18話 ラグナム侯爵家の反応とユランの動揺
「……どういうことですか?」
両手に抱えるほどの赤い薔薇の花束を持ったユランがラグナム侯爵邸を訪れたのは、夜空に月が浮かんでから少しした頃だった。
いつも通されるはずのリズリーの部屋ではなく、応接間で待機するよう指示された時点でユランは違和感を覚えていたものの、何か理由があるのだろうと軽く考えていたというのに。
「リズリーがアウグスト公爵と婚約した……? 昨日から公爵の屋敷に暮らしている……? ──は?」
直後、入室してきたリズリーの父──侯爵の言葉を復唱したユランは、信じられないと目を見開いた。
驚きのあまり体からフッと力が抜けると、ルカの両手に抱えられていたバラの花束は、地面へと力なく横たわった。
「今日の昼に物質転移魔法でアウグスト公爵から手紙が届いてな。簡単に言うとそう書いてあった。だから、ユラン、せっかく来てくれたのに悪いが、もうリズリーはこの屋敷には居ないんだ。……まあ、私としてはこれほど有り難い話はないがな」
悪評名高い娘がいつの間にか婚約し、家を出ていった。しかもその相手が、これまた悪評名高いといえど公爵家の当主だ。
リズリーの父は、「リズリーの奴……どうやって公爵を誑かしたんだか」と下劣な笑みを浮かべている。
ユランは奥歯をギリ、と噛み締めた。
「待ってください……急にそんなこと、有り得ない。……リズリーが婚約……? そんなの、あり得るはずは──」
呪いのことを知っているユランは、ルカからの手紙の内容を信じられないでいた。
(関わるもの全てから嫌われる呪いを受けたというのに、急に婚約なんておかしい……)
とはいえ、ユランがそれをリズリーの父に話すことはなかった。
リズリーでなくとも、呪いが実在しているなんてことを話すのは、変人扱いされる可能性があるからである。言ったところで状況が変わらないなら言う必要はないと、ユランは言葉を飲み込んだ。
──そのとき、ノックの音が聞こえたのでユランが振り向くと、そこにはクリスティアとその母がいた。
「クリスティア……それに、叔母上。お久しぶりです」
「ユラン久しぶりね! もしかしてまたリズリーに会いに来たの? って、何その花束! もしかして私にプレゼントかしら? だとしたら床に落とさないでよ〜」
赤い薔薇の花束はリズリーに持ってきたものだったけれど、足もとに落としてしまったのをクリスティアが拾って、当たり前のように自分のものとする姿に、ユランは呆れて微笑を浮かべるだけだった。
「クリスティア、少し落ち着きなさい? ユラン、久しぶりね。貴方の活躍は耳に届いているわ。副団長って本当に凄いのね」
「……ありがとうございます」
叔母であるリズリーの母に対しては、いくつか言葉を交わすだけに留めたユラン。何事もないときならばもう少し雑談も楽しめたのだろうが、今はそれどころではなかったから。
(突然の婚約、相手はあの悪逆公爵……。どういう経緯での婚約なんだ)
しかし、それを侯爵に聞こうとも、詳しくは手紙に書かれていなかったらしい。
クリスティアもその母も侯爵が読んだものと同じ手紙を読んだらしいのだが、厄介払いができて嬉しいとか、どうせすぐに嫌われるだろうという感想しか聞こえてこなかったユランは、バレないようにため息を漏らした。
それからユランは三人を見渡してから、ゆっくりと頭を下げる。
「侯爵、叔母上、クリスティア。申し訳ありませんが、急ぎの仕事を思い出したので、今日は失礼しますね」
昔ながらの付き合いだからか、「もう帰るの?」「ゆっくりしていけば良いのに」とクリスティアたちは言ってくれるものの、ユランはそれを適当にあしらうと、素早く転移魔法を使用したのだった。
自身の実家──フロイデンタール伯爵家に到着したユランは、出迎えてくれた執事が手渡してくれたものを乱雑に掴んだまま、直ぐ様自室へと駆け込んだ。
「どうして……このタイミングで……。リズリーに一体何があったんだ」
不満をぶつけるように、テーブルに力強く拳を振り下ろしたユラン。
その拍子に、自身の手中にある手紙の存在に意識が向いた。これはつい先程、執事が手渡してきたものだ。
手紙を読む気分になれず、明日にしようかと思った矢先のこと。見慣れた筆跡に気が付いたユランは、それを勢い良く凝視した。
「……! リズリーから……」
ユランは急いでペーパーナイフを手に取ると、便箋を開いて手紙を見やる。
そして内容を全て理解した頃には、座り慣れたイスへと凭れるようにして腰を下ろして、前髪をグシャリと掻き上げた。
「……まさか、こんなことになっているとはね」
手紙には、誕生日に会いに来てくれるって言ってたのに不在で申し訳ないという旨と、ルカの婚約者になったことや、呪いを解く協力をしてくれていること、そのために公爵邸で暮らすことになったことなどが書かれていた。
特に呪いが解けるかもしれないことについては筆舌にし難いほどの興奮が読み取れる。これでユランにも心配をかけない日が来るかもしれないと、リズリーは伝えたいのだろうが。
「突然の婚約に、解呪の協力、か」
呪われているリズリーに対して、こんなことが偶然起こり得るだろうか。
(もしも手紙の内容が本当だとしたら、呪いを解く協力をする代わりに婚約を迫られた可能性もなくはない)
どころか、もしかしたら呪いのせいで嫌われ、そして脅されて何かを理由に手紙を書かされている可能性も十分に有り得るだろう。何せリズリーの婚約の相手は、あの悪逆公爵なのだから。
「だとしたら、リズリーが危ない……」
空気に溶けてしまいそうほど小さな声で呟いたユランは、スラリとした足を組み替えながら、リズリーからの手紙を自身の胸に押し当てた。
「……僕が絶対に、君を助けてあげるからね」
それはもう、とても丁寧な手付きで。まるで、宝物でも持っているかというように。