16 謎めいているのは異国か東洋か
ミラの藤湾大学大講堂は、午前10時の礼拝前から既に構内はいっぱいであった。
ユラスはサダル派が改宗しても、国教はユラス教のままである。
全人口ではユラス教の方が多いし、国家行事はユラス教で行われる。ただ、その姿もサダル就任前と後では聖典解釈も教会全体の雰囲気も随分違った。
構内の前列に女性や夫婦もいる。
アジアから見れば、ユラス教は謎秘めている興味深い世界観だった。
ユラス教徒以外は、礼拝と勉強と興味本位。聖堂になった講堂やサテライトは厳粛な雰囲気だが、そんな見学者もいてどこか浮立った空気も感じる。
ユラス民族自体が独特な民族のため、世界にはユラス人以外のユラス教徒はほとんどいない。
もしユラス教を知るとすれば、外交や仕事、国際結婚で相手とつながりができた時ぐらいであろう。多人種であり政治や地勢的分派は非常に多数広大なのに、宗教的分派が少なく地域対立はあれど、ユラス教の袂は一つしかない。
ユラス地域はセイガ大陸の中でもかなり大きな領域を占めるが、アジアラインに山脈がそびえるためか東にはユラス教は流れず、西は同じほど強固なヴェネレ教のため西にも広がりはしなかった。
長い期間アジアと正面切った国交もなく、渡航禁止期間や地域もあり、軍事国家なのに修道的。多民族で混血も多いが閉鎖的。頭がいいとも聞くのに、未開で話の出来ない民族だと一括して思われていた。
この3年でアンタレスに一気にユラス人が増えてきたとはいえ、新地区ベガス外はまだユラス人を知らない者も多い。
今回制限をしなかったので、大学をはじめとして様々な研究所から人が押し寄せて来ていた。ネットでもサテライトでも公開されるが、二階席と後部席は信徒以外も入れるため、既に入場制限がされている。礼拝堂そのものに入る者は、ユラス教の礼を尽くすことが条件であため、信徒以外は中学生以下も入れない。
「マジ、人入ってるね。」
ファクトが二階席より上の藤湾大の生徒しか知らない裏方から顔を出す。
「懐かしいな。初期はよく遊びに行ったもんな。」
リゲルもそこから下を覗いた。この二人は南海に来た当初、いろんな宗教宗派の礼拝や聖堂を見学した。
ベガスでは毎週様々な場所や時間に、様々な礼拝がある。平日は早朝か夜に多く、土曜は午後に始まる礼拝もあった。
まだ南海広場が仮設住宅でいっぱいだった頃は、どこかの家に複数家族が集まってする、そんな小さな礼拝にも参加させてもらった。静かな時間が続くため半分は寝てしまうが、低音の祈りが響くユラスの礼拝は好きだった。
あの声が響くと、ただの仮設住宅なのに地面も屋根も幾何学の曼荼羅に囲われたような気分になる。
仮設住宅の中にある、ファクトにはさっぱり分からない家具や布、不思議な本。そういう異国情緒な雰囲気もなんとなく落ち着いた。彼らが異国の簡易施設でも良く暮らしていけたのは、祈りの織られたルバや敷物によって、神と数千年共に歩んだ荒野の風景が共にあったからか。いつも一緒に歩いた神を、他の宗教は忘れてしまったが、ユラスは自身の生き方と精神に持ち込んだのだ。
曼荼羅の中に折りたたんで。
だから移動しても、時に一人でも寂しくない。
誰よりも家族で集まるのが好きな民族なのに。
ただし、南海で気を付けないといけないのは、そのまま昼食に誘われ、さすがに礼拝後に酒は出されないが、一服だというばあさんたちにタバコを勧められることだ。じいさんに至ってはコレクションのようにいろんなタバコを持っている。初期は逃げ切るのが非常に難しかったが、あの気ままさもいいのだろう。
「レサトは下で見なくていいの?」
ラムダが不思議そうだ。
「いい。俺、正道教信徒だし。」
レサトの家系は完全に改宗している。ただしレサトは、正道教教会でもどこでも端っこで見ながら半分寝ている。
普段の礼拝は軍服を着た者が多いが、今回はそうでない者の方が多い。警備に回っているのか、それともやはり外で何かが動いているのか。
そして時間15分前から、低音の聖歌のような祈りが響き渡り始めた。
落ち着くのは読経にも似た響きがあるからだろうか。けれど、東洋の寺のように四角くない。全ての空間が球体に体現される。
「やっぱりユラスも『円』なんだよね。」
ファクトは感嘆する。
「円?」
「ほら、西は写実模様、東は延々と広がる形象の記号模様。そんで、中央は幾何学の円になるの。
正しくは『球』かな。西アジアが円。」
「模様?」
「目に見える文化の話だよ。中央の文化は円や球になるって、お庫裡さんと話してたんだ。西が立体で、東は平面に描くんだ。」
「おくりさん?でも、最初セイガの文化の流れは西だから、最初写実なら次、形象でそんで最後に幾何学じゃないのか?」
珍しくレサトが関心を持ったことを言葉にする。
「あ、お庫裡さんって仏教のお寺の奥さんだよ。
でもさ、考えてみれば螺旋になるんだよ。」
「螺旋?」
「やっと分かった!最初中央西のヴェネレから始まって西だろう?一旦ゼロになって今度は西からスタートする。そんで東に行って、また中央に戻ってくる。回ってるもん。」
「………」
レサトが目の前の空に世界地図と歴史を思い浮かべながら、指で示してあれこれ考えていた。
「なるほど……」
なにか飲み込めたらしいが、レサトなので何もかもが考え無しに見える。
「うちのお庫裡さん、行くとおいしいお茶と茶菓子を出してくれるよ。」
「え、行きたい。」
「和菓子の中にも、自然の理と宇宙があるんだ。あれは食べる芸術品というか……食べる四季であり宇宙………」
全然情緒もなく食べていたのに、偉そうにサレトに語るファクトであった。
「…宇宙………」
ファクトは乾いたユラスを思い出し、あの、どこよりも空気湿度が整った荒野のラボも思い出した。
そういえばベッドに眠るロワイラルはどうしているのだろう。
彼女は誰よりも今を待っていたのではないだろうか。
「……荒野。」
でも、彼女は眠るだけ。
荒野の向こう側には草原がある。ファクトはレサトに聞いてみた。
「ニッカのいるところもユラス教なの?」
ニッカの故郷はユラス大陸北東、イソラだ。馬が良く走れる、荒野と草原の半々の地。
「いや。あの辺は厳密には西北アジア人だし、仏教とか土着信仰なんじゃないかな。ただ今の時代なら、ユラス人との交流も進んでるし、聖典信仰はどこにでも入っているから旧教新教系の場合が多いけどね。」
「ふーん。」
「……そう言えばニッカは?」
学校の時間はいつも、自分たちや教育科の子たちといるのに…と気が付く。
「…ああ、今実家に帰ってるって聞いたけど?」
リゲルが答えた。
「実家に?ニッカが?ムギも?」
「ムギはまた常若カフェ手伝ってて、ローやティガが怒ってた。」
コンビニを無人にしてここに来たラムダ、普段課題にバイト三昧のくせに人の事情に詳しいのである。
いないカーフにニッカ。二人ともユラス大陸北部系、もしくはそこの育ち。
今、ベガスにいるべき二人がユラス大陸に行ってしまった。
ニッカに至ってはギュグニーの山脈が目の前に見えるほど実家が近い。故郷の東下方に見える山脈付近。そういえば、テニアもユラスに連行されていた。この期間くらいここにいればいいのに、みんな不自然すぎる。
「リゲル、昨日の夜の話知ってる?」
「昨日の夜どころか、朝もいろいろ動いてたぞ。」
「昨日も今日も東アジア、ユラス合同軍事演習も中止になったし。」
周囲が非常に騒がしく、場所によってはこれまでいなかった場所に特警が出てきた。軍が場を空けたからだろうか。
もうこれは確定である。
今、絶対に何かが動いている。
時計が10時を指すとともに、祭司の合図により賛歌が黙祷に変わり、礼拝が始まった。
今回はベガスのイベントの中で開催されるものであるからか、ユラス教の聖堂ではないためか、いつもと少々雰囲気が違う。古代語やユラス語などで行われる内容は祭壇にも個々デバイスやホログラムにも字幕が出る。
そして誰もが息を飲む。
祭司の紹介と共に、サダルが中央ユラスの正装で壇上に現われた。
長い黒髪を一部だけ括った、東洋人のようなバイラ。
サイドから表れるとともに騒めきと大きな拍手が起こる。ベガスではちょこちょこ見かけているが、実際は行事や専門の講演以外ではほとんど人前には出ない。珍しい人物の登場に外部アジア人は沸き立っていた。
下手にも上手にも見えない位置に軍人が控えている。
「議長すごいね。やっぱり普通だったらユラスでは話せない人なんだね。」
ラムダが感動している。
「アジア人も感動してるよ。」
そう言うファクトの言葉にタイが疑問を呈した。
「なんでだよ。そりゃ、風俗や地勢研究の学生や研究所は感動するかもしれんがそこまでか?」
ただでさえ地味なユラス教である。何に感動するのか。でもラムダはそうは思わない。SR社ニューロスの核は聖典だ。
「タイ、何言ってるんだよ。議長は正道教牧師でもあるんだよ。正道教も仏教も関心満々だよ!ニューロス研究者も気になるだろうし。」
「は?ラムダこそ何言ってるの?そういうことじゃない。」
ラムダが庇うがファクトとしては違うので、ここで意見を呈する。
「違うの?」
ファクトは語る。
「だって、あんな不思議南ユラス人の中に、東洋人だよ?みんな親近感湧くだろ?」
「………」
ただの容姿の話であった。
「東洋人系がユラスで頑張ってるって、アジア人感動するっしょ!そんで東洋への帰国って感じでさ。」
確かに見た目東洋人ではあるが、『バイラ』であってユラス生まれのユラス人である。サダルは東方は大陸端最大都市フォーマルハウトまでしか行ったことがないらしい。
「中華皇帝だもんね。」
ラムダは余計なことを思い出す。いつから書き加わったのか、サダルはクルバトノートの覇王であり、中華皇帝でもある。妄想チーム以外知らない、ゲームのジョブ付けの話だ。ゲームや漫画では、中華皇帝やその候補確定者は三国を掌握し、顔も体も超厳つい中年か、黒髪ロン毛性格ヤバい系の青年という場合が鉄板である。サダルはもう中年とも言える歳だが。
「はー。袴、履いたらいいのに。似合いそう。」
ファクト的には袴を履いてほしい。
「侍のカッコとかしたら西洋で人気出そう。剣術とかできるんだって。東邦刀剣じゃないけど。」
「お前はどこからそういう情報を得てくるんだ?」
リゲルが呆れていた。
「でも『先祖返りのバイラ』だから、まさに帰還だろ?みんな喜ぶよ。」
「先祖返り?」
「『バイラ』自体が先祖返りって意味から来ているらしい。」
「へー。」
ラムダもリギルも東洋以外が混ざる様々な混血だが、なら僕らとも仲間じゃんと、なんとなく感動する。
「ファクト。バイラって東洋人の先祖返りなの?詳しいね。」
「知らん。でもあの見た目は東洋人だろ。」
大房民よりよっぽど東洋な顔をしている。
講堂を見ると、そんなサダルは天に敬拝をして、全体に祈祷を捧げたのち信徒たちの方を見た。
同時にベガス構築に尽力した人や、今回関心を寄せた全ての聴衆に感謝の意と祝福を述べる。また大きな拍手が上がるので、サダルはそれを抑え話しを始めた。
「まず、我々はユラス終戦やベガス構築に関わり、喜びの太鼓を鳴らす前に、多くの反省をしなくてはなりません。
ぞれは、人類の反省点でもあり、一人違わず当てはまることでもあります。」
講堂内はサダルの声しか響かない。
ファクトたちの会話の参照図があります。
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▼資料 10ページ目
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