45 黒豚の再来
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多分ですが、また週明けから忙しくなります(´;ω;`)ウゥゥ
河漢北西側。
ギュグニーや北方国の侵入口の一つとされていた場所に、シェダルは東アジア軍と待機していた。シェダルもかつて、ここからアンタレスに入ったのだ。
その後いくつか侵入口を知るが、最初はここだった。艾葉ほど広大な廃墟でもないが、かつて発展していて廃れた場所。それでも商業が行き交い、山脈にもつながる郊外に続き、市境で人が少ない。そして、物流は行き来するため、闇市ともなり、不法侵入や不法滞在者の密かな出入り口にもなっていた。
アンタレスが手を付けなかったのは、もっと大きな問題が山積みでそれどころではなかったことと、ユラス軍が来るまで兵力も人材も足りなかったからだ。東アジア軍は全土合わせて未だ世界トップクラスだが、警察も含め、人口減と新成人たちの勢い不足を補うことができないでいた。
ユラス流入に反対し保守を語る市民たちは、自分たちのもつ巨大都市群の規模と軍事力が、既に自分たちで保てなくなっていることを知らない。実はもう百年近く前からこの状態で、北方国が一時期弱体化したことと、東アジア全体で必要ごとに異動を繰り返し、どうにかバランスを保って来ただけだ。
東アジアの為政者たちも、北やギュグニー、北メンカルがその穴に侵入するより、ユラス新青年たちがアジアに入った方がどんなに意図しない形になったとしても、最終的に自由政権を厳守できると判断したからであった。
「……」
シェダルは敵として下から侵入した場所を、今はアジアと同位置で上から見ている。
シェダルの仕事の一つは、ここから侵入したギュグニー関連の軍やニューロスの仕分けである。ここにいたからといって何があるのか分からないが、今は近くに駐屯もあるし取り敢えずいろと言われた。シェダルを街中に留めるには危険で、郊外の施設では即戦力には遠すぎ、艾葉では直接過ぎるからだろう。
不思議だ。
東アジアもユラスも軍人は勤務中に酒もしないし煙草も吸わない。ギュグニー所属当時、シェダルは優秀なパイロットであったため、身体上の理由で両方できなかったしさせても貰えなかった。博士たちが被験体の臓器や霊性が曇るのを嫌がったからだ。でも、口さみしく落ち着きを保つため、かつての周りの一般兵はクスリも含めみんなしていた。なのにここは変な場所だと思う。
顔さえ出さなければシェダルは外にも出してもらえた。
少し高台になるような旧ビルの上階。そこから南に広がる艾葉、そしてさらにその先のベガスの方も眺めた。穏やかな天気だ。
じっと先を見ると、ベガスの賑わいがレイヤーを透過した光のように騒めいて見えた。あそこにたくさんの人がいるのだろう。
風に当たって周りを見ていた時だった。
パチンっと、何かが弾ける。
「…?」
鳥か、虫か、通信か。
「……」
少し待っても何も起こらない。
でもまた何か…今度はジジジジッと細かく弾ける。電気か?
「…おい、なんか……」
と、近くにいた兵に聞こうとした時だった。
バチバチバチッともう一度大きく弾け、空間が歪む。
そして分かった。この感覚。
「は?!」
シェダルは信じられない。
もう接触はしてこないと思った響が、急に心理層に入ってきたのだ。
「なんだ?!あの豚」と頭にくる。
バチバチバチバチバチバチバチっ…………と、無理やり入らされるマーブルの空間。
自分より強いビルド。
シェダルのスペースを紙の様に布団の様に折りたたみ、全てを刷新するが如く構成する、赤蘇芳と落ち着いた金の青朽葉色の揺るぎのない唐模様。
今までは雲や波模様だったのに動揺してしまう。
「あ?!」
自分が驚くと同時に、同行している東アジア軍も驚いていた。いきなり過ぎて足元がふらつき膝を付いた。
「おい!なんだ?」
「ちょっと待って……。サイコスが入ってきた。」
「サイコス?」
「黒豚だ……」
「黒豚?」
片方の軍人はサイコスのことも知っているので、何も知らないもう一人を少し下げ、急にグラっと揺らぐシェダルを一旦支え様子を見ていた。
「響だ。」
「きょうって……。あ、サイコス……響さんか?」
「多分。」
『シェダルさん、お願い。テミンを探して!テミンがいない!』
いきなり語り掛けてくる響。
「は?黙れ。びっくりするだろ。」
『びっくりしてないで!』
「黙れ、何なんだ。」
付き添っている軍人は、相手が響と知り取り敢えずシェダルを座らせた。
『テミンを追える?シェダルさんは意識を保ったままサイコスを使えるでしょ?』
「テミン?
……黒豚。そんなこと俺にどうしろって言うんだ。」
麒麟ではなく、シェダルは黒豚と言う。なにせ本当に黒豚だ。麒麟ではなく、自分をふった会いたくもない非常に肉々しい……憎々しい黒豚で現れたのだ。だが今回は食べ頃を越した肥えた豚ではなく、陶器に描かれた絵のような豚だった。かわいい子ブタではなく、でっぷりはしている。
『私がテミンの情景を見るから、シェダルさんは実体で追って。こっちは今ベガスなの。』
「監視が付いているし、ギュグニーが動いてるから自由がない。」
『テミンが艾葉のどこかにいる可能性が高いから!』
「人の話を聞け。勝手なことを言うな。あちこち動きながらサイコスなんてしたことがない。」
『できないの?』
豚がブヒブヒ唐文様の中を駆け回りながら生意気なことを言ってくる。
「知るかよ。鬱陶しいな。それに今、艾葉は危ないんだろ。」
『だからテミンを探して。』
「俺を危険にさらす気か。」
『人生どうでもいいって感じだったのに?』
危険なところが嫌いな性格には見えない。ラボではだらだらしていたが、むしろ普通の場所にいたら暇で死にしそうなタイプでもある。
「黒豚は最悪だな。だいたいどうやってテミンの位置が分かるんだ?」
『私が見付けてる………』
響はテミンの世界を見る。
小さな彼の背後には、緑色の目の彼がいて………
そして森で散ったその弟もいる。
だからチコに近いのだろうか。
『でも、印象に残った場所のポイントポイントで、さらにそれとマッピングを合わせないといけないし…。大きな排水路は通ってるはず。天井が丸で……二階建てのお家が入りそうなくらい大きい所。二階建てって分かる?それで臭いの。多分…排水路っていうのかも知らないけど……水自体はそんなにないよ。感覚的には。』
シェダルの目の前に、響を通したテミンの見た光景が広がる。力のバランス的にシェダルをテミンに直接通すのは危険なので、自身を介する風景。
それはただの排水路ではなく、防空壕や放水路など様々な役割になる空間でもあった。けれどその広さも大きく、横道も無数にある。艾葉の住民たちが、場所を特定されないように目印になる行政や建物の標識や情景をある程度変えてしまうらしく、東アジアが把握している地図と完全な照合が難しい。
排水路……正確には上水前のただの水だ。ファクトたちと行った場所で記憶にはある。ただあれは、ベガスに繋がり比較的きれいな所だった。
『あ。待って。半円の天井っていうの?まだ何か見える……
23…36…かな…?ていう大きな数字が見えるよ…。黄色の…角の取れた四角の中にゴシック体の……ごっつい文字で……』
「ゴシック?」
文字のことか。SR社のデザインの本でフォントのことは習っている。
『でも、これが明確な視覚の記録かイメージの記憶かも分からないけど……』
シェダルは感心してしまう。
「……お前、黒豚のくせに……」
いくら心理層に入れるからと言って、位置まで把握していることに驚く。響はどれだけ明確に世界を見ているのか。そこには、テミン自身の安定的な世界観と波長のマッチなど様々な条件があるのだが、響自身が揺れる心理層の中で、世界を把握し相手を見極め、見るべき着地ポイントを掴んでいなければ不可能だ。変な場所に入り込めば、自己を見失う可能性もある。
「で、どうするんだ。」
『私がここで、テミンが見てきた情景を伝えるから、現地に行ってその通りに動いて。……でも、いろんな通路に入り込んでるし、子供の記憶だからどこまで正確か分からないけど……』
きっと全景ではなく部分的にしか見ていないだろう。お友達の方は、極めて印象的な部分を残して、あとは絵本の中の魔物やお化けの出る森のような、でも廃屋の世界観になっている。
「……効率が悪すぎる。迷い込んだら全然違うところに出るぞ。」
黄色い23や36は標識だろう。住民が書き変えられないほどの巨大な文字。おそらくそこはすぐに割り出せる。
「だいたい俺も、DPサイコスに入り込んでビルドを描きながら、意識を完全にはっきりさせて動けるわけじゃない。」
ビルドは意識空間で保つ自分の形や、自己維持の力のことだ。シェダルでも、サイコス内で通話しながら右左確認して進むというわけにはいかないようだ。現実に意識を置いている分、心理層との繋がりも分散する。
『…なんで!もう!』
「怒っても仕方ないだろ。逆に、今いる着地点を推測できないのか?テミンに聞いて。なんにしろ艾葉付近だろ。」
『テミンはこっちに反応できない。シェダルさんはDPで直接テミンに入らないで。力の微調整の仕方や相手の力加減まで把握しきれていでしょ。』
これまで好き勝手に能力をぶつけてきたのだ。力はあってもまだペーペーだと言う話だが、指揮下でない年下の女性にそんな風に言われても、ふーんと聞いている。所属軍の命令の奴隷なので、今、響の言うことを聞く道理は何もない。
『それに子供の見ている世界で地図上に落とされているかも分からない場所だから。テミンが最初に消えた時点の情報だけ分かってるから送っておくね。それは正確だから。無理言ってごめん…。』
「…ん。」
この黒豚は人の話を聞いていないなと思いながらも、返事はしておく。
と、そこにいくつかの情景が現る。
寂れた赤いエレベーター。
下に降りる階段。大きかったり狭かったりする通路。
テミンが見ていた世界だろうか。先話した地下路のナンバリング。
それらを見せながら、テミンの世界に響の世界の紐でシェダルを紐付し……黒豚は筆で描かれた絵に戻って模様と一体になった。
サーーっと、唐文様が模様ごとに形になぞって閉じられ、世界がシェダル自身のものに戻っていく。
そして、最後にパチンと軽く弾けた。
ここは?
先いた河漢の端だ。
少しDPに入り込んでしまったが、手を開いたり閉じたりして物質体の世界に現存する自分を確認した。
「おい大丈夫か?」
声をかけてきたアジア兵にシェダルはすぐに聞く。
「こっちに子供が迷い込んだ情報は?」
「あ?これか?来てるぞ。」
艾葉に紛れ込んだであろう子供の情報が入っていた。ただここは艾葉ではない。
***
「ファクトは?」
艾葉付近まで駆けてきたのはキファ。
「リゲルと軍人数人帯同で、イオニアたちの方に向かっているよ。」
泣きそうなのはファイである。
テミンの行方不明は母親エルライには伝えてあるが、ギュグニーに赴いているカウスは知らない。特殊任務に関わっている時は身内の不幸も基本知らされないからだ。行方不明の子供がテーミン・シュルタンである情報は、一部以外には流れていないし、知っている者も口止めされている。なお、現在カウスやその他多くの人員がギュグニー関係の任務に就いていることは、アーツ警備も知らない。
キファや一部メンバーは初期段階に、仲間内や警備の関係でテミンの話を聞いていた。
「でも今、艾葉は一般人は入れないだろ?」
河漢警察すら入れない状況だ。
「許可のあった人は入れるみたい……。でも、それこそ拇印押していくんだよ……」
何かあっても、自己責任という拇印だ。キファは呆れとちょっと恐怖に怯える。ファクトはそんな場所に行ってしまったのだ。参考人として。
「……それ、ミザル博士が知ったらブチ切れない?」
「……」
「…ブチ切れるかも……」
そこにいた、ミザルを知る全員の心が一致した。




