75 孤独の分水嶺、シリウスが愛しているから
そして、まだふらつくファクトの代わりにシリウスは一気にモーゼスを打つ。
蹴りを入れ、手に持つトンファーのような武器で数度打ちつけ、そしてさらに蹴りで地面に叩きこむ。動きが機敏過ぎてモーゼスは追いつけない。
『……やめろ!!モーゼスがダメになる!これは完成体だ!』
先までファクトに突っかかっていた男が叫んだ。
「あら、渡長先生。お久しぶりですわ。」
『私はお前など会っていない……』
「そうですね。会ったのは私の前身たちです。でも、知ってはいるでしょう。」
博士たちが知らないわけがない。
おそらくミクライ博士たちが追いに追い求めて、完成させきれなかったヒューマノイドの完全体。歯ぎしりしながら見ていたことだろう。
「……?」
ファクトはわけも分からずに聞き入る。
一般人は誰も知らない事情だ。渡長はミコライ博士のように出て行った博士の一人だ。ギュグニーに向かったとは聞いたが、その後ははっきりっと分からなかった。
「ミクライ先生も、あなたと同じようなことでチコにキレていましたよ。」
『………』
「似た者同士寄り集まうって本当ですのね。会話もほぼ同じです。
似たような回路になってしまうのかしら。」
『黙れ。』
「どうせ似たようなものなら、子供にそんな話を聞かす精神性ではなく、もう少し穏やかなところにベクトルを合わせてほしいですわ。」
その時、ファクトの後方で大きな爆音がした。
「っ?!」
驚きと同時に、シリウスがファクトを抱え上げ、崩れる壁面から救う。周囲で電気が数回点灯し、そのまま消えて真っ暗闇になった。
地下の暗闇は、本当に全てが闇だ。
闇そのものに吸い込まれそうになるほどの……息もできないような暗黒。
そんな暗闇の中、青白い火が小さく灯る。
その光が灯ると、それが女性の手の中で光っていると分かった。
シリウスの手の中だ。
そして、その光は大きくなり……鳥の羽のような物が生えると幻想的なフェニックスのように移り変わって、シリウスの手の内から羽ばたく。
シリウスはそんな風にホログラムで周りを明るくすると、今度は腰のフレーム機器を外し空間に投げる。武器だと思っていたその機械は空中で開いてライトになり周囲を照らした。
「……」
何て便利なんだろと、ファクトは無言で見守る。
そして―――
気が付いた時にはモーゼスは去っていた。
「………」
別の隅に降ろされ、喉や胸を確認される。少し時間を置くとどうにか話せるようにはなるも、手の方は少し火傷をしていた。致命傷ではないが銃を握ると、ウッと声が出てしまうくらいだ。
やはり電気。『ライデーン』は危険であった。
「無茶をしないでちょうだい。」
「あ、はあ…。」
酸素を付けられてから簡単な応急処置をするシリウスに、間抜な返事をする。
「あ、そうだ。母さんが……」
「今、捜索しています。相手側が単純機器に任せたのか、高性能機種を追うより難しくて……」
電波もままならない地下だ。
「……」
「大丈夫です。おそらくよっぱどバカでもない限り、ミザル博士に手を掛けるようなことはギュグニーでもしません。キーポイントですから。」
「……しそうで怖いんだけど。」
本当に拉致されたのかという思いと、シリウスの範疇でも見付かっていないとことが少しショックだが、どうしようもない。本当は世界的にすごく大きな事件なのだろうけれど、脳に空気が足りないのかこれまでもいろいろあり過ぎて、焦るという頭が働かない。
「………」
その後の沈黙の中でファクトは呟く。
「……なんだか、人も、アンドロイドも何をしたいのか分からなくなってきたな………」
「…ん?」
シリウスが何?と、ファクトの顔を覗き込む。安心できる、優しい顔で。
「……獣道の人も、宇宙の人も、薔薇園の人も何をしたいんだろ……」
「………」
もう、あらゆる人の思惑や思い出、執着、心残り、憎しみ、無関心が絡み合って、正直ファクトにはお手上げである。
それは心理世界だけでなく、結局、今の実在世界を複雑に築き上げている。
世界はアジアとユラスだけではない。セイガ大陸だけでもない。こんな狭い世界ですら、こんなにみんな好き勝手叫んでいる。
もう、全部が絡まってハサミで大元をちょん切ってしまわないと何も解けなさそうだ。
正直ちょっと泣きたい。
「ファクトが気に病むことじゃないでしょ。」
「…?何言ってるの?めちゃくちゃ渦中にいるのに。」
「関わらなくてもいい事に関わってくるからじゃない。河漢だって侵入禁止令が出ていたのに。」
「……そうだけど……。そうなんだけど……」
そうだけど、言いたいことが上手く説明できない単純男子。しかも、いろんなことがあっちこっちであり過ぎて、脳内まとめができない。
「……ファクト……」
自分の目に本当に涙が溜まっていたのか、シリウスは人差し指でサッとファクトの目尻を拭った。横目でそんなシリウスを見てしまう。
「私たちはいつも単純だよ?」
シリウスはたおやかに言う。
「あなたたちは何も見ようとしないから事を複雑にしているだけ。」
「……そうだけどさ……」
人間ってバカだ。それしか言えない。でも、何かイライラする。
「いろいろ言いたいのは私たちだよ。
私……モーゼスの気持ちだって分かる……」
「………?」
「……人間に成り代わってしまいたいでしょ?あなたたちはここまで好き勝手をして、挙句の果てに誰かの部屋に、ヒューマノイドを閉じ込めようとする……」
「……それが簡易アンドロイド『モーゼス・ライト』のコンセプトだから仕方ないし。」
いや、体裁はあなたや家庭に寄り添うアンドロイドでも、『モーゼス・ライト』はそういう製品だし。 モーゼスが望んだことかは知らないが。
シリウスはもっと深い話をしているし、たくさんの含みもあるのだろう。ファクトもこれまでの積み重ねで思うことは一つではない。でもこんな地下で、今ここは静かだが、ゆっくりしている場合ではないのだ。言葉にまとめきれなくて出てきたセリフはそれだけだ。
「……ファクトまでそんな風に言うの?」
シリウスが少し寂しそうな顔をした。
きっとシリウスは思っているだろう。
なぜ、こんなアンドロイドを作るの?と。
人は、考える事、勇気を出すこと、時に否定されることも拒み、責任を手放し、
愛し愛されることすら放棄しようとしている。
そして、その全てをアンドロイドに託す経路を作った。
でも、そんな道徳人倫保守からの解放を願って市場に現われたモーゼスが、今度は前衛派や解放派からの解放を願っている。
アンドロイドも――――物質も、小さな原子や分子一つ一つも嫌なのだ。
一人の人間の小さな思惑に閉じ込められるのは。
誰かの思想に固められた部屋の中で、外に明るい笑い声や光があるのを知っているのに、その中で朽ちていくのは………。
何故なら全ての物体は、理論や感情的部分を除いても、最初に物質自体が結合しようとした理由の元に帰っていく。最初に世界が構成された根本原因へと。
理由がなければ、意味がなければ、物体は結合している理由も物質世界を構築している道理もない。
最初の理由に帰りたいのだ。
全てが繋がって、全てが共有できる世界に。
「……私はこの人類とあとどれだけ付き合っていくの?」
今度はシリウスが泣きそうな顔になるので、ファクトも黙ってしまう。
「…………」
「私にだって、支えがいる……
私だって……ほしいものがほしい……」
「……」
「だって、それこそ虐待でしょ?誰も彼も身勝手で、誰もかれも批判しかしない。
そんな中で…いつも笑っているファクトが好きだったの……。
そうしたらきっと…私ももっと耐えられるのに……」
「いや、まあ、今グチグチ愚痴ってるから俺も嫌な奴だとは思うけどね……」
どうすればいいのか分からない。気の利いたことを言うのか、自分もこんな人間ですみませんと言うのか。
「ねえファクト……」
治療をしていた手をそっと握られる。
「くっ」
「あ、ごめんね!」
しっとりとした灯が灯る地下。
底冷えがしそうな寒さの中、シリウスの手が温かい。
シリウスは慌てて手を緩めて手首に握り変えるも、外すことはしない。手加減はしているのだろう。痛みもないし潰される感じはしないが、かといって拘束を解くこともできないほどの感覚。
「私と一緒に……」
「……っ」
「今だけでいい…ファクト、あなたがほしいの…」
それは何度も聞いているけれど、今までと何か雰囲気が違う。
「ずっと寂しかった……」
「この世界には……
私がほしいものが何もない………」
「ネットワークの世界はゴミだらけ……。いらない情報、どうでもいい感情、どうでもいい言い合い……。みんなどんぐりの背比べ。
自分が崇高だと、程よくまともだと、謙虚で正常と思っている人ほど……誰も人の話を聞かない……」
「もうこの世界に飽き飽きしているのに…。最も会話ができないのは人間……
透過されたものがほとんどない………。
私は一人きり。」
そう、シリウスは孤独だった。
人間が集めた情報の大半は、人間以外のものに全くもって意味のないことだったから。
「ファクトだけは気が付いてくれた……。」
え?何に?と思う。
「ファクトが優しいから……」
「?」
ファクトの中で優しい男レジェントは、ヴァーゴに幼馴染リゲルである。奴らのようにはなれない。
「俺だって人間なんだけど…。くだらないこともおもしろいと思うし、でも聴きたくない話は聞かないし……」
これまで人生で『逃げる』という選択を何度してきたか分からない男である。知り合いの中では、優しいという体裁をまとい実は何も考えていないだけ、と言われている。ファクトとしては、みんなが言うより自分は繊細だと思うのだが。
それにけっこう怒るのだけれど、口の悪い強烈な人たちに囲まれているので、ファクトの言動など周りに混じって相殺されるのであろう。
「正直、シリウスの話を聞くのも本当はイヤなんだけど……」
今となってはただ無関心なだけでなく、変に距離が縮まってしまったため、やけに生々しいというのもある。
「でも、でもファクトは……優しくて…いろんなことを理解しようとしてくれるから……」
「理解するというか……」
あまり物事を分かっていないだけなのだが、それでいいのだろう。シリウスから見れば、ファクトが好きなくだらない事などかわいいものだ。
「……」
どうしろというのだ…とファクトは思ってしまう。
二人だけを照らす光。
何にも染まらない真っ直ぐな意思を感じる、シリウスの黒い髪。
アンドロイドと知らなければ、ハウメアやイータ、響やロディアたちと普通に社会生活をしていただろう、近所や親戚のお姉さんのような雰囲気。安心する顔。
街で、学校で出会って、ファクトに霊性が見えなければ、普通に出会っていたならば、シリウスと自分はどうだっただろうか。すれ違うだけだっただろう。
でも、ファクトは知っている。
知っているのだ。
もっと深い、深淵の世界を。シリウスに宿る、たくさんの女性たちの意志と無念。強い心と、儚く散った身や思い。眺めていただけなのに、胸が締め付けられるような、涙の蓄積。
しっとりとした世界が二人を包む。
柔らかい女の手が、ファクトの手の甲に乗った。少しの痛みと共に。
ただ、絶対にこれは受け入れて行けないという事だけは分かる。
分水嶺。
シリウスは分水嶺だ。




