73 留まる君と、流れる自分
ムギは銃を握りしめる。
アルゲニブに照準を合わせて。
「………っ」
振るえる腕。
おそらくアルゲニブ以外にもいるのだろう。扇動した者や、裏で動いていた者。
情けなく逃げようとする後ろ姿に怒りと憎しみが湧く。
撃てばいい。誰かを貶め、誰かの命を奪ってきた力は、あんな非力ものだったのに。今まで何を足踏みしていたのか。
終わればいい。終わらせれば。引き金を引くだけ。
全て終わらなくても、何かが終わる。
なのに……
なのに、引けばいいはずのトリガーを、自分は引いていない。
「………」
ムギ自身の中に沈黙が続く。
情けなくて苦しい。
でも……
「そこまでだ。」
その時、自分の後ろから誰かの手が現われ、ムギの手ごと銃の本体を握った。
「っ?!」
「君の手を汚す必要もない。」
「!」
後ろを取られるまで気が付かなかったのは、自分の思考によほど入り込んでいたのか。それとも、この男に力があるのか。
振り向かなくても分かる、大きな手。
血の通わない、でも、霊が宿る機械の手。
シャプレーだった。
シャプレーはムギの腕を銃ごとそっと上にあげ、指から外し自分の手に握り変えた。
そして今度は、まだワタワタ逃げているアルゲニブたちに腕を伸ばし照準を合わせる。
「………私も撃とうと思えば打てるがな。」
「…………」
前を向いたままのムギが目を下に落とす。そんなムギに構わず、シャプレーは言葉を続けた。
「したいのはやまやまだが、そんな必要もないし残念ながら私にもできない。」
そう言って、前を向けていた銃口の先を外した。
心や技術が及ばないのではなく、立場的にすることができない。
それがシャプレーの立場だった。
銃などなくとも、相手をひねりつぶすこともできる。
けれどそれはできない。正当な理由なくそれをした時点で、父と母親が守ってきた位置を失うからだ。それが象徴的な出来事だったとしても、一度放たれた導線は意もしない道を描き出していく。
ままならぬ方へ。
こんな地下で起きたことなど、流れ弾が当たったとか、何かよろしくないことをしていたようなので、やむを得ず処断したでも通るだろう。何なら爆破にかこつけて埋もれてしまったでもいいのかもしれない。
でもできない。
それは誰かの、自分の、心に残る。
この時代は霊が見ているのを知っている。
そして、サイコメトラーたちには見える。
物に移された記憶が。宇宙のホログラムに移された断片が。
時の流れも見ている。
そこに天義を貫ける全てがあるのかないのか。
世界は天義に繋がる経路がなければ、出来事によい関与ができない。たとえ非道に対する復讐でも道を誤れば数代後の、民族の破滅に繋がる。三代は大丈夫でも、その後の世代がまた復讐をし、そしてまた復讐をするのだ。
そうやって、数千年前も、今も、人は殺し合いを続けている。
「……それでも決断が必要な時はあるかもしれないが……あんな男など撃つ価値もない。」
「……っ」
ムギの手が震える。あんな男のせいで死んでいった大切な全てが浮かばれない。
「ここにたくさんの物証が出てきたからな。流れが変わるだろう。もう少し待つんだ。」
「……」
ムギは初めて目をあげてシャプレーを見た。スーツが少し汚れているも、こんな場所でさえ全く不動だ。まるでメカニックのように。
「社長。」
ムギは気を取り戻す。
「このバングルは鍵です。これでおそらく巨大シェルターの側面を開くことができます。詳細な位置や方法は曖昧ですが……この近辺だと思います。」
ムギがウエストから出したバングルをシャプレーに差し出した。響の世界を見たから、シャプレーも少し事情は分かる。ワラビー事件のことも知っているし、事業でも龍家と関わるようになっている。
けれど、腕輪の実物を見るのは初めてだ。
不思議そうにそれを受け取る。
一見何もない、2センチほどの幅のただの銀の腕輪。手元で見て、少し掲げた。
「……?」
「もう一つあって、サルガスがロン家から貰った方には……」
「ピジョン・ブラッドか?」
「はい。こっちにはおそらく……ロイヤルブルーが入っています。龍家の叔母様が言っていました。」
「ロイヤルブルー?サファイアか……」
「そうです。」
物質と共鳴しやすいシャプレーには、この中にそれが埋め込まれているのが見えた。そして、その石の発掘からさらにずっと先の鉱物になる起源までも。
「『レア・ライラ・サファイア』」
「レア・ライラ?」
「一部の地域でしか取れない希少品だ。加熱処理をしていないし、今の時代だとほとんど採掘もできない。ピジョン・ブラッド……ルビーとサファイアは同じコランダムだ。」
「……」
「元々の本体は同じものだよ。」
「…同じ……」
「その中でも、色帯の構造で価値が変わって来る。おそらくこれは原石を削った時の欠片だが、大元は高級品だ。大切な人にあげたのだろうな。加熱処理をしていないと、地球が生み出したそのままの宝石ということになる。」
小さすぎるためはっきりした構造はおそらく確認できないが、シャプレーの目には霊性の中で原石の元々の色帯が映し出されていた。
誰かが誰かのために、至誠を尽くした贈り物。
……赤龍が青龍に捧げた宝石の欠片。
高価さゆえに捧げた物なのか、
希少性に意味を持たせたのか。
自然の美しさをそのまま捧げたかったのか。
それは小さな欠片だけど―――
―――
「…??」
すると動き出す。シャプレーの世界が。
ガ――――――――と世界が周りだし、
またガ―――――――と、短く反回転する。
そしてさらにガ――――――と逆回転。
それを数回繰り返す。酔いそうなほどに回る世界。思わず左右を見渡す。
最後に、
バチン!!と、音がした。
「?!!」
シャプレーは驚く。今までのサイコスの入り方と違う。
引きずられるのか。
「左右に動いている。」
「左右に?」
「シリンダー?」
ムギが不思議そうに、見えない世界に戸惑っているシャプレーを見た。
何か違和感はある。
でも、ムギには何も見えない。
けれどそこには、裏世界に産み落とされて堅気の世界にも出られず、
でも、このままでは国自体が傾いてしまうと知っていた、世界を読み取る力を持った者たちの、最後の足掻きがあった。
***
――ムギ!――
ファクトは惹かれる。
『ファクト!』
と、自分を呼んだ、まだ幼さが残るように思えるその声に。
「……さあ」
モーゼスも呼ぶ。人間の子を。
けれど、
ファクトの答えは明確だった。
瞬時に腰の銃を抜く。
そして撃つ。
目の前のムギも、
その向こうのモーゼスも。




