57 英知の友人
「俺が、ファクトのお友達だからでしょうか?」
「察しがいいんですね。」
「……」
篠崎さんが何だったのかよく分からないが、彼女がはっきり言っていたではないか。
「本当にどこでもファクト、ファクト……」
ラスはぼそっと吐いてしまう。学校から就活、命の危機までファクト、ファクト………
「俺が友人ってことを知っているなら、リゲルだっているじゃないですか、俺よりずっと隣りに!」
「リゲル…?……ああ、あの桜頭ね。」
緋色は少し考えるようにしてから言う。
「彼はだめ。」
「…なんで?」
「彼は麦星と同じだもの。」
「ムギぼし?」
「そう、あの生意気な麦星と同じ。もう、私たちの選択の場からいなくなってしまった――」
「…選択?」
モーゼスはいちいちラスに言わないが、リゲルはだめなのだ。もう一人の幼馴染、リゲルは最初からあの位置を離れない。自分の横で同級生がやたら人やゲテモノに好かれようが、賞賛を受けようがなんであろうが、似たような努力でさらに上に上がっていこうが動じない。
「……そう、いなくなってしまったの…。」
淡い緋色のモーゼスはラスに近付く。
「だからあなただけが頼り……」
優しく、そして切なく語る。
「SR社も東アジアも何でもかんでも禁止してしまったでしょ?自分たちの醜態を隠して、良いものはその懐に収めている…。本当に卑怯者。」
「……」
そこのところは、それはラスも思う。
「なぜ、アンドロイドの世界は女性が頂点に立つと思う?」
と、誰かが言う。
モーゼスから響くのに、誰かから聞いたような話。
主軸が男である神が、女であるイブを夢見たように、
自分にない全ての理想をイブに注ぎ込んで、融和する完全体を作ろうとしたように……
力の主体になった人間が、今度は女を追う。
掴めなかった女の代わりに思い通りの女になって、全てを受け入れようと思ったのに……
けれど、理想の本当の肉の女が今更現われてしまったら。これほどまでに何百万年も、痛み苦しんで人形のように何も言わず人間の横に付いて来たのに………
アンドロイドは男性性の、人間の懐に入れない。
「俺だってファクトは譲れない。」
「……あら?何?」
抽象的な話しかしていないのに、核心を付いてくるラスに、緋色のモーゼスは感心した顔を見せる。
「パイロットがほしいんだろ。」
「急に賢くなったのね!」
「別に普通の話だよ。今どういう関係だろうが、そう人をホイホイとあげられるかよ。それに俺は本人じゃないし。」
「あらら。でもね、これはすごいことなの。本当はユラス民族のオミクロン家がほしかったのに、彼らをSR社に持ってかれてしまったでしょ?カストルが唆したの。」
「……」
また大きな話をし出すので、ラスは追いつけないが頭の中で整理する。誰もが知っている話ではないが、オミクロンは世界で一番強化義体人口が多い国だ。元々メカニック業界に行きたかったので、全貌ではないが大まかな話は知っている。
「それでもアジアとなんて断絶していればいいものを、隠されたバイラを持って来てしまったわけ。」
「……バイラ?」
「その子も生意気だったから、もっと細かく分裂するかと思いきや………、あの緑の目の男が、かわいくもない黒髪に膝を折ったんだよね。」
「………。」
「だいたい、一主権が他主権に入られるとあがくのに、カストルの言うことをハイハイ受け入れるから………」
ギュグニーは、地理的にも最も近い勢力のオミクロンを奪えなかった。
「ギュグニーは一枚板じゃないんだよ。前進的な理性勢力だっている。」
「理性勢力?」
「私たち人類はいつか宇宙に行かなければならない。地球は狭すぎるもの。天が造ったエデンは、この地球も宇宙の一部であるように、この宇宙全体を指すでしょ。神は天地余すことなく臨在されるお方なのだから。」
「……」
それは、神学を学ぶ者ならみな知っている。霊性の羽を無くしこの地表でもがいているだけで、本来人類は総体的にもっと賢かったのだ。
けれど、宇宙に戦争を持ち込む可能性が見えた時点で、最初の地球のエデンが閉じられ、そして宇宙への扉も閉じられた。地のエデンが血にまみれたように、宇宙までそうならないようにだ。宇宙まで出た時点で、人は時間を越える。
次の時代を超える人間は、自身の理知と選択によって血を越えられる者たちとなれるように。
それでも、物理的歴史はスタートしてしまったから、せめてダムが限界量を超えるまでは………
それまでにどうにか、人の英知が戻ることを願ったのだ。
「あの子はね……。とってもバランスがいいの。」
「………」
あの子、ファクトのことだろう。家柄、四方が整った霊性、そこそこの頭脳に、大房でも頼られる運動神経。ラスは知らないが、サイコスも開けている。そして気もよく、どこでも生きて行けそうな性格。少しへっぴり腰だけど、あの柔軟性。
「今の人類は、ひどく遠回りしてしまって何にも手を付けられないでいる。
彼がいれば、人間世界もニューロス世界もまた新しい変化を遂げれるかもしれない。私はもどかしいの…」
「……」
ラスは黙り込む。きっとこの話に乗るのは良くないのだろう。でも、ファクトの可能性さえ閉じてしまっていいのだろうか。たとえ気に入らなくても、SR社やカストル総師長の言い分が分からないわけではない。むしろ、聖典を読んでいるからこそよく分かる。
でもラスは最初から、子供の頃から、ファクトがパイロットに向いていると気が付いていた。
パイロットには様々な種類がある。文字通り乗って操縦するものもあれば、リモート。そして、被験体になることもそうだ。もっと奥には、モデル体の意味もある。ファクトが突出して何かできる子には見えなかったけれど、たくさんの祝福を持っている友人だとも思い誇らしかった。
そしてファクトは、万物に愛されていた。
なぜなら、ファクトが愛しているからだ。
ファクは自由であらゆるものが好きで、何かを嫌うこともなく柔軟だから。
ただ柔軟というだけではない。
ファクトだって好き嫌いはある。むしろそれを口や顔に出す方だ。
でも、ファクトは優しい。
嫌っても、嫌わない。
どんなものにもそれぞれに見合う場所で、一番きれいに輝いてほしいと願っている。
郊外の苔だらけのお寺。
小さな組み木一つにも、永遠の宇宙を感じ、感動してじっと見てはまた次の朝に見に行く。
庭の苔がきれいだと見つめていたのに、その下はどうなっているのかと、べりっとはがして怒られたあの日。
住職の言うことを聞かなくて、板の間を汚して、リゲルと全堂の掃除をさせられる。
でも、子供もいなくなった郊外の、小さなお寺で、
ドタバタ駆け回る子供の足を、その板の間は、愛おしくくすぐったく思っていただろうと、大人になったラスは思う。
その空間だって、子供たちがいて、騒いで、大人が気に掛けてくれなかったことにいちいち反応してくれるのが、うれしかったの違いない。
数十、数百年の中の静寂の中で、
万象にとっての特別な時間、空間、感情。
万物は、万象はじっと見る。
それが闇でも朝露の中でも、自分の存在意義を尊んで、光の中に運んでくれ、喜んでくれる誰かを。
世界中で、これからニューロス化する人間がもっと増えていくだろう。名目上は医療分野が殆どでも、宇宙時代を迎えれば世界はもっともっと大きく変わって行く。
そのための布石を、心星夫妻の息子で、血のにじむ様な努力をしたミザル博士のことも知っていて、それを文句も言わずに支えた、誰よりもふさわしいファクトにあげたかったのに。
他の誰にも渡したくなかった。
そんな祝福を、天から与えられた位置と能力かもしれないのに…
それを得ようともしない友人。
切ない顔でラスを見るモーゼス。
「…ファクト……」
「ラス…。私は様々な物が埋もれるのが惜しいと思うだけ。全ての人間が活躍できる世の中であってほしいから。これは私たちだけの問題ではないの。人類の、未来の問題。
これからオミクロンやアジア中枢のそんな才能を失ってしまえば、人類はまた遠回りの歴史を負うことになる。
シリウスだって必死にその力を得ようともがいているのに、シリウスにだってできない……」
「……」
「ファクトのことだけじゃない。ラス自身が人類の選択の一手になれるの。今まで旧教新教時代でも、正道教時代でも、人類は完璧な平和など成し遂げられなかったでしょ?これ以上この歴史を繰り返すの?
新しい選択が必要なの。
少なくとも、私たちにはシステムによって愚かな戦争や不正を取り締まれる力がある。
ミサイルを止めたければ止めればいいだけ。もう人間は水一つ水道から出すにもコンピューターを頼っているから脅せばいいだけ。不正な資金があれば公表すればいいだけ。人を犯した人間の情報をまとめて提出すればいいだけ。
なのに、そんな当たり前のこともできない……。皆、己に都合のいいように隠す……。
でも、まだその鍵を、ハンドルを、人間が握っているから。」
このアンドロイドの言うことは、悪しき誘惑かもしれない。
でも。でも、ラスはもし自分がここでする選択が間違っていても、選ぶとこで未来に何かを残せるのではと考える。逆にもしこの自分の一択で、全ての綱を切ってしまうことになったら?
それでも、選べば100間違っていても、1つ何かを残せるかもしれない。
モーゼスは懸命に語る。
「ファクトでなくてもいいの。人類からの言質を取れれば。」
ラスの中でたくさんのものが揺れる。
何の役にも立てそうにない自分でも、ミザル博士やファクトが自らその道を選ばなくとも、今この人類に見える何も残せなくても、未来に新しい技術の糸を残せるかもしれない。ニューロス技術と宇宙時代の人類を繋ぐ何かが。
けれど…………
タニアの少し湿気った丘、そして小川。
全然言うことを聞かずに、山里を走り回ってばかりいるファクトとそれに付いて行くリゲル。
呆れて後で見に来る山のおじさんや自分。
でもあの日は……リゲルではなくて……
ラスは力なく答える。何も分からず、何も確信ができない。
「あの………少し考えさせてください。」
「あとで?どうして?」
「あなたたちにはずっと展開していた出来事かもしれないけれど……、俺には突然の話です。まだ飲み込めません。そもそも、ファクトとも疎遠でした………」
おずおずと答えるラスに緋色のモーゼスは迫る。
「うそ。そんなはずはない。ずっと誰よりも頭の中で考えていたことなのに?」
「……?」
「さあ、答えを出して。あなたの一言で人類は大きな一歩を踏み出す。その牽引者になるの。その鍵を最初にあなたにあげるから。
今その答えを出さなくて、この先何かができる?」
その時響く、大きな爆音。
ドーーーン!!
と、横の扉が大きく揺れるように開いた。
「うぐ!」
ドアを押し開けたのは雪崩れ込むように吹っ飛んだ、もう一人のモーゼスだった。
「?!」
ラスは先の白銀のモーゼスだと気が付く。四肢は無事だが所々ひどく損傷している。
そしてダン!とその上に立つのは土色の迷彩の兵士。先、モーゼスと張り合っていた者。
まだ、対戦していたのか。
「ラス、絶対にその話に乗るな。」
「!?」
女の声だ。ラスは驚く。
そして、その女性兵、おそらくユラス兵士は両手に装備していた銃を一方は眼下の白銀のモーゼスに。一方を緋色のモーゼスに向けた。




