16話 本領発揮のときです
術式とは、魔法を使うために必ず必要なものだ。
どれほど魔力が多かろうと、術式がなければ魔法が発動しない。
ならば、同じ術式を使えば、術者が違っても全く同じ魔法が発動するかと言われると、そうではない。
というのも、たとえ同じ術式でも、その使用者によって魔力の出力の仕方、持って生まれた魔法属性の種類や、もちろん魔力量の最大値が違うためである。
つまり、魔力が少ないものが高火力魔法の術式を使ってもうまく発動せず、風属性がないものが風属性の術式を使っても、一切発動しないという事態が起こるのだ。魔力出力が下手くそなものは、魔力が足りていても魔法が上手く発動しなかったり、威力が半減したりもする。
この事実は、長年の課題であり、同時に致し方がないと諦められてきた事実であった、のだけれど。
「……リズリー……今言ったことを全て組み込んで、新しく術式を描いてみてくれないか」
「……宜しいんですか? もちろんです……! では、魔法紙と魔法ペンをお借りしますね!」
まるで水を得た魚のように、リズリーはスラスラと術式を描いていく。
元々団員が描いていたものはそれなりに複雑な術式だったというのに、それを一瞬で理解して、指摘した部分を追加した上でだ。
(有り得ない……複雑な術式は、その構造を理解するのにも時間がかかるものだというのに)
しかも、その中でミスを一瞬で見抜き、その対処方法を直ぐ様提案するなんて、この国の術式絵師ではリズリーにしか出来ないだろう。膨大な知識量とセンスがなければ、できない芸当だ。
それだけでも十分凄いというのに、リズリーの本当の凄さは、そこではなかった。
「ルカ様、描けました! お目汚しかもしれませんが……見ていただけますか……?」
「あ、ああ。……済まないが、俺ではこの術式を一瞬では理解出来ないから、少し待ってくれ」
そう言ってルカは、リズリーが描いた術式を手にとってしっかりと読み込み始めた。
団員たちはそんなルカの背後に回って覗き込むように術式を確認し始め、数分経つと「何でこんなことができるんだ?」「これをあの一瞬で?」「これって術式の概念を覆してないか!?」など、各々感想を述べている。
そんなルカたちの姿に、リズリーはおずおずと口を開いた。
「あ、あの……皆様、何でこの術式を、そんなに一生懸命見ていらっしゃるのですか……? あっ、もしかして何か術式にミスがありましたか……!? それなら直ぐに描き直し──」
「……いや、お前の術式には、何一つミスなんてない」
「……! ルカ様」
そう言って、ルカは魔法紙から目を逸らすと、真っ直ぐな眼差しでリズリーを見つめた。
どこか不安げな面持ちで見つめ返してくるリズリーに、ルカはゆっくりと口を開いた。
「リズリー、お前の術式は端的に言うと凄い」
「えっ……」
「特にこの付与の構造。誰が使用してもほぼ同じ効果になる術式は……長年研究されてきたが誰もなし得なかったものだ。……俺も何度か試行錯誤したが、こんなにも他の付与や要素を邪魔しない術式は初めて見た。……一体、どうやってこれを──」
絶賛するルカに同意するように、リズリーに勉強用に描いたもらった術式を持ったシルビアも「あっという間に描いてしまわれたんですよ! 本当に凄いです!」と驚愕と喜びが混じり合った表情をしていてる。
ジグルドも「リズリーちゃんってマジもんの天才だな」と呟いていて、他の団員たちからも称賛の嵐だ。
確かに呪われる前は、同僚の術式絵師たちにも凄いと言われたものだ。
「作ろうと思ったきっかけは……術式絵師が人手不足で、魔術師たち個人個人に合わせて術式を描くのには限界があったからです。だから、この付与の術式が使えれば、ある程度汎用性の高い術式を量産できて、同僚たちを楽にしてあげられると思って……それと、魔術師の方たちは任務等で常に魔力が満タンではありません。そんなときにこの術式があれば……魔力が少ない状態でも自らの身を守ることくらいはできるかと……本を読んだり、術式の記号を頭に思い浮かべながら考えてたら、自然にできました」
「本物の天才だな。そうか、分かった。……だが、疑問がある。何故この術式が広まっていないんだ」
呪われてから、リズリーの術式が姉のクリスティアが描いたものとなっていることを、ルカは知っている。
だが、それならばクリスティアの手柄としてこの術式が広まっていても良いと考えたのだ。
ルカのように自分自身で術式をしっかり描け、かつ高火力の魔法をいくらでも使える魔術師ならばいざ知らず、一般的な魔術師ならば、リズリーが生み出したこの術式のほうが遥かに能力が向上するのは間違いないのだから。
「呪いを受けてから、この術式は怠惰だと同僚に言われてしまったんです」
「……! なんだと。ほとんどの魔術師の能力が向上するのに怠惰とは……」
「初めは私もそう思って反発したのですが、上司にも同じことを言われて、この術式は使うなと言われてしまいました……。魔法の発展のためには必要だと思ったのですが、ずっと否定され続けて……それで、この術式はお蔵入りになったのです。今日は調子に乗って、ついつい使ってしまいました」
申し訳無さそうに言うリズリーに、ルカは奥歯をギリ……と噛み締めた。
(呪いのせいとはいえ、これじゃあ宝の持ち腐れだ。それに……)
術式の価値だけでなく、リズリーの価値も。本来ならば、術式絵師としてのリズリーの腕は、国を挙げて称賛するべきものだというのに。
「俺が術式絵師課の長に話をしようか。こんな素晴らしいものが使われないのは、俺自身が気に食わない」
「褒めていただいて、ありがとうございます。それでしたら、ルカ様が考案したとして発表してください。それならば、私ほど無下には扱われないでしょうから」
「それはだめだ」
ピシャリとそう言ってのけると、ルカはリズリーの頭にぽんと、優しく手を置いた。
「ルカ様……? あの……っ?」
このとき、どうして敢えてリズリーに触れたのかは、ルカ本人にもはっきりとは分からなかった。
しいていえば、なんとなく、術式を描くときの楽しそうな表情が、呪いの影響によって陰ってしまうのが悲しかったからだろうか。少しでも慰めることができたらと、そう、思ったのかもしれない。
「リズリーのこの術式を発表するのは、お前自身でだ」
「……っ、けれど」
「だから、一日でも早く呪いを解いてやる。この術式を二度と怠惰なんて言わせないためにも、お前の、術式絵師としての正当な評価を勝ち取るためにも」
「……っ、私なんかのことを考えて下さって、ありがとう、ございます……!」
深く頭を下げたリズリーは、また目頭を指で摘んで泣くのを我慢している。
それに、さも自然に飛び出した私なんかという言葉に、ルカは僅かに顔を歪めた。
──その泣くのを我慢した顔も、私なんかと自身を卑下するのも、なんだか気に食わない。
何故そんなことも思ったのかも、ルカにも分からない。
ただ、頭に手を置かれたままなのが恥ずかしいのか、次第に羞恥に染まってくるリズリーの表情はずっと見ていたくなる。周りからのニヤついた視線を感じたので、早急に手を離したけれども。
(……何故俺は、照れた彼女の顔は見ていたいと思ったんだ?)
しかし、疑問を考える時間はルカには無かったらしい。
「……あの、ルカ様、一つお願いがあるのですが」
「…………何だ。言ってみろ」
シルビアやジグルドから励まされたからか、もしくは何か覚悟を決めたからなのか。
いつの間にやらリズリーの目には、悲しみではなく、何か強い意志のような光が輝いているようにルカは感じた。
「私は術式を描くことしか出来ませんが……もしもお役に立てるのならば、第二魔術師団のお仕事を手伝わせていただけませんか……っ!」