68 アーミーモーゼス
ファクトにはもう分かっている。
許さない―――
この声。
これは女たちの怨み声で―――
自分の知る中で最も近いのは、ソソシアの要塞ではジュリと名乗り、その前のバイシーアの集落では『トレミー』と名乗っていたその女性だ。
目の前に―――、見慣れたルバが視界を覆う。
でも、それは知っている宇宙の人ではない。
ルバの中からもあふれる、美しい豊かな髪。
そのルバが外されると、一瞬目を見張る、服の上からでも分かる……美しい肢体。
初めてはっきりと見る……くすんだブロンドの女性。
「トレミー?」
『あなたは私を知っているの?』
「…知っている…。知ってるよ。」
次の瞬間には縦に流れていた世界がグンニャリと歪み、新しく現れた場所にはたくさんの顔が地面や壁を覆って何か呻いている。これは霊性学では霊世界でも見る風景だ。意識層と霊世界はやはりどこか共通するのか。これれらも繋がっているのか。
でも、その顔一つ一つに、今は気持ちを取られてはいけない。それは彼らそれぞれの人生と、その嘆きだ。一つにフォーカスしてしまうと、何億もの、おそらく同じように広大な個人の怨みと嘆きの世界に入る。
ファクトにはようやく分かってきた。響が空間で自分を固定し身を浮かすのは、誰かの世界に同調しないためだ。説明されても飲み込めなかったことを、やっと実感する。揺れる自分が怖いから自身を確定し、波に飲まれないようにする。
けれど、一つスッキリしないことがある。
『トレミー』は骨として、ニッカと国境を渡ったのだ。
その時の彼女は、世界をレグルスを怨んでいいつようには見えなかった。たくさんの心残りはあれど、あの要塞にしがみ付いていた時とは違う。
なのになぜ、あの怨みの声は消えないのだ。
ファクトは考える。
そして―――チコを思い出す。
チコの心の世界はきれいだ。どうしてこんなきれいな魂が生まれたんだ?というほどに。
でも、傷は深い。
戦場にいて指揮側にもなった身。敵だけでなく、仲間も失った。人も殺してきたのだろう。
現場では割り切れる精神性を持っているが、全てが傷だらけだ。
サダルもだ。
大きな仕事を成し遂げても、誰かが許してくれても、消えない憂いを持っている。
組織や国が、世界が一枚岩ではないように、人の心も一枚岩ではないのだろう。
成功したこともあれば、叶わなかったこともある。乗り越えたことも、ある人には泥水を被った姿から天使に装いを変えるほどで、ある人にはやっと泥から顔を乗り出せたというくらいかもしれない。
同じように『トレミー』の世界も一枚岩ではなく、たくさんの感情の中で……レグルスの気持ちを理解したのではなく、それを少しでも垣間見たいと、気持ちが切り替わったばかりかもしれない。
まだまだたくさんの思いも行き来きする。
それに過去、自分の感情のままに、女の砦でたくさんの同調意識を作ってきた。
そう、生きているのか死んでいるのかも実際は分からないけれど、
彼女たちはまだ、亡霊のままだ。
聖典にはある。
神と共にない孤独は、人を巻き込むのだ。賛同を得たく、孤独にも耐えられないから。
イブは蛇と、その次はアダムを巻き込んで。
そして頭や原因が処刑されたり、牢に閉じ込められたり、我に返ったり、反省したり……
そうなった頃には自分の残骸で城が出来上がり、自身で管理できない規模の集団を作り、同じようにまた同調意識を作り上げその恨みが動き出す。銀貨で売った主を、悔いた時には取り戻せなかったように。帝国の力でも主の死を止められなかったように。
そこまで来ると、またその一人一人が我に返るまで……10年20年。ひどいと数世代を経てしまう。
一人が戻って来ても…別の一人がまたそれを拡張する。
いつの間にか、最初の動機も忘れ、蜘蛛の巣のように。
本人が納得しても、上辺だけ知って広がった世界の人々は、その核に深い事情があることも知らない。たくさんの積み重ねられた憎々しい事情も、憎んだ後にそれでも愛して仕方なかった親友の存在も、彼女を抱いて全部を捧げたかった地下での最期の思いも……その心情も何も知らない。
だから……すぐには帰れないのだ。真っ新で、何もなかった頃の自分には。そんな時代には。
「………」
広大な世界でファクトはあらゆるものを仰ぎ見て、また俯瞰する。
それは、おそらくモーゼスの根本はシェダルではなく『トレミー』。
機械的なことは分からないが、精神性の部分はトレミー、正しくはトレミーたち。
モーゼスの性格や精神性とシェダルが、ファクトの中で一致しないからだ。かつてはシェダルも彷徨っていたのかもしれない。けれど、シェダルにはモーゼスや他のアンドロイドに見られるような、激情的な感情も執着も見えない。むしろ静かだ。
北斗チップを機械に移行する際、チコたちが肉身部分のモデルになったように、モーゼス側は東アジア側と対比するように、真似るように、シェダルが用いられている。
シェダルもトレミーもDP(深層心理)サイコスターだったとして、体を失ってもトレミーは要塞の教室でずっと付き添った同じ要素を持つシェダルの体と力に依存し、モーゼスの核の一部になったのではないだろうか。
正確には彼女自身だけでなく、トレミーに同調するあらゆる意識体を抱えて。
それは取り返しも付かないような、増殖する情報として、データなのか機体なのかアンドロイドたちの中に根を残す。
アンドロイド開発のために、男たちの権威や顕示欲を満たすために、命を張ったのは女たちだったのだから。
人形や像には時々雑霊や人が入る。
それが個人の霊としてモーゼスに入っていたのか、それとも『北斗』のようにチップの性質の核となり、分からないほどの繊細さでデータに織り込まれたのかは分からない。
けれど、それが今のアンドロイドたちに広く作用しているのは明らかだろう。
ギュグニーやベージンが意図したことではないかもしれないが、人間たちが個々の欲望を抱いた場所に、個々の彷徨う思いが入りやすかったのか。
シリウスは厳格だ。
同じような作用をしても、聖典に厳格なため名目だけでも慈愛や慈悲を省けない。なので、彼女たちは彷徨った世界で、緩いベージンを選んだのかもしれない。
どちらにしても、ギュグニーはモーゼスにとっても、彼女たちにとっても同郷だ。同調しやすかったのだろう。
『どうして?』
ボブの白金のモーゼスが話し出す。
『どうしてあなたはここに来ないの?』
「ここ?」
『私の元に。』
モーゼスはファクトの首に絡みつこうとする。
「えっ。だって、思いっきり怪しいし。」
食われたら終わり感満載である。支払ったら詐欺でした感ハンパない。
「お姉さん、最初は何にも違和感なかったのにね。普通のアンドロイドだった。」
最初にロボメカニックで見た時を思い出す。
「私は吸収して進化するから。」
「ああ、技術が足りないところから進歩するからね。あの時点ではまだ載せられなかったんかな。いろいろ。」
「……ひどい言い方をするのね。完全性が違うの。ロボットとしては完璧だったけれど、あなたが欲しいのはそうじゃないでしょ?」
「…?ロボットはロボットでいいけど?」
「シリウスには違うものを望んだじゃない。だから私もそうなりたいの。」
「??望んでないけど?」
「自分の心が分からないのね……。かわいい人。」
「!」
ファクト、怖っと思うも反応はしない。モーゼスの女心までは分からないが、何をしたいのかは何となく分かるからだ。単純に考えてハニートラップであろう。
『なら、ファクトが私たちの世界を支配して。』
「……」
『あなたは賢明で優しそうだから、変な大人たちにアンドロイドの世界を支配されるより、世の中はマシになるでしょう?私も、似たようなことしか考えない大人たちに支配されるよりおもしろいし。』
しかもトラップと分かっていそうなファクトに、敢えて仕掛けようとする。女は外も中も監査するが、男は女性の押しに弱い。
「……」
ファクトはうーんと考える。それはちょっとおもしろそうだ。妄想チームの読む漫画みたいな話だが。トラップをトラップと思わなければいいのではないか。
まあ、自分が支配すれば、少なくとも気軽に戦争や経済格差を起こすようなことはしないだろう。婚活おじさんも大好きな『レッツ!僕のメイキングシティー!』みたいに理想の街を作れるかもしれない。
『ちょっと興味を持った?』
「うん!……って、あー、違う。」
それに関してはもう答えが出ている。
人類がみんな自分なら戦争は起きないかもしれないが、発展も進展もないだろう。自動車どころか自転車一台作れない。折れない丈夫なパイプ一つ作れる自信はない。そんで、バグみたいなのが現われて少し頭がよかったら、そいつに一気に支配されて、のんびり平和世界も終わりである。昔、バナナが同じ株分けで、病気で一気に絶滅するのでは論と同じだ。自分の思考だけとか危機感がなさ過ぎる。
それと同じで、自分がアンドロイド世界を牛耳ったところで、実際の世の中はもっと頭がよかったり狡猾な人間がわんさかいるのだ。無駄である。きっと側近や摂政になった奴に全て持っていかれるであろう。
むしろ、アンドロイドに振り回されて終わりである。
「あー、いい。実社会はゲームみたいにいかないから。それに、シリウスの領域は犯せないでしょ。」
いずれにしても、こんな明らかに詐欺みたいな話、乗るわけがない。こういうのは頷いたら負けである。理屈ではない。捧げるべきは、今はまだ掴むことのできない天だ。
『なら私とデートしましょう!』
「は?」
『シリウスとはしたんでしょ?』
「……もういいです。アンドロイドとは…。」
今日もドン引きである。無形の世界でもアンドロイド……なのか分からないけれど、AIみたいな存在に絡まれるとは。
『ファクトに欲はないの?』
「欲?あるけど、欲より己の身の安全の方が重要なので。ビビりなんです。」
『怖がらせないわ!』
「存在自体が怖いです。」
『篠崎の言う通りね。ひどいことをはっきり言うんだ。』
「え?篠崎……篠崎さん?」
そういえば、そんなアンドロイドもいたなと思う。
『私は満たされたいし、あなたの理想のたった一人になることもできる。』
モーゼスは身をくるくるさせながら、様々な姿に移り変わる。
『どこにもあなたの理想はない?』
きれいな街のお姉さんになって、サラッとポーズを決める。
「……分析が好きだから…、理想どうのこうのより、モーゼスがなぜ心理層に入って来たのかそれを分析する方が好きです。今、してたんだけど。」
『……』
ファクトはゲームを考察したり整理したりするのが好きなのだ。部屋の整頓はたまにしかしないけれど、ゲームの中はきっちりカテゴリー分けしている。
『なら!』
と、モーゼスが最初の白金ボブに戻ると、ファクトは目を見張る。
「!!」
ファクト大好き、ちょいアーミースタイルであった。
白いTシャツに迷彩のズボン。片腕でガンを構え、もう片腕はあからさまなメカニック。ブーツはファーコックとお揃いの特殊仕様で、何ならカウス私服ともお揃いである。パンクではないが、スチームパンクキロンと並んでも、今にも冒険に出掛けそうだ。
おおおーーーー!!!!
これはキターーーーーー!!!!!!
と思ってしまう、単純なゲーム少年ファクトであった。なお、正確にはファクトはもう成人である。
●モーゼスにはなかった違和感
『ZEROミッシングリンクⅢ』59 シリウスの夕闇の短いデート
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