22 純粋に思えるわけではない
「…?!」
病院に入る前にバテてしまったのか。
「…ランスァ……」
こんな事態なのに、ランスアの呼吸より小さな声しか出ない。
自分の兄が、うずくまって喉元を抑えて息切れしているが、どうしていいか分からず立ちつくしてしまう。
「ハッハッハッ…」
時々乱れながら、聞いた事もない速度で呼吸していた。
リギルの世界がグルグル回る。
持病持ちでも大げさな部分は仮病じゃなかったのか?
応急処置が先?もしかして怪我じゃない場合は?疾患?
救急に電話?
でも病院はすぐ横、走っていくべき?
サラサさんに?
サルガスさんに?今忙しくないだろうか。
話しやすいファクトやラムダ?
近くのスタッフ?
ランスアの脈を見たらいいのか、苦しそうなのか確認をしたらいいのか。せめて顔は確認した方がいい。
今すぐ動けばいいことなのに。
ネット世界でヘマをしているニュースを見ると、こう動けばよかったのに、対処が間違っていると好きなことを言っていたのに、自分が現実にその場にいると、どうしていいのか分からない。動かさない方がいい?
もしかしてこれが「発作」?違う、「痙攣」「過呼吸」?だったら対処は?いや、先に救急を呼ぶべきだ。あれ?
そうこうしているうちに死んでしまったらどうしよう。
「…あ、ああ…」
ドッドッドッドッ……
あらゆる言葉がグルグル回るのに、自分の方がおかしくなってくる。周囲の音よりも自分の胸の中にある心臓の音の方が大きい。
「……ひっちー」
『はい』
リギルは自分のAIに聞く。
「……ランスアが倒れてるんだけど…え…あ、どうしたらいい?……あの、俺も…なんか………」
『救急を呼びます』
プライベートAIひっちーは何の躊躇もなく救急を呼んだ。
と、見ている目の前でランスアが静かになるが……、同時にそのまま地面に倒れ込んで動かなくなってしまった。
「ランスア!……」
消え入りそうな声で兄の名を呼んだ。さすがに、怖くなって前かがみになり、起きないか背中を軽く叩いて様子を見る。
それから、通報して2分もせずに小型浮遊タイプの救急車2台が来た。
近くにいたらしい警察と、救急隊員など5名が来てランスアと自分に適当な対処をしている。目の前で繰り広げられている全部が、フィルターが掛かった映画のように進んで行く。ランスアが運ばれていく風景をどこか向こう側に眺めていた。
こんな時にすら、自動で地面から人を持ち上げられるミニ救急車を見て、大柄な人間はこういうふうに運ぶのかとか考えたり、過去に体調を崩して倒れ込み女子にキャーキャー言われていた兄の姿などを思い浮かべていた。今も、寝込んだ姿すら様になる。
何もできずにその場にいると、目を覚まさせるように、手袋をした大きな手に肩を叩かれた。
「リギル君?リギル君!」
「?!え、あ、はい…。」
「確認するよ。蔚藍リギル君だね?誕生日は言える?」
何かいろいろ確認されていても、半分呆然としてしまう。
そして、気が付いたのだが自分が泣いている。
次から次に目から涙があふれて止まらなかった。
***
「リギル!」
今回病院に来たのは、第4弾リーダーのシャウラと南海にいたファクト。なぜかVEGAの人間も来て、ファクト以外はランスアを担当している医師の方に行った。ランスアは一般救急ではなく個室に移して点滴をしている。
前にチームリーダーのジッキーがランスアと揉めてしまったので代わりにファクトが来たのだが、リギルは簡単な診断のあとは救急に入らず、大きなフロアのベッドで眠りながら点滴を受けていた。
「大丈夫?」
「…ファクト……?」
「寝てていいよ。起きないで。」
「あれ?…今……」
「30分ぐらい寝てたよ。」
「……え?ほんと…?」
立っていられるのに、救急車に寝かされてそのまま病院に入り、泣きながらいろいろ話して採血もして、そういえば点滴したな……としか覚えていない。
「給水所には伝えておいたから。」
「……ありがと。」
「…あ、そういえばランスアは?生きてる?」
兄は大丈夫なのか。
「生きてる、生きてる。点滴して寝てる。リギルとおそろい。シャウラも来てたけど、リギルが寝てたからそっちに行った。」
と、そこにシャウラが戻ってきた。
「大丈夫か?」
「はい、すみませんでした…。」
「謝んなくていい。」
「あの、シャウラさん……」
「ん?」
「兄は何の病気ですか?」
シャウラの目が少し見開く。
リギルは静かに、戸惑いながら声を出す。
「あんま話したことないんだけど、持病でもあるのかな…。」
「持病?」
「昔からよく倒れたり、縮こまって保健室に行ってた……。発作だって聞いたけど、今も何の病気で通院してるのか知らないし。俺もこんなんだし、うちって結構家系的な病気があるのかなって……。」
少し考えてシャウラは話し出す。
「…遺伝の病気とかは大丈夫だよ。少なくとも今回の件に関しては。ランスアは他のスタッフが面倒見てくれるから。」
「……」
「…俺、人が死ぬかもしれない時に何もできませんでした…。」
リギルは少し深刻そうだ。
「大丈夫だ、気にするな。監視カメラのない所だったからな、救急呼んだだけでもよくやった。」
AIが呼んでくれたのだが。位置情報を見て、無知で動揺している主人が対処するより救急を呼んだ方が早いと思ったのだろう。
リギルは思う。応急処置は習っていたのに。だからこそか、かじる程度に知ってはいてもあらゆる症状と対処の区別がつかず、自分がしてもいいのか、嫌がられないか考えてしまう。余計に焦るだけであった。
でも、なぜランスアのAIは主人の状況から救急を呼ばなかったのか。そもそもすぐに意識がなくならない限り、どうにかでも普通は自分で呼べる。むしろ、主人が危険になったら自動で呼ばれるはずだ。お金がないからよい機種を持っていなかったのか。いや、緊急警報はいつの時代も最低機能だ。
「自分は、何もしていないです。……なんでランスア、自分で呼ばなかったのかな…。なんでいちいちめんどくさくなることするんだろ。我慢したって仕方ないのに。」
「………」
シャウラは少し考えてから、リギルに答えた。
「お前ら兄弟さ……これまでそんなに関わることもなく、それぞれ生きて来て、お互い理解しがたいこともあるとは思うけどな、まあ、誰かしら苦労を抱えてるんだと思って、少しでも良く思ってあげてくれ。」
「……」
リギルもファクトも黙って聞いている。シャウラは少し力が抜けたように二人を見た。
「……俺も疾患持ちだし。みんな何かしらあるよ。」
「…そうなんですか?」
それはちょっと驚く。
「日常生活にはそこまで影響ないけど、結婚するときはしっかりと対で話ができる、信仰心のある女性と結婚した方がいいって言われた。」
「信仰心?」
「今の気分の恋愛感情や損得感で付き合わないから、多少の障害で夫婦関係が揺らいだり捨てられたりしないからってさ。」
「…はあ……。」
捨てる……とまで。
他が強烈なので穏やかで目立たないが、シャウラは大房陽キャのたまり場、アストロアーツの初代店長の時から働いている後の三代目である。リギルはアストロアーツをよく知らないが、シャウラはサルガスたちの友人らしい。多少の疾患持ちでもリギルから見たらモテそうに見えるのに、そんな忠告を受けるほどなのか。
「それに疾患ってさ、大房けっこう多いみたいで。エリスさんは知ってたみたいだけど、クレスさんは健康診断や霊性を見ていつもびっくりしてる。」
クレスは現ベガス総長エリスの補佐である。
「大房ってすごく雑な霊性がちまちま絡まってるからって、そういうものを解く作業もしているらしい。」
「霊性って関係あるんですか?」
「直に全てではないけれど、根本はそこだってさ。」
「…………」
リギルはまだ神学や霊性学をきちんと勉強していないので分からないが、隣でスナックを食べているファクトは、元々は平和で素直な中央区蟹目民。下手なエリート地域より、教師が赴任先にしたい人気地区育ちだ。しかもファクトは聖職者や教師が多い家系のため、霊性のことは多少視えるのでその話が分かる。大房は霊性も精神性も雑多なのだ。
「だから人間は『霊長類』って言うし、その長だし。頂点。」
2袋目のスナックを開けながら、ファクトは天井を指して語る。
「放射線だってさらされれば遺伝子に影響していくだろ?霊性だって同じ。言霊だし。魂のDNAに影響していくって感じ?それが人間を模っていくから、負の物を浴び続ければ体もそうなるよ。」
「………」
「なんだ?落ち込んでるのか?」
シャウラがリギルを心配する。
「でも、これはあくまで大枠の話で、所詮みんなアンタレス市民だし、一面でしかないからな。そう言える部分も認めて、謙虚に努力していくのが一番いいよ。中央区の奴らが優秀なのは確かだし。」
大房も中央区だが、ここではアンタレス全体の中間層以上やエリート層の奴のことだ。
彼らは優秀だが、その分絡んでいる霊の種類も鎖も別の次元で複雑で重い。
「みんな一長一短があって、ランスアも一面だけじゃないよ。」
「…はあ。」
気の抜けたリギルの返事を聴いてからシャウラは時間を見た。
「またちょっとランスアの方に行ってくるから。先生、点滴終わって体調に問題がなければ帰っていいって言ってたから。ファクトは今日は河漢はいいからリギルを寮まで送ってくれ。」
「押忍!」
ファクトが元気に答える反面、リギルはなぜアーツ試用期間リーダーのシャウラがランスアまで見るのかと疑わしく思うが、先言われたことを思って上を向いてふーと息を吐いた。
「あのさ、ファクト。」
ファクトはリギルを見る。
「俺さ、先ランスアが倒れて運ばれて行く時さ、自分がどうしたらここで他人から茶地を入れられないような最善の動きができるかとか、あいつはいっつも誰かに心配されてて、倒れても様になるな、不公平だとかそんなことしか考えられなかった。ランスアが死んだら母は楽になるのか悲しむのかどっちかなとか。俺が替わればよかったなとか。」
純粋に兄の容態を心配してたわけではない。俺が替わるというのも、自分に価値を見出せないから、自分がいなくなればいいと思っただけだ。ただ淡々と。
「そういうこともあるよ。」
スナックを食べ続けながらファクトは答える。
「でも俺は、リギル来てくれて楽しいから、元気でいてほしいけど?」
「…。え?そう?」
ファクトからはリップサービスな感じはしない。
「楽しいよ。死なずにまた今度シントゥアンに買い物行こうよ。この前ラムダ行けなかったから、一緒に行きたいって。3人でお揃いのTシャツとかまた買おうよ。」
なぜこの男は、男同士でお揃いを買いたがるのかと何の共感も湧かないが、お気に入りはシリーズで買いたいのがファクトである。
「…うん。」
共感できないないながらも、少し心地よくてリギルは頷いた。
●リギルと買い物した日
『ZEROミッシングリンクⅤ』70 女の骨
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