12話 私にできること
窓の外から聞こえる小鳥の囀りに、リズリーは目を覚ました。
辺りを見渡せば見慣れない部屋なので一瞬不安に駆られたものの、ぼんやりと微睡んでいると少しずつ昨日の出来事を思い出し、リズリーの表情は自然と柔らかくなる。
「そうだわ……私は昨日アウグスト公爵家に来て──」
少し寝たりないのか、ふぁ……と欠伸が漏れたので咄嗟に手で口を覆い隠せば、ノックの音に無意識に居住まいを正した。
「あ、リズリー様、起きていらしたのですね! おはようございます! 体調などはいかがですか?」
「おはよう、シルビア。大丈夫よ、ありがとう」
「それは良かったです! では早速朝の支度を致しましょう!」
呪われた日から使用人からも嫌われてしまっていたリズリーは、使用人たちから所謂一般的な貴族令嬢の扱いを受けてはいなかった。
朝の支度は自分でするのが当たり前で、もちろん帰宅しても出迎えはない。もちろん、両親はそんな使用人たちを咎めなかったので、こんな扱いをされるのは、本当に久しぶりだ。
「リズリー様、こちらで顔を洗ってくださいませ。湯加減は大丈夫ですか?」
「ええ、丁度良いわ。シルビア、本当にありがとうね……! 本当に、気持ちがいい……! 本当に……ありがとう」
過剰なほどに感謝するリズリーの姿に、呪われてからどんな扱いを受けてきたのかのおおよその察しがついたシルビアは、悲しそうに笑ってぽつりと呟いた。
「……これからは、毎日準備いたしますからね」
そして、リズリーが顔を洗い終えると。
「さてリズリー様! 次はお着替えをしましょうね……!!」
シルビアや他のメイドが持ってきてくれた美しい何着ものドレスから、今日着たいものを選ばなければいけないのだけれど、リズリーは直ぐには選べなかった。
感謝と驚きで胸がいっぱいだったからだ。
「こんなにも沢山用意してくださるなんて……ルカ様に何て感謝すれば良いのか……!」
「まあまあリズリー様、これも毎日のことになるのですから、早く慣れていただきませんと!」
「そ、それはそうかもしれないけれど……って、あれ……?」
突然、不思議そうな顔をしたリズリーに、シルビアが問いかけると」
「どうされましたか?」
「ねぇ、シルビア。聞きたいのだけれど、どうしてこんなにもドレスがあるの? デザイン的にもルカ様のお母様のものとは思えないし……まだ朝早いのだから、いくらなんでも買い揃えるのも無理よね?」
「そ、それは〜……」
シルビアの目が、左右に行ったり来たりを繰り返す。
明らかに動揺しているらしい。
(これがもっと簡素なものならば、使用人の私物を貸してくれているのだと思っただろうけれど、これは明らかに貴族に向けて作られたもの。それにこの量だもの……どういうこと?)
しかし、屋敷に世話になって着るものまで選ばせてもらっている立場なのだ。
シルビアの様子から何かしら訳があることを察したリズリーは、「ごめんなさい、何でもないの」と言って話を終わらせた。
それから、部屋に運ばれてきた朝食にリズリーは「なんて豪華なんでしょう……!」と侯爵令嬢らしくもなく、一口一口感謝の気持ちを述べながら味わっていく。昨日の夕食もそうだが、ルカには感謝しかなかった。
その後、ホッとした表情のシルビアに化粧まで施してもらったリズリーはメイドからの伝言により執務室へと足を運ぶ。
どうやら午前中の間に、婚約誓約書を書いてしまいたいらしい。
「ルカ様失礼いたします。それと、おはようございます。あとそれと、お食事やドレスなど、改めてありがとうございます……!」
「構わん。早速で悪いが、婚約誓約書にサインを頼む。ああ、それと、おはよう」
当たり前のように返ってくる挨拶に、つい頬が綻んでしまう。
(いけないいけない。しゃきっとしないと……)
忙しいルカの手を煩わせないためにも、指示されたことを迅速に行わなければ。
リズリーはそう思って、「かしこまりました」とだけ返事をすると、既にルカの署名が済んでいる婚約誓約書に筆を滑らせる。
(これを書いたら本当に婚約者になるのだと思うと、少し緊張するわね……まあ、名ばかりの婚約者なんだけど)
リズリーは書き終わると、やや緊張した面持ちでそれをルカに手渡した。
ルカは書類にミスがないかを確認すると、執事のバートンにそれを手渡す。
「バートン、後で提出を頼む。俺は今から第二魔術師団棟へ行くから、先にリズリーを部屋へ送ってやれ。リズリーも、朝から済まなかったな」
「い、いえ」
「ではリズリー様、お部屋に参りましょうか」
その時、ルカは何かを思い出したのか、そういえばと口を開いた。
「呪いや解呪について知りたいだろうから、今部下に呪いに纏わる書物をいくつか選んでおけと命じたとこだ。急ぎだと伝えてあるから、待っていろ」
「!? そ、そんな……! とてもありがたいお話ですが、急ぎじゃなくて大丈夫ですから……!」
「……そうか? なら、今夜にでも部屋まで届ける」
「あ、ありがとうございます……!!」
それからリズリーは、にこやかな笑顔を向けてくれているバートンと目を合わせてから、彼と共に部屋を後にしようと思ったのだけれど。
「あの、ルカ様……!」
バートンに待ったをかけたリズリーは、ルカに向かってゆっくりと頭を下げる。
その時に靡いた、リズリーのブラウンの長い髪。
それから軽く微笑みながら顔を上げたリズリーに、何故かルカは目を離せなくなった。
「不束者ですが、よろしくお願いいたします」
「…………」
「ルカ様……? あの……」
「……あ、ああ。よろしく頼む」
(何だか、ルカ様の様子が変……?)
そう思ったものの、ルカの機微の理由を理解するほど彼のことを知らないリズリーは、バートンに続いて執務室を後にした。
「──何であいつが笑うと、調子が狂うんだ……」
直後、やや眉尻を下げながらルカがそんなことを呟いていたことなど、リズリーは知る由もない。
◇◇◇
午後になり、日差しが傾き始めた頃。
リズリーは自室のソファに腰を下ろすと、「夜までどうしましょう……」と言って、項垂れるようにして頭を抱えていた。
そんなリズリーを心配してか、控えていたシルビアが「どうかされましたか?」と問いかけると。
「婚約者になったとはいえ名ばかりで……仕事にも行かず、屋敷のことを手伝おうにも遠慮されて……そんな中でもルカ様は働いていて、もしかしたら呪いについて頭を悩ませているのかと思うと……私、罪悪感で気が狂いそうだわ……」
「リ、リズリー様?」
「ねぇ、シルビアお願い……! 何でもいいから私に仕事をくれない……!?」
「ええええええ」
屋敷の案内や使用人の紹介が済んだら、リズリーにやることはない。
……いや、厳密に言えば、シルビアは気を使って刺繍道具や最近流行りの恋愛本など持ってきてくれたわけだが、それではあまり時間を潰せなかったのだ。
というのも、リズリーは昔から、術式の勉強漬けだった。
生活の殆どを術式を描くために当て、働き始めてからも家にいる間は殆ど術式を描いていた。たまにクリスティアに強制的に描かされていたが、殆どは自主的に、枯れていった幸せな気持ちを少しでも潤すように。
もちろん、貴族令嬢としてマナーや教養などは全て習得済みではあるが、所謂お茶会や刺繍をして優雅に暮らすような貴族令嬢と、リズリーのこれまでの日々は少し違ったのである。
「仕事と申しましても……リズリー様は旦那様の婚約者様ですし……かと言って事情が事情ですから……色々と限られ……あ」
「何? 何か私にできることはある? 大人しく部屋にいるのが一番迷惑にならないのならそうするけれど……そうじゃないなら、何か手伝わせて……! お願いよシルビア……!」
(とはいえ、私に人よりも優れたところなんて、術式が描けることだけなんだけど……)
何か手伝っていないと罪悪感でおかしくなりそうだと思いながらも、できることが限定的すぎて自分に呆れてくる。
しかし、そんなリズリーの嘆きの思いが届いたのだろうか。
急いで部屋から出ていったシルビアは、魔法紙と魔法ペンを持って戻って来ると、それをローテーブルに勢い良く置いた。
突然のことにリズリーが目を見開くと、シルビアは意を決したように深く頭を下げたのだった。
「仕事……とは言えないかもしれませんが、リズリー様がもし良ければ! 私に術式を教えてくださいませんでしょうか……!」
「……!」
このシルビアの提案が、後にリズリーと第二魔術師団を強く結びつけることになるなんて知る由もなく。
「もちろん……! 私が人よりできることと言ったら術式くらいだもの……! むしろこちらからお願いしたいくらいだわ……!」
そう言って幸せそうに笑ったリズリーは、何とも嬉しそうに魔法ペンを手に取った。