開発に、魔術師に合わせた術式の細やかな気配りは、他を寄せ付けないほどだ。姉のクリスティアもほぼ同時期に魔術師になり、膨大な魔力量と戦闘センスがあったことで、二人は『天才姉妹』だなんて言われていた。
リズリーの術式を一番上手く扱えるのはクリスティアで、クリスティアの能力を一番上手く引き出せるのはリズリー。
互いは互いを高め合い、仲睦まじくもある二人の名前を、魔法に関わるもので知らない者は居なかっただろう。けれど今、リズリーは違う理由で有名だった。
「あっ、泥棒さーん! その術式を描いたの私だから、内緒で名前書き換えて自分の手柄にしないでよねー?」
「うわ、こわぁ! でも、あいつだったらしかねないんじゃねぇか?」
「しません……! そんなことは決して……っ。書類を書庫に運びますので、失礼します」
──『本当は姉のクリスティアは術式も描くことができ、それを妹のリズリーが奪い取って自分が描いたのだと言い張っている』
姉に呪われて直ぐ、そんな噂が流れたのである。その噂の出処は、クリスティアだった。
呪いをかけられてから職場の人間にも嫌われてしまったリズリーだったけれど、その噂が広まるまではまだ術式絵師らしい仕事をさせてもらっていた。
だが、噂が立ち始めた日を境に、同僚の使い走りや雑用しかさせてもらえなくなったのだ。
(……っ、どうしてこんなことになっちゃったんだろう……)
けれど術式絵師課に行けば、自分が知らない術式に触れられるかもしれない。同僚たちの会話から、新たな術式が思い付くヒントを得られるかもしれない。
棚に大量に保管されている魔法紙、術式を描くときのインクの香りに満ちた部屋、術式について飛び交う会話は、術式をこよなく愛するリズリーの心を、ほんの少しだけ軽くしてくれた。
そして、そんなリズリーにも、確かに光はあった。
「やあ、リズリー。そんなに沢山の書類を持っていたら前が見えないだろう? 僕が手伝うよ」
「……ユラン」
幼少期から仲の良かった彼──ユラン・フロイデンタールだけは、姉からの呪いの影響を受けなかったから。
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人に嫌われる呪いとか怖すぎますね……(´;ω;`)