82 星を帰す
「………うう……」
緊張が緩んだからか、地震の恐怖もあったのかミザルが真っ白な顔をしていた。
「ミザル!」
「博士!!」
連合軍側にいた大きな軍人は、オリガン大陸のフラジーアであった。フラジーアがミザルを支え横抱きにしてスペーシアに乗り込むと、内部でミザルを預かった女性兵がフラジーアに伝える。
「もう、子宮口が大きく開いています。」
「……はあ。こんなところで……。病院まで先に飛ばすか?」
ここに来ている者は、お腹の子供が既に降りてきていて、しばらくミザルが運動として歩いていたことを知っている。
「倉鍵まで行けますか?河漢ではだめです!」
よく見るとミザルは、話すこともできないほど呼吸が浅く顔が白い。
「普通は陣痛でもこんな状態になりません。」
医師はいるも、何があるか分からないこの場まで連れて来れず下で待機していたので、今上がってきている。
一旦その女性兵がミザルに霊性を流し込む。チコの護衛、グリフォであった。
ミザルは霊性が非常に高い。
こんなに混乱し、人がないがしろにされ死んで来た河漢や艾葉では危険な場合もある。命のやり取りが起こる場所には霊が集まって来るため、その期に乗じてよくないものも入り込みやすいのだ。
霊も生きている人と同じだ。自分が求めているもの、関心があるもの、注目を浴びているものや場所に惹かれていく。救いを求めて、何か得を得ようと思って。
もう一人の兵によって乗り込んで来たポラリスが、衛生手袋をはめすぐに駆けて来た。
「大丈夫か!」
ポラリスの到着と同時に今度はフラジーアが外に出る。今のところ何も起こっていないが、ギュグニー側が本当に艾葉を崩す気だったのか分からない。フラジーアは外部を見守る。
スペーシアを高速で飛ばせば一瞬で倉鍵まで着くが、アンタレス上空は速度制限がある上に、様々な規制や反対派との問題があったりと簡単には動けない。現在市内に滞在する軍用ヘリは全て稼働中。緊急なので許されることもあるが、何より一般のヘリでは撃たれたら墜落してしまう。
そこに、野戦での出産を世話したことのあるガイシャスと、ベガスの医者も乗り込んできた。
「本来ここで安全だったのは、艾葉事務局とシェルターだったのですが、この揺れでは何も保証できません。」
まだミザルがどうなるか分からないが、ベガスの医師は病院外での出産は未経験だ。
「分かった。麻酔は?」
手術になる可能性が高い。
「血圧が下がっています。もう少し待とう。」
「出来るだけ手術にはしたくないのだが……」
「ガイシャス君。機内を聖水で聖別を。デネブ夫人と倉鍵教会に連絡してくれ。」
「はっ。」
みなが各自動くも、ポラリスも蒼白だ。
「まさか、自分の妻を見るとは……」
先進地域では、専門分野でない限り自分の身内を担当するということはあまりない。出産に関しては倉鍵まではベガスの医師が担当になるが、あまりにイレギュラーな場所と人間たち、そしてもしかして母体が危険かもしれないこの状況に様々な判断を迷っているようだった。
通常でもこの容態なら、アンタレスの有名総合病院に転院させる事態であった。
医師や軍人たちは知っている。
必ずしも生きて帰れるとは限らない。
***
シャプレーがまともに動けないので、ファクトはカバンに入っていた荷物用のバンドを補助にしてムギを背中に固定してもらい、いつでも動けるようにしてもらう。
こんなムギに振動を与えるなんて怖いが仕方ない。
また揺れたら危険だ。
それに自分の力なさを思う。ベガスに来た最初にチコにはお姫様抱っこをされて飛び回られたが、あれはレジェント級だったのだ。映画や漫画では人を軽々担ぐが、こんな細いムギですら力が入っていないと簡単には担げない。懸垂30回に到達するほどの筋力を手に入れたのに。横抱きでなく背中ですら、この瓦礫の中だと山道をのっしのっしと上がっていくレベルの動きだ。全くもって絵にならない。
「ここ開かないのかな………」
ファクトは先、『青龍』があるといった壁を眺める。
ここにも扉があると思うのだが、ここは開かない。瓦礫が一気に増えてしまったので、ムギを安全な場所に移したいが、どこが安全かなんて分からない。響たちは大丈夫だろうか。
と、その時、ザザっと音がするも反応が遅れてしまった。
『お前だけでもっ!』
と、突然瓦礫の隙間からシャプレーの首を後ろから掴んだ者がいる。
先、打撃を受けた白金のモーゼスだ。床にでこぼこしたものもあるのにガーーと引っ張っていき、ファクトの方にも数発弾丸が飛ぶ。ザっと隠れるも撃ち返せない。
「社長っ!!」
「大丈夫だ!!任せる!」
シャプレーは片手で首を庇いながら叫んだ。ムギを任せるということか。
信じられない。あっという間だ。まるでワニが獲物を川に引きずっていくように引かれて行った。
「…………」
何事もなかったように人がいない。
え?
これすごくヤバくない?
それと同時に周囲が崩れる。
「はっ!?」
どうにか瓦礫を避けるも一部周辺がつぶれた。
「……」
ムギを背負っていてよかったと思う。咄嗟だったら横たわるムギを動かせなかったであろう。
しばらく待っても何も音がしない。
「………」
これ、もうどうしたらいいのか分からない。
今までと通れた場所も塞がってしまったかもしれない。
背中のムギは冷たくはない。でも重く、生きた感じもしない。
今のでシャプレーが死んでいたら、SR社は、東アジアは大丈夫なのか。けれど心配だけで、今自分に出来ることはない。
心配と共に、沈黙が訪れた空間に否応なしに感じる温かい感触。
自分の背中にいるムギにも安心してしまう。
二人っきり。大切に思っていた子が、自分の背中にいる。南海にいた時から、きっと自分は気になっていたのだ。こんな状態でも思ってしまう、二人きりなら特別になれるのではないかという欲求。
モーゼスの言葉がチラつく。
生きているのか確認したいのか、存在自体を確かめたいのか、
ただ自分が触れたいのか。
だらんと垂れたムギの腕をギュッと握る。
「………」
でも、閉じる。深呼吸をして。
思い出す。カストルの星見を。
『どの星も大切にしなさい。でもどの星もそれぞれの位置に送り返してあげなさい……』
今自分は、公務に携わる人間だ。河漢に入れるかわりに担っている義務がある。
まずは保護と生存。ムギはこの前も生き抜いたのだ。
こんなアンタレスで死んでもらっては困る。少なくとも本当の星になってもらうわけにはいかない。
そして今は自分しかいない。
ここはおそらくシェルターの壁面。
デバイスを見てもファクトの持っている物は、いつの間にか業務用の方も電波が途切れている。
「……はあ。」
どうすればいいのか。
ここを動くべきか、ここで待つべきか。
おそらく何かのロックは解除されたのだ。
扉があるのかないのか。あってもまた振動が来る前に、構造物が崩れる前に開くのか。
シャプレーが引きずられた方に動くべきかその方向を向いて考えるも、答えが見えない。
「………」
ファクトには青龍の文字も絵も見えないが、バングルを差し出したムギの片腕が埋まる痛みの場所を、もう一度眺めた。
地面が揺れているのか、錯覚か。それすら分からない。
ずっと体が揺れている気がして焦るが、それでも気持ちを沈める。
ムギはなぜ、アジアラインの動きを読めていたのか。
人に尋ねるにしても、明確なポイントがなければ重要なことは分からない。
けれど、思う。木だけでなく、きっと森を見ていたのだ。
広大な森を。
時に地面を這う蛇のように。土に潜るミミズやモグラのように。
生物の分解を知る虫や微生物たちのように。
時に空を舞う大鷲のように。
その大鷲は風に乗って、さらに上空に上がって、その先の向こうの大陸も見渡す。
サダルが宇宙の先も、小さなナノよりもっと先の世界も見渡せるように。
それはいつしか、どちらが大きいのか小さいのかも分からなくなり、どの世界も同じように構成されていると知る。人間が住みやすいように、人間に共鳴して世界は構成されている。
昔の科学者が知らなかったことだ。
世界は人間に合う性質で構成されているのだから。
科学が先か、人間が先か。
人間が先なのだ。
人間という青写真が。
神は人間に会いたくて、宇宙という青写真を描いたのだ。
そこに沿って、世界がそれを構成するために物質を集結させるのだから。
だから物質は集結するのだ。
神の完璧な愛の具現体である人間を描こうとして、
その全ての理想の土台を描こうとして、電気を生み、世界を繋ぎ、目に見える実体としての現実を構成していく。
なぜってそれは、物質世界では大鷲のように、無固形の世界では龍や麒麟のように遥か世界を眺め、
そして地上では這うことしかできない小さなサラマンダーのように、限られた世界で生物の曼荼羅を眺める。包まれた小さな温かい場所。
強制された頭から被るルバ。
でもそれは、子供を包むおくるみでもあったから、
小さな安心も知って、世界はやっとほっとする。
目を閉じ、深く心を落とす。飲み込もうとする全てに侵食されない場所まで。
ここは河漢の濁流の中だけれど、そっと助けを願う。
万物も万象も、関心を持ち、大切にしてくれ、愛してくれるものに姿を現し、傾こうとする。
理想論や抽象論ではない。これは宇宙理論でも出てくる現実的な話だ。
物質は関心のある場所に自分を表すのだ。
正直、何も持たず、人を担いで、この狭まった建造物の瓦礫を乗り越えて、このまま正解を導ける自信はない。ライトのない場所はひどく暗闇だ。
自分はおまけでいいけれど、アジアを、アジアラインを愛したこの子を、また助けてほしい。
行ける道を教えてほしい。
サイコスまで入らない、霊性の深層で静かに祈る。
振動に侵食されない深さで少しだけ気持ちを深くすると……
感じる。
青龍の壁の向こうに、知っている誰かがいる。
***
「………なあ、サルガス。向こう、誰かいないか?」
「まだ人がいるのか?」
イオニアに言われてサルガスは、デバイスを見るも、今河漢の地下は全ての状況が把握できるわけではない。
それでもイオニアは動く。
引かれるように、一方に。
「おい、イオニア!」
サルガスを無視してイオニアは先の地震で少し荒れているシェルター内を駆けていき、一人の軍人に聞く。こちらにはあまり設備がない。
「すいません。そっちは?機械室とか個室ですか?」
「すまないが教えられない。」
「私はあの、アーツ河漢の責任者です。こいつは元青龍です。」
「え?」
直接は関係ないのに青龍を出されてサルガスは驚くも、気になるので聞いてしまう。イオニアも大房メンバーの中では霊性が高い。
「向こうに誰かいませんか?」
「人?」
今度は軍人の方が驚く。
「……います。」
「……?」
「開けられませんか?誰かいます。」




