18 祝福の東
講堂の中礼拝堂。
サダルは静かに話を進める。
「東の地も偶像崇拝がはびこり、人本主義に傾きやすい土壌が作られ、土着信仰や文化を言い訳にたくさんの姦淫が行われました。人が人知を超えるエネルギーや、愛おしさである人間の全てを包括する神よりも、目の前で利益をくれる動物や石の像に頭を垂れたのです。
本来、神の御使いよりも尊く、英知のある人間が。」
物と命の重みがひっくり返った瞬間と、その結果。
「霊性のある人間は分かるでしょう。偶像崇拝の意味が分からない者と、神の愛と強さを体現できなかった聖職者と王室によって、たくさんの弱き立場の者がその犠牲になりました。」
サダルにははっきり見える。生活の中で人は自分や他人をひどく犯してきたのだ。
人間は、自身の体が神の器と知らなかったから。
「アジアが神に見放されそうになったのは、万物の声が分からなくなったからです。」
「……?」
アジア人、何のことか分からない。
「昔の東洋は、機械など使わなくともナノ世界の手触りを理解し、万物に敬意を払い、そのことなり理解し、再構築する精神性と力を持っており、与えて下さる天にも感謝をし、物に愛されていました。」
「……」
ファクト。周囲が何の話か分からない中で、お寺の事かな?と思う。
分子のようにぴったり合わさる燻瓦。
見上げれば広がる、繁垂木。
よく選別された沈香。
ただ生い茂っているようで、延々と広がる苔の空間。
針の穴を表す茶室。
ひと動作に瞬間が宿る緑のお茶。
おいしくないと言いながら、一口で食べていた、でも繊細につくられた茶菓子。
「なので、神論に辿り着けなくとも、その世界は万物に愛されていたのです。」
「…………」
「けれど前時代、彼らはその全てを捨ててしまいました。
答えの見えない全てを自己観念に持って行き、時に否定し、万物の望まない部屋を作り上げ、自己という小さな密室に全てを閉じ込めてしまったのです。
そこから万象は彼らを見放さざる負えませんでした。 万象が見ていることすら忘れてしまったのです。」
聖堂が静まる。
「でも神も万象も忘れてはいません。居心地がよかったその日を。
昔、ずっと昔。小さなことですぐに人が死んでしまうほど儚い時代。
その中で、小さな地蔵にすがって、見たことも知ることもない天に頼って、細々と生きている人たちもいました。
冬は冷たい桶の水が凍らないようにするだけでも必死で。肩を寄せ合って生きていくしかない寒さの中、十分な食べ物も温かい靴もなく、霜焼けで膿んだ手足に付ける軟膏もなく、それでも天を拝んで静かに生きる者たちもいたのです。」
分からない言葉は翻訳の文字を触れば画面やホログラムに説明が出てくる。ユラス人や東方アジアや歴史を知らない者は地蔵を調べ、南方しか知らない者は霜焼けを調べていた。今世紀は北方民も霜焼けになる者は少ない。
「千年近く続いたその風景、青い狼が走るその雪山を……胸の締まる思いで見つめていたのです。」
「??」
ここで疑問符にまみれてしまうのは、上階で聞いているファクト。
「なんで議長が雪山の狼の話をしているんだ?」
みんなとしては、狼?とそれ自体意味が分からないのだが、ファクトだけは響が狼に時々なるので狼を知っている。きっと意味があるのだろうと。でも今なぜ?なぜ議長が?
それは遥か東方の、遥か彼方の話だ。
狼がまだ山を駆け抜けていた時代。
「さあ?霊性が強いからいろいろ見えるんじゃない?昔の話かな?僕だって、そんなの知らないよ。」
凍傷で指や顔を無くす話は知っているが、霜焼けってなんだ。ラムダは霜焼け自体が分からない。
聖典に青い狼の話などない。
そもそも、最東邦の話などないのだ。東邦どころか東洋の話もない。
けれど、ファクトの中で聖典は『トゥー・ビー・コンテニュー』なのだ。
「分かった!議長は聖典の続きの話をしてんだよ。そんでその西隣に銀の……白だっけ?虎がいて、その隣に青い龍がいる!」
「それ何の話?」
分からな過ぎるラムダ。
「…さあ、何だっけ?」
ファクトも思い出せない。何だっけか。
「私たちに哀愁の心があるのは、神にも哀愁の心があるからです。
誰よりも待ち焦がれた。」
その他にサダルは、一般聖典とユラス教聖典を比べた話など1時間20分ほどし、自分たちを受け入れてくれたアンタレスに礼を述べた。
「最後の話です。
神は昔、狼が森にいた時代、粟や稗さえ食べるのも難しかった頃、
東の女たちを見て涙を流したそうです。」
「………?」
突然の話にまたみんな何のことかと思う。
「数百数千年の荒野で、変わることのない苦節の生活で、多くの人は人生を怨み天を憎み、人を憎みましたが、それでも懐の中に天を温めて生きる者たちもいたのです。
その手がどんなに膿だらけでも、どんなに傷だらけで皮が厚くなっても、小さな背でひどく曲がった腰でも………
私は愛おしく思います。」
下を向いた漆黒の目はどこを見ているのか。
「最初の時からおおよそ千年後に、天の御姿に出会った彼らは、小さな懐に自身ではなく天を誇りました。しかし、多くは非力のため時の力に倒れ、東洋西側の多くは権力に自身を飲み込まれました。
ここでは狼の話をしましたが、どこかの森の話かもしれないし………熱い砂漠のでの話もあるかもしれません。
けれど小さな霜焼けの手を愛した神の心を知った時、無い体でその手を温かくなるまで擦りたいと、軟膏を届けたいと切に願った神の胸の内を知った時に…、実体のない神の手の代わりに自身を差し出したいと感じた時に………」
サダルは聖典に触れたまま静かに言う。
「……誰でもなくあなたが神と向き合い、神と休息を共にするのです。」
礼拝堂が静かに騒めく。
ただ壇上を見て聴く者、意味が分からないと小さく周囲を見渡す者もいれば、
すすり泣きを始める者もいた。
最後にサダルは顔を上げた。
「最後に小さな石ころは、神殿に飾られた祭司の持つ聖なる宝石よりも、たくさんの至宝を得るでしょう。」
そう言って、ユラス式で短い祈りを捧げた後、サダルは深い礼をして壇上を後にした。
***
礼拝後、ファクトは急いでニッカに電話をするもニッカは反応すらなし。ワズン大尉もテニアも着信無視。
「うおーーー!!!全員ひどすぎる!」
そして分かった。陽烏もいないのだ。
これはもう、ムギもいないのではないかと思う。
少ない人間で始まったベガス構築の一端が終わろうとしているに、なぜアーツよりずっと前から関わってきた者たちがいなくなるのだ。卒業式のような大事な締めくくりだ。
「あっ。」
しかしムギにはつながった。
「ムギ!何してんだ?」
『何?今日は南海でカフェ手伝って、それからメンカルからのお客さんとご飯食べるの。』
「ユラスで?」
『ベガスに決まってるよ。何?』
ムギはベガスにいるらしい。
「ニッカは?」
『ニッカ?さあ。』
「なんで実家に帰ってるわけ?」
『帰ってるの?知らないよ。』
これはやはり何かあったと思うしかない。あんなに仲がいいのに知らないわけがない。
「アジアラインで何があるの?」
『知らないってば!今、人がたくさん出てきて忙しいの!』
怒って電話を切られてしまった。日曜礼拝後もそうだが、人が大量に出てくるのでカフェや食堂は賑わうのである。
「………。」
しょうがないのでバイクで南海まで走る。
そして、南海のカフェに行くと、常若組と共にムギがコーヒーをいくつも作っていた。
しかも、人が多いからとイベント初期に百数十万円の全自動コーヒーマシンを導入してしまった大房民カフェとは違い、常若組は機械抽出やドリップではあるが一つずつ丁寧に作っている。
値段も少し高いがさすが雰囲気イケメン。言葉の意味は少々違うが、その名の如くイケてるカフェの雰囲気まで守り抜いているので感動する。イケメンというだけあって、兄さんたちがかっこよく見える。
「…本当にムギがコーヒー作ってんだね……」
「わあっ!」
まだ慣れないことに集中しているところに、バックヤードからの突然の訪問で驚くムギ。
「ななななな……何?!」
先、藤湾から電話をしてきたのに、この男の身軽さ。
しかし、次から次に注文が来るのでムギは無視をした。
「ムギちゃん、ちょっとお話したいんだけど。」
アジアラインの話なので、ここではできない。
「ムギちゃんってやめて、気持ち悪い。あとでね。」
「今したい。」
「あと!」
「今!」
「邪魔しないで!」
すると今度は常若青年の一人が言ってくれた。
「ムギちゃん、大丈夫だよ。行ってきな。急ぎのお客さんばかりじゃないし、ヘルプ来てるし。」
「……。」
急いでいる客は、他のカフェやカフェ自販機の方に行くであろう。メンズではないが、女子の常若メンバーもヘルプで入る。
仕方なくムギは大きなエプロンを外して席を外すことにした。
不貞腐れしながら、長くて腰辺りを折り上げた大きなエプロンを外しているムギがかわいいので、じっと見てしまう。
「なに?!」
「……何でも。」
そこに常若お兄さんに声を掛けられる。
「ファクト、ムギちゃんかわいいよね。楽しんで来な。」
「へ?」
「は?!」
二人で「何が?!」という反応をしてしまう。ムギの方が少しリアクションが大きい。
「はいこれ。」
そう言って、お兄さんがアイスコーヒーと最近のムギのお気に入りの無糖コーヒー牛乳をくれた。サンドイッチも押し付けられる。
「あ、ちゃんと売り上げに貢献します!」
とファクトが言うも、ブース外に押し出されてしまった。
仕方なく騒がしい南海広場を歩く二人。
でも込み入った話がしたかったので、ファクトは人気の少ない場所を探した。